EP 5
石原莞爾の謀略――孤立する総理官邸
ナチス・ドイツ特使の面前での、冷酷なまでの同盟拒否。
幸隆が放った「差別主義は金にならない」という強烈なメッセージは、世界中の知識人から密かな賞賛を浴びた。だが、当時の熱狂する日本国内においては、完全に逆効果となった。
『近衛総理、ゲルマンの盟友を冷遇!』
『米英の拝金主義に魂を売った弱腰内閣を打倒せよ!』
この世論の沸騰を、参謀本部の一室でチェスの駒を転がしながら、冷たく見つめている男がいた。
石原莞爾である。
「……見事だ。やはりあの男は『正解』を選びすぎている。だが、正論だけで大衆の熱狂を抑え込めるほど、この国は成熟していない」
石原は、独自のルートで海軍の「艦隊派(大和建造中止で恨みを持つ過激派)」と、民間右翼のテロリストたちを密かに煽動していた。
「東洋と西洋の最終戦争に向けて、あのような『拝金主義の怪物』に国を任せておくわけにはいかん。……舞台は整った」
石原莞爾の恐るべき頭脳は、たった一夜にして帝都の警備網をズタズタに引き裂いた。
彼は、幸隆の猟犬である東條英機の憲兵隊に対し、「共産党の武装蜂起の兆候あり」という精巧な偽情報を流し、帝都の主力部隊を郊外へと陽動したのだ。
昭和11年12月、大雪の夜。
首相官邸は、完全に孤立していた。
「総理! 電話線が切断されています! 警視庁にも、陸軍省にも繋がりません!」
結城秘書官が、受話器を何度も叩きつけながら悲鳴を上げた。
執務室の窓の外。雪明りの中に、黒い影が無数に蠢いているのが見える。
抜身の日本刀と、軍用拳銃で武装した数十名の暗殺部隊だ。
「……やれやれ。石原の野郎、世論のガス抜きを怠った隙を突いてきやがったか。見事な手際だ」
幸隆は、ソファで葉巻をふかしていた外務大臣・吉田茂を一瞥した。
「吉田。お前は結城を連れて、隠し金庫の奥のシェルターに隠れていろ」
「総理、貴方はどうするおつもりで? まさか、一人で話し合いにでも行く気ですか。奴ら、完全に血に飢えた獣の目をしていますぞ」
「話し合い? 馬鹿言え」
幸隆は、首に巻いていたネクタイをゆっくりと引き剥がし、最高級のスーツの上着を脱ぎ捨てた。
ガシャァァァンッ!!
一階の正面玄関のガラスが破られ、テロリストたちが雪崩れ込んでくる音が響き渡る。
怒号と、官邸警察の警備員たちが次々と斬り伏せられる悲鳴。
「家の中に薄汚いネズミが入ってきたんだ。……家主が自ら、駆除してやる」
幸隆は、ワイシャツの袖をまくり上げながら、その三白眼に『元・防衛大臣』としての、そして数々の修羅場を素手でくぐり抜けてきた本物の『殺気』を宿した。




