第五章 ルーズベルトの絶望と、世界一の人権・情報大国への飛躍
アメリカの兵糧攻めと「特等席」――死の商人(世界の工場)
昭和14年(1939年)夏。
ルーズベルト大統領が発動した『日米通商航海条約の破棄』の通告は、日本国内の経済界に少なからず動揺を与えていた。
アメリカという巨大市場からの締め出しと、屑鉄や石油などの重要資源に対する輸出制限(兵糧攻め)の気配。それは、超大国が本気で大日本帝國を干し殺そうとする、明白な敵意の表れだった。
「総理。財界の連中が、連日のように陳情に来ております。『アメリカ市場を失えば、我が国の輸出産業は壊滅する。なんとかルーズベルトのご機嫌をとってくれ』と、泣きついてきておりますぞ」
外務大臣の吉田茂が、呆れたように葉巻の灰を落とした。
「放っておけ。温室育ちの財閥どもは、少し風が吹いただけで大騒ぎする」
幸隆は、執務室のソファで退屈そうに新聞をめくっていた。
「アメリカの市場が閉じたなら、他の市場(国)に売ればいい。……それに、もうすぐ世界中の『工場の煙突』が、モノを作るのをやめてしまう時期が来る」
「……と、おっしゃいますと?」
幸隆が短くなったハイライトを灰皿に押し付けた、その数日後だった。
昭和14年9月1日。
歴史の歯車が、最悪の音を立てて回り始めた。
『ナチス・ドイツ軍、ポーランドへ侵攻!』
『イギリス・フランス両国、ドイツへ宣戦布告! 第二次世界大戦勃発!』
号外の鈴の音が帝都を駆け巡り、世界中は恐るべき大戦争の炎に包まれた。
「総理ッ!! ヨーロッパで戦争が始まりました! さらにベルリンのドイツ政府から、我が国へ最高レベルの緊急暗号電報が届いております!!」
結城秘書官が、血相を変えて執務室に飛び込んできた。
吉田茂がその電文をひったくるように受け取り、素早く目を通す。
「……ヒトラーの野郎、完全に血走っておりますな。内容は『協定に基づき、大日本帝國は直ちにイギリスのアジア植民地を攻撃し、背後からソ連を牽制せよ! 我が第三帝国と共に、世界を分割する聖戦に参加せよ』……だそうです」
「聖戦、ね」
幸隆は、ふうっと呆れたようなため息をついた。
「結城。ドイツの外務省へ、直ちに返電を打て」
幸隆の三白眼が、極めて事務的で、冷酷な政治家の光を放つ。
「『我が大日本帝國は、ヨーロッパの紛争において絶対なる不介入(中立)を宣言する。また、帝国議会において全会一致の賛成が得られなかったため、誠に遺憾ながら、貴国への軍事的支援は不可能である』……とな」
「は、ははっ!! 直ちに!!」
第三章で幸隆が仕込んだ、最悪のリーガル・トラップ。
『議会の全会一致がなければ軍事支援はしない(検討する用意があるだけ)』という一文が、ここで完璧な効力を発揮した。
日本は国際法上、一切の義務違反を問われることなく、ヨーロッパの殺し合いから合法的に「完全バックレ」を決めたのだ。
◆
「Nein! Nein! Nein!! あの極東の詐欺師どもめェェェッ!!」
ドイツの総統地下壕で、ヒトラーが再び発狂して電話機を叩き壊している頃。
日本国内には、幸隆の冷徹な計算通り、空前の「大特需」が舞い込んでいた。
「総理! イギリスやオランダのアジア植民地(東南アジア)から、莫大な物資の発注が殺到しております!」
結城が、山のような発注書の束を抱えて報告に上がる。
「当然だ。ヨーロッパの連中は今、自国の工場で大砲の弾と戦車を作るのに必死で、服や日用品、工作機械なんかを作っている余裕はない。……そこに、ぽっかりと『巨大な需要の穴』が空く」
幸隆は、ホワイトボードに東南アジアと中東の地図を描いた。
「我が国は、第四章の改革(規格化と労働者の待遇改善)で、すでに世界最高水準の『基礎工業力』と『生産ライン』を持っている。……ヨーロッパの奴らが殺し合いをしている間、俺たちは安全な特等席で、世界中に日用品や機械部品を高値で売りさばく『世界の工場』になるんだ」
アメリカ市場を失ったダメージなど、この世界規模の「大戦特需」の前に一瞬で吹き飛んだ。
日本の港からは、連日連夜、満載の貨物船が東南アジア、インド、中南米へと出港していき、代わりに莫大な外貨と資源が日本へと流れ込んできたのだ。
「戦争は最大の無駄遣いだが……他人がやる戦争に『スコップとメシ』を売りつけるのは、最高のビジネスだ」
幸隆は、執務室の窓から、活気に沸く帝都の街並みを見下ろして不敵に笑った。
「ルーズベルトの野郎、今頃ホワイトハウスで頭を抱えているだろうよ。……経済制裁(兵糧攻め)で干し殺すつもりが、逆に我が国が世界中の富を独占し始めているんだからな」
太平洋の向こう側で、車椅子の怪物(FDR)がギリッと奥歯を噛み締める音が、幸隆にははっきりと聞こえていた。
「さあ、武力も経済も通じないとなれば、次は『道徳(大義名分)』で殴りかかってくるのがアメリカの手口だ。……吉田、極上の『役者』を呼んでこい。奴らの大好きな『民主主義』という武器を、真っ向からへし折ってやる」
世界中が血みどろの戦争に突入する中、一発の銃弾も撃たずにボロ儲けを続ける大日本帝國。
最強の与党幹事長による、超大国アメリカの「正義の仮面」を引き剥がすための、次なる一手が打たれようとしていた。




