魔獣討伐に出発
早朝に今回の遠征メンバー35名は、王都を出発した。途中でいくつかに別れるらしい。中には女性も何人かいたので、私が浮くようなことはなかった。
今は殿下と共に馬車に乗っている。王都を出て山道に入るまでは馬車で動くそうだ。とても気まずいので、私は寝ることにした。
「おい、俺と二人きりなのによく眠れるな」
どうしましょう。起きるべきかしら?
「朝が早かったものですから、つい」
「冗談だ、眠っていいぞ。だが、リンは少し変わっているな。最初に会った時にも感じたが、俺を目の前にしても態度が変わらなかっただろう。そんなのはリンぐらいだ」
「どういう意味でしょうか?」
「初めて会う者は俺を見ると顔を赤らめて媚びてくるが、リンは俺を見てもそういった反応はしなかった」
まさかの自意識過剰?
「確かに殿下は魅力的でいらっしゃいますので、相手がそういった態度になるのも仕方のないことだと思います。ですが私は殿下に良い印象が全くありませんので、婚約解消することしか頭にありませんでした。今でもそれは変わっておりませんわ」
「なかなか手厳しいな。だが俺はリンと結婚するぞ。既に日取りも決めてある」
なんですって、聞いてないわよ、なんでそうなるのよ。
「来月の10日だ」
「それは嘘ですよね!王族の結婚がそんなに早いわけがありませんもの」
「正式なお披露目は来年になるが、挙式だけは来月に済ませたいと俺は思っている。リンの王妃教育も順調だと聞いているから、何も問題ないだろう」
「問題だらけです。そもそも私にはその気が全くありません。それに、父も母も反対しますわ」
「そんなことはない。既にドヴァーグ侯爵夫妻の許可はもらっている」
そんなの、権力に任せて許可させたのでしょう。
「殿下、私は絶対に嫌です。殿下とは結婚したくありません」
「侯爵家に生まれたからには、政略は当たり前とリンも言っていたではないか」
「でも、私は夫との子を産み育てたいとも言ったはずです」
「ああ、好きなだけ産んでいいと俺も返事をしただろう」
これはまさか白い結婚?噂では聞いたことがあるが、まさか自分が白い結婚をすることになるなんて思いもしなかったわ。どうしましょう。本気なのかしら?
「おい、リン、聞いているか?」
「承知いたしました。私も貴族の娘ですから、政略を受け入れましょう。ですが夫以外の人との子を設けるつもりはございません」
「そんなことは当たり前だ」
「それともう一つお願いがございます。私は鞄作りがしたいのです。ドヴァーグ侯爵家の所有する商会に卸すことだけは許可して頂けますでしょうか」
「公務に支障がなければ許可しよう」
「それを聞いて安心しました」
「よろしく頼むよ、リン」
「……ですが、殿下。もし気が変わりましたらいつでも言ってください。婚約解消だろうと離縁だろうと受け入れます。そのことは覚えておいてください」
こうなったら致し方ない。将来は兄の子でも愛でるとしましょうか。
コンコン
「どうした?」
「もうすぐ王都を出ます」
「承知した」
「王都を出るのに何か必要なのですか?」
「すぐにわかる」
しばらくすると、男性の大きな声が聞こえてきた。
「殿下――殿下――お待ちくだされ」
「止めよ」
殿下の一声で馬車が停止すると、殿下は外へ出られた。
「バークマン伯爵、そんなに急いでどうしたのだ?」
「殿下、今一度娘に会ってはもらえませんか?娘は殿下一筋なのです。どうか、どうかお願いいたします」
「以前、伯爵に話したように、私には愛すべき婚約者がいるのだ。諦めてくれぬか」
「ですが、婚約者殿とはほとんど会っていないと聞いております」
「いや、そんなことはないぞ。リン、伯爵に顔を見せてやってくれ」
もしや殿下はこのために私を遠征に誘ったのかしら?私は馬車を降りて伯爵に丁寧に挨拶をした。
「初めまして、私はリンデル・ドヴァーグと申します」
「ま、まさか、同行されるのですか?」
「はい、そのつもりでございます」
「なりません。ご令嬢、外は危険ですぞ」
「私がついているので問題はない」
「で、でしたら娘も同行させてはもらえませんか?」
「伯爵、勘違いするでない。そなたの娘は婚約者でも何でもないだろう」
「ですが娘は側室でも構わないと言っております。どうか、どうか娘を貰ってやってくださいませんか、殿下」
「下がれ」
バークマン伯爵は殿下にきつく言われてようやく引いたが、諦めてはないように思えた。
「バークマン伯爵はとても温厚な方だと聞いております。殿下はバークマン伯爵令嬢とは面識がおありなのではないのですか?」
「その通りだ。バークマン伯爵令嬢とは二つ違いで、俺が貴族学校で生徒会長の時に書記をやってくれたご令嬢だ」
「でしたらどうしてバークマン伯爵令嬢を婚約者にしなかったのですか?お父様もおっしゃっていたように、バークマン伯爵のご令嬢であれば身分差もそれほど問題ないと思いますわ」
「彼女は父親とは違い実に腹黒い性格だ。それはまあ良いとしても、きつい香水の匂いや化粧が気持ち悪くて仕方がないのだ」
「えっ、香水が苦手でしたの?どうしてそれを早く教えてくれなかったのですか?」
「リンは無臭、いや、ハーブの香りがほのかにするぐらいだな。実に心地良い」
私も香水や化粧の匂いはあまり好きではないので、ハーブなどから化粧水やクリームを自作して愛用している。
「殿下、実は私は香水が大好きなのです。明日からはつけてもよろしいでしょうか?」
「却下だ。それに荷物検査をした中には入っていなかったぞ」
「いつの間に検査したのですか?」
「当たり前だ。魔獣を引き寄せる粉でも持っていたら大変だからな」
「そこまでバークマン伯爵令嬢が殿下に御執心なのはなぜなのですか?まさかと思いますが、何か関係を持ったのですか?」
「リンは本当に俺に気がないのだな。普通はそんなことは聞かないぞ。……俺の意思ではなかったんだ。媚薬を飲まされてだな、その……でも未遂だ」
殿下が言うには、一年前の夜会に媚薬を飲まされ、バークマン伯爵令嬢と寝室で二人きりにされたそうだ。でもすぐにボーンズが駆けつけてくれて大事には至らなかったが、噂が密かに広がってしまい今に至るそうだ。誰が媚薬を持ち込み殿下に飲ませたのかは不明だが、こういったことはかつても何度かあったらしい。
「殿下もいろいろと苦労されていたのですね」
「そうだ、俺が初めて襲われそうになったのは10歳の時だ。それ以来、女性を漂わせる香水や化粧の匂いがものすごく苦手だ」
「だから女性では駄目なのですね」
「ん?何か言ったか」
「あっ、いいえ、独り言です。ですが伯爵は諦めなさそうでしたわ」
「だが、俺はリンと結婚すると決めたんだから、諦めてもらうしかないだろう」
「側室を娶ることに、私は反対しませんよ」
「リンはなかなか凄いことを言うんだな」
「そうでしょうか。寧ろ子供が出来ないことを外野に煩く言われない為にも必要かもしれませんわ」
「何度も言うが、リンには好きなだけ子を産んでもらうつもりだ」
殿下は私を女性ではなく子供だと思っているのね。確かに大きくはないが、人並みに胸の膨らみはあると思うんだけど……。
それから昼休憩を取った後、獣道なので馬車を降りて歩くことになった。