EP 3
油まみれの異端児――本田宗一郎の抜擢
ブロロロロォォォッ!!
総理大臣と海軍のトップがいる厳戒態勢の試験場に、一台の改造オートバイがオイルの匂いを撒き散らしながら突っ込んできた。
警備の憲兵たちが慌てて銃を構える。
「止まれッ! 何者だ貴様ッ!」
「うるせえ! どきな、俺はエンジンを見に来たんだよ!」
バイクから飛び降りたのは、油にまみれたツナギを着た、眼光の鋭い小柄な青年だった。
彼は憲兵の制止も、山本五十六の階級章も、近衛総理の顔すらも一切無視して、真っ黒に焼け焦げた『DB601』エンジンの残骸へと一直線に歩み寄った。
「……おいおいおい、なんて無惨な壊れ方してやがる」
青年は、熱も冷めきっていないシリンダーブロックを素手で撫で回し、欠けたギアの破片を顔の真ん前まで持ち上げて、ギリッと奥歯を鳴らした。
「誰だ、このエンジン組んだ素人は。……ドイツの図面は完璧でも、組む奴が『鉄の悲鳴』を聞き取れてねえ。クランクシャフトの芯出しが甘いから、高回転で暴れて軸受けが焼き付いたんだ。それに、この鉄の材質! 不純物だらけじゃねえか。これじゃエンジンじゃねえ、ただの空飛ぶ鉄の棺桶だ!」
初対面の海軍将官や三菱の技術者たちを前に、一切の躊躇なく浴びせられる容赦のないダメ出し。
山本五十六は目を丸くし、堀越二郎は青年の的確すぎる指摘に息を呑んだ。
「き、貴様ッ! 総理の御前であるぞ!」
憲兵が青年の胸ぐらを掴もうとした瞬間。
「よせ。……面白い男じゃないか」
幸隆が憲兵を制止し、青年の前に歩み出た。
「お前が、浜松の修理工場で、どんなエンジンでも直してしまうという『天才』だな」
「天才? 違うね。俺はただ、機械と鉄のことが世界中の誰よりも好きなだけの、ただの鍛冶屋の倅だよ」
青年は、油で真っ黒になった顔を上げ、一国の総理大臣を真っ向から睨みつけた。
「本田宗一郎だ。……あんたが総理大臣か。俺をこんな所に呼びつけて、何をやらせようってんだ?」
史実において、のちに世界的自動車メーカー『ホンダ』を創設し、マン島TTレースやF1で世界を制覇することになる、昭和のモノづくりにおける最強の異端児。
「簡単なことだ、本田」
幸隆は、自身の最高級スーツが油で汚れることも厭わず、本田の肩に手を置いた。
「俺が国中の町工場を近代化して、最高の規格化部品を揃えてやる。お前はそれを使い、この堀越が描いた『ドイツを超えた設計図』を、現実の空に飛ばしてみせろ」
幸隆の言葉に、本田宗一郎の瞳の奥で、強烈な炎がボワッと燃え上がった。
「最高の部品と、最高の図面……。なるほど、俺に『世界一のエンジン』を組めってことか」
本田はニヤリと、猛獣のような笑みを浮かべた。
「いいだろう、総理大臣! 引き受けてやる! その代わり、金と設備はいくらでも使わせてもらうぜ。……海軍の偉いさんの口出しも一切無用だ!」
「構わん。好きにしろ。結果さえ出せば、文句は言わん」
幸隆は、本田の油まみれの右手と、固く握手を交わした。
現代の規格化のロジック(JIS)と、堀越二郎の空力設計、そして本田宗一郎の異常なまでの機械への執念。
大日本帝國を本当の意味で「世界最強の技術大国」へと押し上げる、泥臭くも熱い『モノづくりの戦い』が、ついに幕を開けたのである。




