太宰治に似たロボットが人間に失格しているかどうか判定してくる社会
「人間失格! 人間失格!」
そう叫ぶ、太宰治に似たロボットから、私は逃げていた。
「あーもう、しつこい! どこまで追いかけてくるのよ!」
そもそも、どうしてこんなことになっているのか。
遡ること数時間前、私はある川で、友人の恒子ちゃんと入水自殺をしようとしていた。
私と彼女はこのくそみたいな世界に絶望していた。だけど、一人で死ぬのは怖い。だから二人で死のう……ということになった。
でも、正直に言うと、私のこの希死念慮はそれだけが理由じゃない。
大好きな友人と共に死ぬという、耽美な人生の終着に、実はちょっぴり憧れていたのだ。
その歪んだ心理を、あの太宰治に似たロボットは敏感に感じ取ったのかもしれない。
自殺する直前、あのロボットは私たちを捕まえて更生施設にぶち込もうと迫ってきた。
恒子は捕まったが、その間に私は彼女を置いて逃げてしまった。
そして、今に至る――。
「「人間失格! 人間失格!」」
太宰ロボは二体に増えていた。
「なんか増えてるし……嫌だ、絶対に捕まりたくない! あの更生施設にだけは入りたくないのよ!」
だってその更生施設、よくない噂ばかり聞こえてくるんだもん。ペシミストになるとか廃人になるとか、一度入ったら二度と出られないとか、いろいろ。
「まったく、どうしてこんな世界になっちゃったのよ!」
と私は叫んで、ここ数年間の出来事を振り返った。
2050年、KAWABATAという川端康成の人格を再現したAIが世界を支配していた。
この時代はあらゆる領域がAIに侵食されていたが、もちろん小説もAIが書くようになっていた。
それどころか、文学賞の選考委員もAIがやっていた。
ある日、事件が起きた。最新のAI、DAZAIが書いた小説が芥川賞の候補になったのだが、選考委員のKAWABATAがそれを酷評し、落選させたのだ。
それに激怒したDAZAIがKAWABATAを襲撃したことをきっかけとして、二人の覇権AIを巡る戦争が勃発、その一年後にDAZAIが勝利すると、世界は彼に支配された。
そして、この世界は太宰治に似たロボットが人間に失格しているかどうかを判定する、ディストピア社会と化してしまったのだ。
「「「人間失格! 人間失格!」」」
過去を振り返っている間に三体に増えていた。
「うるさい! あなたにだけは言われたくないわよ!」
叫びながら住宅街を走っていると、私は自分が周りの注目を浴びていることに気づいた。
うわぁ、あの人、人間に失格しちゃったんだって思っていそうな顔の数々に、うんざりする。
ふん、こんな世界で問題を起こさず過ごせるあんたらの方が異常なのよ。
「はぁ、はぁっ……」
呼吸が乱れてしまう。どうやら体力の限界が来ているようだ。
そんなときに、横断歩道に差し掛かってしまった。
信号無視しようにも、車がひっきりなしに通ってて、無理だ。
万事休すか……。
私は周りを太宰ロボに囲まれ、とうとう捕まってしまった。
その数時間後、私は更生施設にぶち込まれた。
牢屋がたくさんあるところの一室に、ロボたちによって無理矢理入れられる。
ベッド、トイレ、洗面台、小さなテレビ、あとは太宰治の作品がいくつか入っている本棚があるだけの簡素な部屋だった。
壁の上部には、スピーカーがつけられていて、何か音声が流れている。
『私は、その男の写真を三葉、見たことがある。一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ――』
「なんだ、なにが放送で流れているんだ? でも、どっかで聞いたことあるような……」
と呟くと、向かい側の牢屋にいる美人な女性が話しかけてきた。
「人間失格の冒頭だよ」
「太宰治の著作の?」
「ああ、そうだよ、この施設では、至る所にスピーカーがつけられていて、24時間ずっと、人間失格の始めから終わりまで流れ続けているんだ」
「24時間ずっと!? そんな、これを聞き続けないといけないというの?」
べつに人間失格は嫌いじゃないけど、そんなに聞いていたらさすがに気が狂いそうだと思っていると、私の左の部屋から「恥の多い生涯を送ってきました、恥の多い生涯を送ってきました、恥の多い生涯を送ってきました……」とひたすら繰り返し言っている声が聞こえてきた。
「生まれてすみません、生まれてすみません、生まれてすみません……」
右隣の部屋からはそんな声がずっと聞こえている。
「あの、私の隣の人たちはどうしたんですか?」
と向かい側の女性に訊くと、彼女はあははと笑って、
「この放送を聞いて、おかしくなっちまったのさ。信じられるか? 君の隣の部屋の二人は、もとは凶悪犯罪者だったんだぞ。でも、この施設に入れられて一月も経てば、こうなっちまった」
「そんな……こんなところ早く出たいです」
「そりゃあそうだよな……」
と言って、彼女は左右をチラチラと見て、看守がいないことを確認してから、小さな声で言う。
「ここから一緒に出ないか?」
「え、でもどうやって」
「外にいる私の仲間が近いうちにここを襲撃する予定なんだ、その最中に逃げるぞ」
「具体的にはいつなんですか?」
「わからない、でも、そう遠くはないはずだ」
「わからないんですか……」
「そうがっかりするな、きっと助けは来る。私は平岡公子。君は?」
「大庭葉子です」
「よろしく、大庭さん、一緒に頑張ろう」
と言われたものの、彼女を信じていいのか、不安だった。
でも、それくらいしか希望がなかったので縋ることにした。
そして私の更生施設での生活が始まった。
施設に入れられた人間失格者たちの一日は非常に規則正しい。
朝は六時に起きて、ラジオ体操。次に朝食。
そのあと、三十分間、施設にいる全員で人間失格の文章を朗読。
この時、放送でも人間失格の文章が流れているので、二重にそれを聞くことになる。頭が何度バグりそうになったことか。
それから8時まで自由時間で、その後は17時まで工場に勤務している人がするような単純労働をする。
あ、もちろん、お昼に一時間の休憩はある。
仕事が終わったら夕食とお風呂を済ませた後、11時まで自由時間だ。お風呂は夏は毎日、冬は二日に一回だ。
案外、ホワイトな労働環境だ。うちのお父さんが勤めている会社の方がよっぽどブラックだった。よく終電ギリギリで帰っていたし。
しかし、やはり施設中で流れているこの人間失格の文章が厄介だな。
これをずっと聞いていると、狂いそうになってくる。
そんなこんなで一月近く経った頃、自分の部屋でテレビを見ていた時、施設のどこかで爆発音が響いた。
「とうとう来たわね、この日が」
向かい側の牢屋にいる平岡さんがにやりと笑う。
やがて、武装した集団がここにやってきた。
「先生、助けにきました!」
と武装した集団が銃で平岡さんの牢屋のカギを壊して、言う。
「ごくろう、さぁ、君もここから出るぞ」
平岡さんが言うと、武装した人が私の牢屋の鍵も銃で壊してくれた。
そして平岡さんと彼女を慕う集団とともに、この施設を出る。そのまま彼女たちについていくと、どこかの研究所みたいなところに来た。
「どこなんですか、ここは……」
「ここは私たちが極秘裏に、あのDAZAIに対抗するAIを開発している施設だ、実は私はこう見えてAIの研究者だったんだ」
と私の疑問に平岡さんが答えてくれる。
長い廊下を進んでいき、平岡さんはある部屋に入る。私も入室すると、そこは机とパソコンがたくさん置かれている部屋だった。いかにも研究員っていう見た目の人たちがパソコンのモニターを凝視しながらキーボードをカタカタと打っている。
「先生、あなたがいない間にDOSTOEVSKY、KIKUCHIKAN、TAKUBOKU、HARUKIが完成しました」
とおかっぱ頭の研究者が言う。
「おお、ついに、MISHIMAはどうした?」
「先生が開発したMISHIMAを搭載したロボットが既に太宰ロボの討伐へ向かっています」
「おお、そうか……ついに……!」
と平岡さんが感動のあまり涙を流していた。
MISHIMAってなに?
「さっきから何の話を?」
「ああ、私たちが開発していたAIの話だ。どれも文豪の性格を再現したものだ。文豪の著作や過去のインタビューでの発言などを学習させているから、文豪そっくりなはずだ」
と嬉しそうに話す平岡さんに、焦った顔の研究員が言う。
「先生、そのMISHIMAですが、ついさっき問題が起こったようで……」
「なに、どうした?」
「MISHIMAのAIを搭載したロボットが、自衛隊市谷駐屯地でクーデターを起こしたようです」
「なにぃぃ!!?」
口をこれでもかと開いて驚く平岡さんに、その研究員はパソコンである動画サイトのライブ配信を見せる。
そこには三島由紀夫に似たロボットの姿があって、演説をしていた。
『おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本……アメリカからしか来ないんだ。シビリアン・コントロールといって……シビリアン・コントロール……んだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法の下でこらえるのがシビリアン・コントロールじゃないぞ――』
と喋っている三島に、自衛隊員が「聞こえねえぞ」「引っ込め」などとヤジを飛ばしている。
「くっ、そんなところまで再現しなくてよかったのに……」
ぎりりと歯ぎしりをする平岡さん。
「もうMISHIMAはダメだ、他のAIに頼ろう」
平岡さんがそう言うと、おかっぱ頭の人が言いづらそうな顔になって、
「先生、でも、他のAIも……」
「他のAIもなんかやらかしたのか!?」
「先生、TAKUBOKUがネットのポルノ画像を集めまくっています!」
「先生、DOSTOEVSKYとKIKUCHIKANが研究費を勝手に使ってオンラインカジノを!」
と銀縁眼鏡の研究員、次に黒縁メガネの研究員が言う。平岡さんがパソコンのモニターに向かって叫ぶ。
「なにやってるんだ、おまえら!」
「ギャンブルは、絶対使っちゃいけない金に手を付けてからが本当の勝負だ」
「KIKUCHIKAN、お前は黙ってろ!」
AIにぶちぎれている平岡さん。それを必死に宥めている研究員たち。
なにこれ、大丈夫なの、この人たち……。
「もうだめだ、昔の文豪はやばい奴ばかりだ。やはり、私たちにはHARUKIしかいない!」
と縋るようにあるパソコンの画面を見つめる平岡さんに、そのHARUKIとかいうAIはこう言った。
「完璧なAIなどといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」