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EP 3

本物の「天才」の登場――異端の石原莞爾

昭和11年、冬。

戦艦大和の建造中止という海軍の急所を、議会での公開処刑によって見事にへし折った幸隆。

だが、その鮮やかすぎる手口を、陸軍参謀本部の一室で、じっと見つめ続けている男がいた。

陸軍大佐・石原莞爾いしわら かんじ

かつて、軍中央の命令を無視して独断で軍を動かし、満州事変を実質一人で成功させた「帝国陸軍一の異端にして天才」である。

石原は、壁に掛けられた巨大な世界地図の前に立ち、チョークで引かれた何本もの線をなぞっていた。

「……あり得ない」

石原は、ポツリと呟いた。

その背後で、部下の参謀が訝しげに尋ねる。

「大佐殿? 何がでありましょうか。近衛総理は、海軍の老害どもを見事に黙らせました。我々陸軍としても、航空機重視の姿勢は歓迎すべきでは?」

「違う。問題はそこじゃない」

石原はチョークを置き、ギラギラと光る鋭い眼光で部下を振り返った。

「満州へのアメリカ資本の誘致。東條少将を使った急進派の物理的排除。そして今回の、データに基づく戦艦建造の白紙撤回。……近衛公爵のやっていることは、すべてが『正解』すぎるのだ」

石原の頭脳は、常人の何手も先を読んでいる。

「これまでのあの男は、血を見るのを嫌い、常に各派閥の顔色を窺うだけの優柔不断な貴族だった。それが、大命降下を受けたあの日から、突如として『世界規模の地政学』と『完璧なマクロ経済の知識』を持ち出し、一手のミスもなく国を動かしている。……まるで、遠い未来から『歴史の答え合わせ』でも見ながら政治をやっているようではないか」

部下の参謀は、石原の言葉の意味が理解できず首を傾げた。

だが、石原の直感は、恐るべき真実に触れかけていた。

「あの容赦のない政治の進め方、人の欲望カネを縛り付ける悪魔的な手腕。……あの中に入っているのは、近衛公爵ではない。得体の知れない『別の怪物』だ」

   ◆

数日後。

首相官邸の執務室に、一人の軍人がアポなしで面会を求めてきた。

「石原莞爾大佐……。あの満州事変の首謀者か」

幸隆は、秘書官の結城から名刺を受け取り、眉をひそめた。

史実を知る幸隆にとって、石原莞爾は極めて厄介な存在だ。牟田口のような精神論の馬鹿なら御するのは簡単だが、石原は超一流の戦略家であり、同時に「最終戦争論(いずれ東洋と西洋が世界の覇権を懸けて最終戦争を行うという思想)」という狂気を孕んだ男だからだ。

「通せ」

執務室に入ってきた石原は、軍人らしくない飄々とした態度でソファに腰を下ろした。

「お初にお目にかかります、近衛総理。……いや、本当に『近衛公爵』であらせられますかな?」

開口一番、石原の放った探りのジャブに、幸隆の目がスッと細められた。

「何が言いたい、石原大佐。俺の血筋に文句でもあるのか」

「滅相もない。ただ、貴方様の描く盤面が、あまりにも『近衛公爵らしくない』見事なものでしてな。……総理は、アメリカの資本を満州に入れました。これで当面、日米戦は回避できるでしょう。だが、いずれ起きる『最終戦争』の準備としては、いささか手ぬるい」

石原は身を乗り出し、不気味な笑みを浮かべた。

「西洋文明と東洋文明は、いずれ必ず激突する。その最終戦争に勝利するためには、満州を完全に日本の統制下に置き、国家の全生産力を戦争準備に振り向ける『高度国防国家』の建設が不可欠です。総理のやっていることは、ただのビジネス(拝金主義)に過ぎない」

「最終戦争、ね……」

幸隆は、新しく火を点けたハイライトの煙を、石原の顔に向けてふうっと吹きかけた。

「石原。お前の頭の良さは認めてやる。だが、お前の妄想ハルマゲドンに、国民の血と胃袋を巻き込むな」

「妄想だと?」

「そうだ。戦争なんてものはな、一部の狂った軍人や政治家が、自分のイデオロギーを満たすために起こす『最大の無駄遣い』だ。俺は、東洋と西洋の最終戦争なんてものに一円も払う気はない」

幸隆はデスクに両手を突き、石原を冷酷に見下ろした。

「俺がやっているのはビジネスだ。国民を飢えさせず、国を豊かにし、誰も日本に手出しできないシステムを作る。……お前がいくら天才でも、この『現代のロジック』は覆せない」

バチバチと、執務室の空気が弾けるような極度の緊張感。

狂気と天才の軍人・石原莞爾と、現代の合理主義の権化・若林幸隆。

二人の怪物が、互いの魂の奥底にある「異質さ」を完全に認識し合った瞬間だった。

「……なるほど。やはり貴方は、私の知る近衛文麿ではない。……ですが、総理。貴方の『拝金主義』を、今の国民と軍部がいつまで支持し続けるでしょうかね?」

石原が不敵に笑って立ち上がろうとした、その時である。

執務室の扉が勢いよく開き、外務大臣の吉田茂が、葉巻をくわえたまま飛び込んできた。

「総理! 緊急事態ですぞ!」

吉田の顔には、これまでにないほどの焦燥感が浮かんでいた。

「ドイツの特使が、極秘裏に帝都入りしました。……ヒトラーの野郎が、我が国に対して『日独防共協定』……事実上の軍事同盟の締結を、強烈に迫ってきております!」

「ナチス・ドイツだと……!」

幸隆が舌打ちをする。

その言葉を聞いた石原莞爾は、ニヤリと、悪魔のような会心の笑みを浮かべた。

「ほう……第三帝国からの同盟の誘い。今の日本国民なら、間違いなく熱狂するでしょうな。……さあ、総理。この『甘い毒』を、貴方はどうやって飲み込むおつもりかな?」

石原が残した不吉な言葉とともに、世界を焼き尽くす巨大な火種が、ついに幸隆の足元へと投げ込まれた。

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