67 それは序章にすぎない
王太子殿下の謝罪(?)から半月ほど経った頃、衝撃的なニュースが、王国全体を駆け巡った。
とは言え、デュドヴァン領内は至って平和な日常が続いている。
すっかり夜が更けた夫婦の寝室。
寝台の上で半身を起こしクッションに背を預けた私は、小説のページをペラペラと捲っていた。
ふと、サイドテーブルの置き時計に目をやると、時刻は深夜零時を過ぎた所だ。
「遅いわね……」
夕食後『まだ仕事が残っているから』と、珍しく私達と別行動をとり、執務室へと向かったクリス様は、未だに私の元へ戻って来ない。
今朝の新聞記事の件で、色々な問題が起きて、忙しいのだろうか?
こんな夜は、一人でいると余計な事ばかり考えてしまう。
先程から手にしている小説も、ただボンヤリと眺めているばかりで、その内容は全く頭に入って来ない。
ガチャッと扉が開く音がして反射的にそちらへ顔を向けると、入室してくるクリス様と目が合った。
少し疲れた顔をしているのは気のせいでは無さそうだ。
「遅くまで、お仕事お疲れ様です」
「ミシェル、まだ起きていたのか? 先に寝てて良いって言ったのに」
「なんだか眠れなくて……」
隣に寝そべったクリス様は、そっと私の髪を撫でた。
「どうした?
今日はずっと元気がないって、ジェレミーも心配していたぞ」
「お二人共、相変わらず鋭いですね。
私って、そんなに顔に出やすいのでしょうか?」
「私もジェレミーも、愛する君の事だから些細な変化にも敏感なだけだよ。
それで、私たちの女神は何をそんなに悩んでいるんだ?」
「今朝の新聞を読んで……」
「ああ、アレか」
クリス様は素っ気なく呟いた。
今朝の新聞の一面を飾った記事は、『アルフォンス殿下の廃嫡』だった。
彼は王太子の座を降ろされただけで無く、王家から除籍されて、今後は平民として生きて行く事になったのだ。
当然、公爵令嬢のステファニーとの婚約も解消された。
重い処分を科された理由は『国内に混乱を招き、王家の威信を著しく損なう行動をした為』と、なんとも抽象的な表現で発表されたのだが、多くの国民は『あの怪文書の内容が事実で、その責任を取らされたのだ』と理解している。
だが、最新の怪文書が出回ったのは、今から一年以上も前の事だから、責任を取らせるには遅すぎる気がする。
それなのに、今更になって処分が下された。
その意味を考えると『私を王都に連れ戻せなかった事が、処分の引き金になったのではないか?』と、考えてしまう。
「アルフォンス殿下の自業自得ではありますが……、『王都には戻らない』という私の決断が、彼の運命を変える最後の一押しになったのかと思うと、なんだか気が重くて」
私は殿下の事が嫌いだが、憎んでいる訳ではない。
ずっと冷たい態度を取られていたけれど、初対面の時の彼は、元孤児の私にも丁寧な態度で接してくれていた。
そんな彼を、根っからの悪人だとは思えないのだ。
だからと言って、私が犠牲になって再び聖女の地位に就けば良かったとも思わないのだが……。
そんな答えの出ない事をグルグルと考えてしまっていた。
「君は悪い女だね。
夫婦の寝台の上で、他の男の名を口にするなんて」
冗談めかしてそう言ったクリス様は、私の肩をそっと抱き寄せた。
「クリス様が話せと仰ったのではないですか」
ムッと口を尖らせて抗議すると、彼は小さな笑い声を上げた。
「でも、君は気にしなくて良いんだよ。
アルフォンス殿下の処分は、君の決断とは無関係なのだから」
キッパリと『無関係』と言い切ったクリス様に微かな違和感を覚える。
「…………もしかして、何かしましたか?」
「さあ? どうだろう?」
クリス様は感情の読めない笑みを浮かべて首を傾げた。
こういう時の彼は、どんなに追求しても何も教えてくれないのだと、私はもう知っている。
「まあ良いですけど。危険な事は出来るだけ避けて下さいね。
貴方には守るべき家族が三人も居るのですから」
「肝に銘じておこう。
心配事は解消したかな?」
「少しは」
私の答えに、クリス様は不機嫌そうに片方の眉を上げた。
「少し? まだあの男のことを考えるつもりなのか。
じゃあ、特別にもう少しだけ、教えてあげようか。君がいつまでも元婚約者のせいで憂い顔をしているのは面白くないからな。
……アルフォンス殿下にとっては、今の内に王籍から抜けておいた方が良かったはずだ。
だから、心配する必要は無い」
「どういう意味ですか?」
「もうすぐ分かるよ。
さあ、もう遅いからそろそろ寝よう。お腹の赤ちゃんも、きっと眠いって言ってる」
クリス様は私の頬とお腹にキスを落として、ランプの火を消した。
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その後もミシェルは暫く寝付けなかったらしく、寝返りを打つ気配が何度もしたが、いつの間にか隣から可愛らしい寝息が聞こえ始めて、クリストフはホッとした。
最初の四枚の怪文書は、ミシェルが虚偽の噂を流されて、名誉を毀損された事への報復。
正しい情報を周知させ、ミシェルの名誉を回復すると共に、奴等の名誉を失墜させた。
そして、五枚目の怪文書は、ミシェルが出自のせいで長年冷遇されて来た事への報復として用意された。
「平民出身だから」と彼女を蔑んだアルフォンスの高貴な血筋に疑義を生じさせる事が目的だった。
しかし、アルフォンスの末路があまりに酷い物になれば、ミシェルが気に病む事は想像に難くない。
だからこそ、クリストフもシャヴァリエ家の面々も、最後までアレを使う事を躊躇ったのだ。
だが、王家の無能さは目に余る物があり、そのままにはしておけないと判断した。
五枚目の怪文書は、完膚なきまでに国王を叩き潰すには必要な第一歩でもある。
プライドの高い国王は、あの内容を誰にも漏らさないだろうと思ったが、その予想は見事に的中した。
当のアルフォンスでさえも廃嫡になった本当の理由には気付いていないだろう。
少し反省の兆しが見えていたアルフォンスを、必要以上に傷付けずに済んだのならば、まあ、良かったのかもしれない。
クリストフもアルフォンスの廃嫡に対して多少は思う所があったが、彼がミシェルを勝手に解任したせいで魔獣に襲われた人々も少なくない。
改心したからといって、それは無かった事にはならない。
それに何より、大きな改革の前には犠牲が付き物なのだ。
乱暴な方法ではあったけれど、沈み行く船から早めにアルフォンスを脱出させる事が出来たのだと考える事にしよう。