一抹の不安
5月。新緑が鮮やかに芽吹く季節。優輝と康平は、四歳になる年を迎えていた。この年は面会が中心で、十三夫妻はほぼ毎週とはいかないまでも、月に1〜2回は康平も連れて施設に足を運んでいた。当然、施設の許可をとった上である。
夫妻にとって可笑しかったのは康平の反応だった。普段から家の中で大きな声ではしゃぎ周り、施設に来ても色々なものに興味津々だったのに、面会室に通されて来た優輝と初めて対面した時は、借りてきた猫のようにじっとしていたのだ。
「おい、どうした康平」
十三にそう問われた康平は、少しモジモジしながら珠紀に抱きつこうとした。
「やだ、この子ったら照れてるじゃない」
「照れてるぅ?初めて幼稚園行っても人見知りもしなかったのにか?」
優輝を目の前にして恥じらう康平の様子を見て、2人は笑い声を上げた。林もつられて笑う。優輝だけが状況を掴めずにポカンとしていた。
しかし、それも最初だけで、康平も3回目の面会では普段の調子に戻っていた。面会室では、相変わらず優輝は最初こそ少し照れくさそうにしていたが、康平の明るい笑顔や元気な声に励まされるかのように、徐々に自分から笑顔を見せることが増えていた。二人は同じ年齢であることもあって、不思議なほど自然に打ち解ける。康平もまた、優輝の小さな手を握ったり、絵本を一緒に読むことに夢中になったりしていた。
「こらこら、二人とも仲良くね」
珠紀が微笑みながら声をかける。
十三は、二人が互いに少しずつ慣れていく様子を見守りながらも、心のどこかで「短時間の面会だけでは不十分ではないか」という思いを抱いていた。施設に置かれたままの時間が長ければ長いほど、優輝の心の負担は増す。康平も一緒に来ていることで、家庭の温かさを少しでも感じさせられるのなら、負担は軽減できるはずだと考えた。
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翌年、二人が五歳になる年の春。十三夫妻は、施設に週末里親として登録する事を決めた。
最初の迎え入れは、土、日のいずれかの1日だけの短時間から始める。施設職員の林さんも付き添い、優輝に家庭での生活を少しずつ経験させることを確認した。
康平はもちろん家にいる。最初のうちは、兄弟が同じ家にいることによる刺激が多く、優輝にとっては少し緊張もあった。しかし、十三夫妻は焦らず、家庭の自然な日常を見せることに徹した。朝食の時間、昼の絵本読み、庭先での遊び、夕食作りの手伝い――どれも特別なことではなく、あくまで日常の一部として経験させる。
「康平も、優輝も、ゆっくり慣れればいいんだ」
十三は自分にそう言い聞かせながら、二人の小さな笑顔を見つめた。
週末の滞在が二回、三回と重なるにつれ、優輝も康平も互いの存在に安心感を覚え、家庭の生活リズムに少しずつ溶け込むようようになった。林さんも「順調ですね」と微笑んだ。
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「十三……ちょっといいか」
優輝が六歳になった年のこと。週末里親の登録から一年が経ち、少しずつ家庭に馴染みつつある時期だった。夕食後、座敷で湯呑を片手にしていた父・辰馬が、真剣な顔で十三に声をかけた。
「どうしたよ、親父」
十三が振り返ると、辰馬はしばし考えるように目を細め、それから重い口を開いた。
「お前……優輝のこと、この先どうするつもりだ」
「どうするって……」
十三は思わず聞き返す。問いの意味を探ろうとしたが、父の声音は軽い雑談ではなく、深く考え抜いた末のものだと分かる。
「優輝もうちに来るようになってから、もう随分になる。お前たちにもよく懐いてきたし、康平とも兄弟みたいにやってる」
辰馬がそう言うと、十三も頷いた。
「そうだな……最初は随分と大人しかったけど、今じゃ俺に抱きついてきたり、笑ったりするし。珠紀にもよく『ハンバーグ食べたい』なんてねだるようになってきたよ」
二人のやり取りに、温かい情景が自然と思い浮かんでくる。だが辰馬は、すぐに言葉を続けた。
「だからこそだ。うちで面倒を見るなら、週末里親に甘んじるんじゃなくて、もっとはっきり態度を示してやれ。養育里親でも、養子縁組でもいい」
「な、なんだって!?」
十三は思わず声を上げた。頭の片隅でいつかは養子縁組も……と考えたことはあったが、それを父の口から持ち出されるとは思わなかった。
「親父の方からそんなことを言うなんて、どうしたんだ?」
辰馬はしばらく黙り、過去を思い出すように遠くを見つめた。
「ちょっとした老婆心だ。このままだと優輝が心配でな」
「心配って……本人のことじゃないのか?」
「本人じゃない。本人の周りだ」
辰馬は低い声で続けた。
「お前たちが度々施設に顔を出してやる。それ自体はいいことだ。だがな……他の子から見れば、どう思う? “優輝だけ家族が来る”“優輝だけ特別扱いだ”って」
十三ははっとした。そこまで思い至ったことはなかった。
「うちの昌次郎(辰馬の父、十三の祖父)が満州から引き揚げてきた後、戦災孤児を何人も家に入れていた話はしてやっただろう」
「……ああ、耳にタコができるくらいには」
「子供だけじゃない。戦争で子を亡くした大人が、養子縁組のために孤児を見に来ることも多かった。そのたびに、頻繁に可愛がってもらう子は、周りから妬まれて……。仲間外れにされたりしてたんだ。だから優輝のことも、どうしても気になる」
その言葉は十三の胸に重く落ちた。
「そんな……いや、まさか優輝に限って……」
けれど父の真剣な目を見れば、軽々しく否定もできない。優輝は笑顔の裏で、同じ部屋の子供たちの中で孤立しているのではないか。考えたことのなかった不安が、じわりと広がった。
「そうか……祈るしかないな。でも、考えてみるよ。言ってくれてありがとう」




