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EP 9

空の王者の誕生前夜――十二試艦上戦闘機

昭和13年(1938年)冬。

名古屋、三菱重工業の大江工場。

冷え切った巨大な格納庫の中央。そこには、これまでの大日本帝國海軍の常識を根底から覆す、一機の新型戦闘機が鎮座していた。

『十二試艦上戦闘機』。

史実において、のちに無敵の伝説を創り上げ、そして悲劇の象徴となる「零式艦上戦闘機(零戦)」の試作機である。

だが、幸隆が支配するこの世界の『十二試』は、史実とは全く違う異形の進化を遂げていた。

空力特性を極限まで追求した堀越二郎設計の流麗な機体。……しかし、その機首には、史実の空冷星型エンジンではなく、ドイツから掠め取ったダイムラー・ベンツ社製液冷倒立V12エンジン『DB601』が、本田宗一郎の手によって完璧に組み込まれていた。

「……信じられん。本当に、あの気難しいドイツの液冷エンジンを、この細い機体に収めきるとは」

格納庫を訪れた海軍航空本部長・山本五十六が、圧倒的な威圧感を放つ新型機を見上げ、感嘆の声を漏らした。

「本田の野郎が、『カウル(エンジンカバー)を一ミリでも削ったら、俺がお前のクビを削る』と堀越に掴みかかりましてな。……おかげで、世界一空気抵抗の少ない、最凶の機首が出来上がりました」

幸隆は、ブラックコーヒーをすすりながら、不敵に微笑んだ。

その傍らでは、寝食を忘れて組み上げた本田宗一郎が、油まみれのツナギ姿で、エンジンの調子を確かめるようにカウルを撫で回している。

「総理。……これ、本当に海軍の要求した『格闘性能』を維持できているのですか? 液冷エンジンは重い。これまでの海軍の常識では、重い戦闘機は小回りが利かない(旋回性能が悪い)はずですが」

山本が、設計者の堀越二郎を振り返った。

「本部長。……それは、『古い常識』です」

堀越は、静かだが、確固たる自信を秘めた目で、自らの最高傑作を見つめた。

「本田さんが組み上げたこのエンジンの馬力は、海軍の想定を遥かに超えています。……重い? 構いません。その重さを、圧倒的な『パワー』でねじ伏せればいい。……これは、ただ小回りが利く(旋回する)だけの戦闘機ではありません。敵が気づく前に超高速で接近し、一撃で粉砕し、そのまま一気に離脱する……。空の戦いのルールを変える、真の『王者』です」

堀越は、幸隆から提示された現代の戦術理論(一撃離脱戦法)を、この機体に完全に反映させていた。

「さらに、総理の強いご命令により……史実じょうしきではあり得ない装備を施しました」

堀越は、機体のコクピットと燃料タンクを指差した。

「パイロットを守るための『防弾鋼板』。そして、燃料タンクに弾が当たっても自動的に穴を塞ぐ『自動消火装置セーフティ・バルブ』。……これらを装備したため、機体重量はさらに増えましたが、本田さんのエンジンは、それすらも笑い飛ばすほどの馬力があります」

史実の零戦の最大の悲劇。それは、軽量化のために防弾装備を一切排した結果、優秀なパイロットを次々と失ったことだった。

だが、幸隆はそれを許さなかった。「工作機械の規格化」によって基礎工業力を底上げし、本田宗一郎に最強のエンジンを組ませ、防弾装備という「重り」を、圧倒的な「馬力」で解決したのだ。

「……一人の兵士も無駄死にさせない。それが、俺の国の『モノづくり』だ」

幸隆は、ハイライトの煙を静かに吐き出した。

「さあ、堀越、本田。……お前たちの創り上げたこの怪物が、本当に世界を制覇できるのか。……テスト飛行で、海軍の老害どもに『答え合わせ』をしてやろうじゃないか」

幸隆の言葉に、堀越二郎と本田宗一郎、そして山本五十六が、それぞれの熱い想いを胸に、新型機を見つめた。

昭和13年末。

大日本帝國海軍の真の最高傑作、十二試艦上戦闘機。

空の歴史を塗り替える怪物の誕生前夜。

その羽ばたきは、海の向こうの超大国アメリカを、絶望の淵へと叩き落とす準備を整えていた。

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