第二話:裂け目
E.C.H.O.──懐中時計の形をした、奇妙な装置。
その金属の表面に触れた瞬間、翔一の頭の奥で何かが“共鳴”した。
記憶でも、感覚でもない。もっと根本的な、“存在”の揺れだった。
「過去は、選びなおせる。」
その言葉が、頭の中で繰り返された。
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時計の中心部には小さなダイヤルがあった。
目盛りは年、月、日、そして時刻。針のような金属製のツマミを動かすと、わずかに光が走った。
本能的にわかった。
これはただの時計ではない。時間を“指定”するための装置だ。
翔一は、迷いながらも十年前──妹が死んだあの日の、事故の数時間前に針を合わせた。
息をのんだ瞬間、懐中時計が高く共鳴した。
──チリリ……チリリ……
鈴の音のような金属音が空間を満たし、周囲の空気が震える。
そして、目の前の空間に亀裂が走った。
まるでガラスにヒビが入ったように、現実の一部が歪み、裂け、**「向こう側」**が姿を現す。
その先に見えたのは、十年前の自分だった。
まだ高校生の頃の翔一。事故現場に向かう前の、駅前の交差点に立っていた。
制服のポケットに手を突っ込み、どこか不機嫌そうな顔をしている。
翔一は、迷った。
これは夢なのか。幻覚なのか。
だが、理屈を超えて“これは現実だ”と感じていた。
E.C.H.O.が開いた、過去への裂け目──そこにいる自分に干渉できる。
「……千景、今日は外に出るな。学校には行くな。絶対に……」
裂け目の中の自分が、小さくつぶやいた声が、風に紛れて千景に届く。
彼女が振り返る。その瞳が、わずかに戸惑いを帯びた。
──次の瞬間、裂け目は音もなく閉じた。
翔一は、自室の床に崩れ落ちていた。E.C.H.O.は沈黙し、冷たく重いだけの金属の塊に戻っていた。
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翌朝、翔一はゆっくりと目を覚ました。
部屋の配置が、またわずかに違っていた。
カレンダーが1日ずれていた。
昨日、千景が作ったカレーの代わりに、今日はグラタンが並んでいた。
妹は無事だった。
だが、それは“昨日の千景”ではなかった。
彼女の記憶に、事故は存在していない。ただ、“今日”を生きている。
「過去は変えられる……でも、その代わりに“何か”が変わるんだ……」
E.C.H.O.は力を持っていた。
だが、その代償が何なのか。まだ、翔一には知る由もなかった。
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【次回予告】
第三話:背中の亡霊
翔一の前に現れた、過去に“選ばなかった”はずの人物。
過去改変によって生まれた影が、現実をじわじわと侵食し始める。