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35.ぴあの、想われる

「くそッ、また行き止まりだ! くそッ、くそッ!!」


 ぴあのが地下でクレデントと話していた頃、ヴォルナールたちは突然生えた大木のせいで道が変わってしまった迷路を進んでいた。木が壊した壁の隙間をすり抜けようにもぴあのの風の歌がないので眠りの花粉の対策が取れず、三人は回り道を強いられていた。壁や生垣自体を壊してみようかともしたが、アスティオの強化魔法を使ってもそれはできなかった。結局正攻法で迷路を進むのが一番確実だということになって攻略しなおしているが、ぴあのの安全を案じているヴォルナールは焦燥感で狂いそうになっており、残りの二人が見ていてもハラハラするほど取り乱していた。


「ヴォル、ちょっと落ち着けよ」

「これが落ち着いていられるか! こうしているうちにもぴあのは……」

「わかってるけどさ、一旦戻って体勢立て直したほうがいいって。開錠の歌が歌えるピアノちゃんがいなくなっちゃったんじゃもう鍵が開けられないし……」

「なんだと!! 俺にぴあのを見殺しにして逃げ出せと言うのか!!!」

「そうじゃないってば!! あたしだってピアノちゃんのことは心配だよ!! だけどさ!」

「話にならん! 俺は一人でもぴあのを探すぞ! お前らが帰ると言うならここで……!」


 ヴォルナールとパルマはぎゃんぎゃんと言い合いを始めてしまい、掴みかからんばかりに近づいて睨み合っている。アスティオはしばし二人の言い分を聞いていたが、すぐに二人の襟首を掴んで引き離した。


「ぐえっ!」

「アスティオ! 何をする、お前までぴあのを見捨てろと…!?」

「オレは落ち着けよって言ってるんだけど?」


 体格のいい二人をひょいと持ち上げたまま発せられたアスティオの声は普段のおちゃらけた様子とは程遠い静かな響きをしていたので、ヴォルナールとパルマは一旦黙った。


「どっちにしろ持ってた地図は使い物にならなくなった。行くにしても帰るにしても回り道とマッピングが必要なのは変わらない。一旦落ち着こう。ヴォルの気持ちはわかるが、仲たがいしているところを叩かれたらピアノちゃんがいなくなったことを外の誰にも伝えられないまま全滅するかもしれない。そんなの嫌だろ? それは誰も望んでいない結末のはずだ。違うか?」


 アスティオの声は穏やかで冷静だった。いつも冷静な判断を下すのは自分の役目なのに、とヴォルナールはその声を聞いたことで自分が取り乱していることをやっと自覚した。


「落ち着いた? ヴォル」


 トーンダウンしたヴォルナールと黙ったパルマを地面に降ろすと、アスティオは自分たちの頼れるリーダーの様子を伺う。ヴォルナールは拳をぎゅっと握って地面を見つめたまま、小さな声でぽつりとつぶやいた。


「……俺は……、ぴあのまで死んでしまったら……、もう、立ち直れないと……思う」


 その言葉を聞いて、パルマがえっ!? と驚いた。ヴォルナールは今まであまり弱音を言うタイプではなかったからだ。フィオナが死んだ時でさえ、泣き言を口に出して悲嘆にくれる姿を見せることはなかった。


「ヴォルナール、あんた、そこまでピアノちゃんのことを好きになってたのかい……」


 ヴォルナールが新しい出会いを得て元気になってくれたらとは思っていたし、その相手がぴあのなら言うことはないとパルマは思っていたが、ここまで彼がぴあのに入れ込むとは思っていなかったパルマは思わずそんなことを言ってしまう。


「俺は、ぴあのの歌を聞いてしまった日からぴあののことばかり考えている……。それまで目を閉じたときに浮かぶ顔はフィオナ一人きりで、気晴らしに娼婦を抱いている時もそれは変わらなかったから、始めはそれを受け入れられなかった」

「ヴォル……」


 泣き出しそうなヴォルナールの瞳から涙は出ていないが、溢れ出しそうな何かを言葉にすることで彼が涙をこらえているのだとアスティオにはわかった。


「フィオナのことを思い出すたびに胸に悲しさと痛みがはしっていた……。だがどうだ。ぴあののことを考えるとその痛みが和らぐ。死んだばかりのフィオナを差し置いて別の女に心惹かれている己への嫌悪すら、あいつのことを考えると和らいだんだ。だから、だから俺は…」


 もうこれ以上二人に顔を見られたくない、というようにヴォルナールは両手で汚れた白い顔を覆う。そして絞り出すように言葉を吐き出した。


「俺はもうぴあのがいない世界なんか考えられない……ッ」


 分厚い鼠色の曇天から、ぽつぽつと雨が降り出していた。落ちた雨粒は迷路の上を覆っている不可視の天蓋を滑り落ちている。だから、ヴォルナールの足元に落ちた水滴を目立たなくしてはくれなかった。


「ヴォルナール……」

「わかった。わかったよヴォル。おまえが本気なのはオレたちにはよくわかってる。全部やろう。ぴあのちゃんを無事に見つけ出すのも、レリトを倒してこの戦いを終わらせるのも、終わった後の世界で幸せになるのも全部だ。オレたちにはその全部が出来る。そうだな? パルマ」

「う、うん! あたしも、あたしもアスティオと幸せになりたいし、ヴォルナールとぴあのちゃんがそこにいないと嫌だよ!」

「……アスティオ……パルマ……すまない」


 ヴォルナールが落ち着くのを待ってからアスティオが彼の様子をもう一度伺うと、彼はいつもの冷静なエルフに戻っていた。


「見苦しい所を見せた。二人ともありがとう。とりあえず一番近くの魔族の集落までは戻ろう。俺たち三人だけでなんとかしようと思わない方がいい。滞在などはできないが、ぴあのを探す協力を仰ぐことならできるかもしれない。大木もあれほど大きなものが突然生えたなら集落からも見えているはずだ。迷路の中を行き来する道順については魔族にも無関係じゃない。まずはそうしよう。それでいいか?」

「やっといつものヴォルが帰って来たな。オレはそれでいいぜ」

「ピアノちゃん、心配だけどさ。あの娘もここに放り出されたばかりの時とも違う。吟遊魔法も、妖精剣だってあの娘を守ってるから、だから今はあの娘が無事だって信じよう」

「ああ。そうしよう。必ず助ける。そうと決まれば戻るぞ」


 ヴォルナールの決意を含んだ言葉に、アスティオとパルマは同時に「おう!」と返事をした。ヴォルナールは大木を挟んだ向こう側にいるはずのぴあのを思って、待っていてくれ、と呟やいて再び迷路を歩き出した。


「おやおやおやおや、まー! パルマ! 元気だったのかい!」


 一番近い集落はパルマの父親が長をやっている淫魔の集落だった。


「母さん、ごめんね。あんまり長居はできないんだ。あたしたちに協力したことがレリトにバレると邪妖精の襲撃が来るんだよ」

「おやおや、そんなことになってたのかい……」


 パルマは滞在はできないことを告げた上で、今困っていること、協力してほしいことを父である長に説明した。すると長が音頭を取ってくれて、淫魔たちが大木の向こうまで行く道を開拓する手伝いをしてくれることになった。


「我らなら花粉の毒に耐性があるからな。他の種族よりも効率よく道を探せるだろうよ」

「感謝します。我々の仲間の黒髪の稀人が一人、大木の向こうに取り残されているのでその女性のことも探しています」

「わかった。見つけたらすぐに伝えよう。淫魔同士は念話ができるものもいるからな。パルマに伝わるようにしよう」

「やった! お父さんすごいなパルマ! 助かります! 長!」

「ところで君はパルマのアレか? コレか? 詳しく聞かせてもらっていいか?」

「父さんったら!!」


 こうして頼もしい味方を得たヴォルナールたちは、迷路に留まり続けることを選択したのだった。

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