第4章 人事トラブル(後半)
文化祭の準備は、予定どおりに進んでいた。
掲示は整い、連絡も滞らない。
判断はすべて九条のもとで整理され、全員が安心して任せている。
「次、どっち行けばいい?」
廊下で声をかけられると、九条は立ち止まらずに答える。
「体育館。設営は先に位置だけ決めて」
「了解」
短いやり取りがいくつも重なる。
止まることはない。
透は少し離れたところで、それを見ていた。
声が届く距離。
手を伸ばせば触れられる距離ではない。
放課後、生徒会室に戻ると、机の上に付箋が増えていた。
色も大きさもばらばらで、内容は簡潔だ。
「これ、確認しておくね」
九条は、誰にともなく言った。
「全部?」
誰かが聞く。
「うん。判断必要なのだけ」
誰も反対しない。
判断が早い方が全体は楽になる。
時計の針が進み、外が暗くなる。
生徒会室には、紙をめくる音とペンの音だけが残る。
「九条、今日はもう帰っていいんじゃない?」
副会長が言った。
「もう少しだけ」
顔を上げずに答える。
「明日でもいいよ」
その言葉も、正しい。
「明日だと遅れるから」
九条は付箋を一枚剥がした。
剥がした跡に、薄い粘着の影が残る。
透は、その影を見ていた。
誰も見ない場所。
しばらくして、生徒会室の人数は減った。
帰る理由はそれぞれで、特別なことはない。
最後に残ったのは、透と九条だけだった。
空調の音が、やけに大きく聞こえる。
「相沢」
九条が言った。
「これ、見てくれる?」
差し出されたのは、配置図の一部だった。
透は頷き、目を通す。
修正点は妥当だ。
どれも、小さな判断だ。
「問題ないと思う」
透が返す。
「ありがとう」
九条は紙を引き寄せた。
そのとき、ペン先が止まった。
書き込むはずの線が、紙の上で途切れる。
「……」
九条は、何も言わない。
透も、何も言わなかった。
数秒後、九条はペンを置き、紙を整えた。
深呼吸ではなく、姿勢を正すような動作。
「大丈夫?」
透が、低く聞いた。
「うん」
即答だった。
それ以上の言葉は続かない。
話す必要がないことを、二人とも知っている。
帰り道、校舎の外は静かだった。
準備は順調で、問題は表に出ていない。
正しさは、誰も傷つけず、誰も間違えていない。
けれど、その重さを一人で抱える人がいることを、透は知っていた。




