第4話 名前のない朝
朝は、
音でやってきた。
チャイムのような、
でも学校とも違う、
少し柔らかい電子音。
少年は、
その音に驚いて目を開けた。
天井は白い。
昨日――という感覚すら、
はっきりしない。
「……?」
声を出そうとしたが、
喉から漏れたのは
小さな息だけだった。
自分の声が、
自分のものじゃない気がした。
⸻
ベッドの横に置かれた端末が点灯する。
おはようございます。
本日より、あなたは
第七居住棟・Bグループに所属します。
文字は読める。
意味も分かる。
なのに、
「なぜ読めるのか」は分からない。
制服が用意されていた。
ブレザー。
小さな靴。
まだ少し新しい匂い。
着替えながら、
少年は鏡を見た。
知らない顔。
だが、
なぜか目だけが懐かしい。
「……誰だ」
問いは、
宛先を失って床に落ちた。
⸻
食堂には、
同じくらいの年の子供たちが
すでに集まっていた。
十数人。
皆、静かだった。
笑う子はいない。
泣く子もいない。
それが、
一番奇妙だった。
向かいの席に座った少年が、
小さな声で話しかけてくる。
「きみも……
ここ、初めて?」
少年は、
少し考えてから頷いた。
言葉を選ぶ、
その癖だけが、
なぜか身体に残っていた。
⸻
朝食の後、
全員がホールに集められた。
壇上に立ったのは、
三浦 玲奈だった。
昨日とは違う、
“先生”の顔。
「今日から、
皆さんはここで
生活を始めます」
「皆さんには、
共通点があります」
子供たちは、
息をひそめて聞いている。
「それは、
ここに来る前の記憶が
存在しない、ということ」
誰かが、
小さく息を呑んだ。
「不安に思う必要はありません。
必要な教育、環境、
すべて国が用意しています」
玲奈は一人ひとりを見た。
――ごめんなさい。
そう言っているように。
⸻
次に呼ばれたのは、
名前だった。
新しい名前。
「……ユウト」
呼ばれた瞬間、
胸の奥が、
微かに揺れた。
理由は分からない。
だが、
それだけは
「自分に向けられた音」だと
はっきり分かった。
「今日から、
あなたの名前はユウトです」
ユウト。
その音が、
心のどこかに
静かに沈んでいく。
⸻
午後は、
基礎適性の確認だった。
読み書き。
計算。
運動。
驚くほど、
身体がついてくる。
考えなくても、
正しい姿勢を取れる。
順番を守れる。
他人の様子を、
無意識に気にしている。
職員たちは、
何も言わず、
ただ記録を取った。
「……やっぱり」
誰かが、
小さく呟いた。
⸻
夜。
ベッドに横になったユウトは、
胸の奥の違和感を
ずっと感じていた。
子供なのに、
なぜか
「時間が残り少ない」気がする。
理由は分からない。
名前も、
過去も、
持っていないはずなのに。
それでも。
眠りに落ちる直前、
誰かの声が聞こえた。
「先生……」
自分の口から出た言葉に、
ユウトははっとする。
――なぜ、
その言葉を知っている?
答えは、
闇の中に溶けた。
⸻
遠くの管理室で、
三浦 玲奈は
一つの報告書を閉じた。
〈被験体 No.27
感情反応、想定値以上〉
彼女は、
小さく息を吐く。
「……メビウスは、
全部は消せない」
その呟きは、
誰にも聞かれなかった。




