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第四章 技術チートの壁と、列島改造(一億総中流化)への道

舶来の設計図と「現場の絶望」――答え合わせの代償

昭和12年(1937年)夏。

愛知県名古屋市、三菱内燃機製造の航空機工場。

「……信じられない。これが、ドイツの最新鋭航空エンジンの図面……。まるで、精密なスイス時計の設計図を見ているようだ」

三菱の若き天才設計主務、堀越二郎ほりこし じろうは、机の上に広げられた巨大な青写真ブループリントを前に、息をするのも忘れて見入っていた。

ヒトラーを合法的な詐欺条約で出し抜き、ドイツから手に入れたダイムラー・ベンツ社の液冷倒立V型12気筒エンジン『DB601』の完全な設計図と、その実物モデル。

気化器キャブレターを使わず、シリンダー内に直接燃料を噴射するという、当時の日本ではSF小説のような超技術がそこに描かれていた。

「どうだ、堀越技師。帝國海軍の次期主力戦闘機に、この心臓エンジンを積めるか?」

背後から声をかけたのは、海軍航空本部長の山本五十六少将だった。

「積めます。この圧倒的な馬力と空気抵抗の少ない液冷エンジンがあれば、海軍の要求する『航続距離』と『格闘性能』、そしてこれまで不可能だった『重装甲』をすべて両立させた、世界最強の戦闘機が作れます!」

普段は物静かな堀越が、少年のように目を輝かせて断言した。

ドイツの最新技術と、日本の天才設計者の融合。

誰もが、半年後には世界を凌駕する無敵の戦闘機が日本の空を舞うと信じて疑わなかった。

   ◆

――それから、三ヶ月後。

キュルルルルルルッ……!

ガガガガガァァァンッ!!

三菱のエンジン試験場に、耳をつんざくような金属の破断音と、真っ黒な白煙が立ち込めた。

「止めろッ! エンジン停止! 燃料コックを閉じろッ!」

作業着を油まみれにした工員たちが、悲鳴を上げながらテストスタンドに駆け寄る。

「駄目です、堀越主任! またクランクシャフトの軸受けが焼き付きました! シリンダーブロックからも大量のオイル漏れが……!」

「ギアの歯も完全に欠けています! これで試作五基目、すべて全損です!」

もうもうと上がる黒煙の中で、堀越二郎は、真っ黒に焼け焦げたエンジンの残骸を前に、膝から崩れ落ちていた。

「……なぜだ。図面通りに、一ミリの狂いもなくコピーしたはずなのに……」

堀越の唇からは、血が出るほど強く噛み締めた跡があった。

視察に訪れていた山本五十六も、苦渋に満ちた表情でその惨状を見つめている。

「図面は完璧なはずだ。ドイツの工作機械も導入した。……何が足りないのだ、堀越」

「……『全部』です、本部長」

堀越は、足元に転がっていた、ひしゃげたボルト(ネジ)を拾い上げ、絶望の籠もった声で呟いた。

「設計図という『答え』はわかっているんです。でも、その答えを書き写すための『鉛筆』が、今の日本にはない」

堀越は、拾い上げたボルトを山本に見せた。

「ドイツの図面が要求するボルトの公差(サイズの誤差)は『ミクロン(1000分の1ミリ)』単位です。しかし、今の日本の下請けの町工場が作ってくるネジは、職人の『勘』に頼っているため、同じ規格のネジでも『ミリ単位』で大きさが違う。……ネジ一本の精度がバラバラなんです」

さらに堀越は、欠けたギアを指差した。

「それに、鉄の質(冶金技術)が根本的に違います。ドイツの特殊鋼の強度に比べ、我が国の鉄は不純物が多すぎて、高出力のエンジンの回転に耐えきれず、すぐに金属疲労で砕け散ってしまう」

天才設計者と、完璧な設計図。

しかし、それを形にするための「基礎工業力(ネジ、鉄、パッキンのゴムの質)」が、当時の日本は欧米から二十年も遅れていたのだ。

「二流の部品をどれだけ寄せ集めても、一流のエンジンにはならない……。我々は、分不相応な夢を見ていたんです……」

堀越の目から、悔し涙が溢れ落ちた。

海軍の期待を背負いながら、己の無力さと、国の工業力の限界に打ちのめされる天才。

「……泣き言を言うな、三流が」

その時。

黒煙と油の匂いが立ち込める試験場に、極めて冷たく、そして場違いなほど高級なスーツを着こなした長身の男が現れた。

「そ、総理……!?」

山本五十六が驚愕して直立不動の姿勢をとる。

近衛文麿(若林幸隆)であった。

一国の総理大臣が、お忍びで一介の民間航空機工場、それも油と煤にまみれた試験場に直接足を踏み入れてきたのだ。

幸隆は、無造作に歩み寄ると、堀越の掌から粗悪な作りのボルトをつまみ上げた。

「ドイツの真似事をして、そのまま空を飛べると思っていたのか? ……職人の勘に頼った、規格もバラバラなこんな鉄クズで」

「そ、総理! 堀越技師を責めないでいただきたい! 彼は図面通りに完璧な指示を……」

山本が庇おうとするが、幸隆はそれを手で制した。

「わかっている。堀越、お前の頭脳に狂いはない。狂っているのは、この国のアホみたいな『モノづくり』の根本だ」

幸隆はボルトを床に投げ捨て、革靴で踏みつけた。

「図面通りに動かないなら、動く部品を作れるように、国の仕組み(システム)の方を根底から造り変えてやる」

現代日本が世界を制覇した最強の武器、「JIS(日本産業規格)」という概念を知る男の三白眼が、鋭く光る。

「おい、堀越。涙を拭け。……お前の書いた図面を100パーセント体現できる『狂った職人エンジニア』を、俺が一人、連れてきてやる」

絶望のどん底に落とされた航空機工場に、最強の与党幹事長が、現代の「規格化」と「異端の天才」を武器に殴り込みをかけた瞬間だった。

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