第三話:背中の亡霊
時間を超えた干渉は、わずかに現実を変えた。
妹は今日も生きていた。
だが、翔一にはわかる。これは“前とは少し違う世界”だ。
部屋の家具の配置。カレンダーの曜日。テレビのニュースの順番。
どれも、わずかに違っている。
日常はほとんど同じ顔をしているのに、内側で何かが捻れている──そんな感覚。
翔一は静かに、E.C.H.O.を机の引き出しへと戻した。
「使っていいものじゃない……けど、もしも本当に“誰かを救える”なら……」
逡巡のまま、いつもの診療所へと向かった。
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その日、午後の予約はキャンセルになっていた。
カルテ整理でもしようかと受付に戻ると、扉が音もなく開いた。
入ってきたのは、見覚えのない若い女性だった。
「ご予約の方……ではないですよね?」
女性は首を横に振った。そして、不思議そうに翔一を見つめた。
「……あの、覚えてませんか? 昔、踏切で──私に声をかけてくれた」
その瞬間、翔一の胸の奥が凍りついた。
「……まさか……相良、柚……?」
十年前の記憶がよみがえる。
──深夜、駅前の踏切。
制服姿の少女が、線路の前に立っていた。傘も差さず、雨に濡れながら。
翔一は、そのとき何もしなかった。
声をかけようとして、やめた。
「関わらない方がいい」と、ただ通り過ぎた。
翌朝の新聞に、彼女の名前は載っていた。
「女子高校生、踏切で死亡。深夜の事故か、自殺か」
なのに、今。
彼女は目の前で、微笑んでいる。
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「あの時、翔一くんが声をかけてくれたんですよ。『傘、貸そうか』って」
「それで、私……死ぬのをやめたんです」
翔一は言葉を失った。
彼の記憶の中では、そんな声かけはしていない。
していないはずなのに──柚は、生きている。
そして、その“記憶”を持っている。
「……俺が、“過去を変えた”のか……?」
それとも、これはすでに、改変後の世界なのか?
翔一には、もはやわからなかった。
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その夜。
部屋の空気が、再び揺れた。
E.C.H.O.が引き出しの中で震えている。
時計の蓋が、勝手に開いていた。
──チリリ……チリリ……
再び“裂け目”が生まれた。
そこには、“もう一人の翔一”が立っていた。
眼鏡を外した彼は、こちらを冷たい目で見つめていた。
「……過去をいじったな。お前も結局、そうなるのか」
その声は、翔一自身のものだった。
「俺は全部変えた。千景も、柚も、何度も。救えた。でもな……誰かを救うたびに、誰かが代わりに消えるんだ」
翔一は目を見開いた。
「お前もいずれ気づく。“あの人がいない世界”がどれだけ恐ろしいか。気づいた時にはもう戻れない」
次の瞬間、裂け目は閉じた。
E.C.H.O.は沈黙し、部屋には再び静寂だけが残った。
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翔一の背中に、過去の影が重くのしかかっていた。
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【次回予告】
第四話:見知らぬ来訪者
“世界の違和感”を追う者が翔一に接触する。
E.C.H.O.の力を巡る、静かな監視の網が忍び寄る。