EP 4
財閥の強欲と「トリクルダウンの嘘」
昭和12年(1937年)秋。
首相官邸、大広間。
「近衛総理! 我が三井、そして三菱をはじめとする財閥各社は、アメリカとの合弁事業および、先日の『工作機械の全国配備(規格化)』の恩恵を受け、かつてないほどの空前の大黒字を叩き出しております!」
三井財閥の総帥が、満面の笑みで分厚い決算報告書をテーブルに置いた。
隣に座る三菱のトップも、我が世の春と言わんばかりにふんぞり返っている。
「これもすべて、総理の卓越した外交手腕の賜物。……つきましては、この莫大な利益を我々の『内部留保』としてプールし、いずれ時期を見て新たな設備投資へ回すことで、いずれは下々の労働者にも富が滴り落ちる(トリクルダウン)ことでしょう」
「……ほう。富が滴り落ちる、ね」
幸隆は、最高級の革張りソファに深く腰掛け、淹れたてのブラックコーヒーをすすった。
その傍らで、外務大臣の吉田茂が、葉巻の煙をふうっと天井に向けて吐き出す。
「総理。こいつら、現代(未来)の言葉で言う『トリクルダウン理論』をドヤ顔で語っておりますぞ。上が儲かれば、いずれ下にもおこぼれが落ちる、と」
吉田が、ニヤリと悪党の笑みを浮かべて幸隆に耳打ちする。
「ああ。絵に描いたような『詐欺師の言い訳』だ」
幸隆はコーヒーカップをソーサーに叩きつけるように置き、冷酷な三白眼で財閥のトップたちを睨みつけた。
「ふざけるな。コップの水が溢れるのを待っていたら、その前に下の人間は渇きで死ぬんだよ」
「そ、総理……? 突然何を……」
三井の総帥が、戸惑ったように顔を引きつらせる。
「お前ら財閥が溜め込んだカネは、ただの『死に金』だ」
幸隆は立ち上がり、ホワイトボード(当時としては特注の白板)の前に立つと、太いマジックで一本の円を描いた。
「経済ってのはな、人間の体と同じだ。血液が全身を猛スピードで駆け巡って、初めて健康(好景気)と言える。お前たちのような一部の巨大な臓器(財閥)が、血液を独占して溜め込んでいたらどうなる? 末端の手足(労働者や下請け)は壊死するんだよ」
「し、しかし! 企業がいざという時のために備えを蓄えるのは当然の防衛策で……!」
「国から莫大な補助金と最新の機械をもらっておいて、防衛策だと? 寝言は寝て言え」
幸隆の怒声が、大広間に響き渡る。
「お前らがカネを溜め込んで、労働者の賃金を安く据え置いているせいで、国民は誰もモノを買えない。……モノが売れなければ、お前たちの作っている製品もいずれゴミになる。そんなこともわからんのか、三流の守銭奴どもめ」
幸隆は、容赦なく財閥トップたちの強欲を切り捨てた。
「俺が欲しいのは、一握りの大金持ちじゃない。分厚い『中間層』だ。全員が腹一杯メシを食い、休日に買い物をして、内需(国内の消費)を爆発させる……最強の『一億総中流国家』だ」
幸隆は、一枚の新しい法案の束を、彼らの鼻先に叩きつけた。
「今日から、この国のルールの前提を変える」




