64 遅すぎる成長の兆し
「だが、僕達だってミ……いや、デュドヴァン侯爵夫人の状況をちゃんと知っていれば、あんな態度は取らなかった。
僕は君の婚約者だったのだから、問題が起きた時点で相談してくれても良かったのではないか?」
旗色が悪くなってきた事に焦った様子のアルフォンス殿下は、とうとう私の事まで責め始めた。
(この人は本当に、他人に責任を押し付けてばかりね)
呆れた私は、小さく溜息を吐き出す。
誰かのせいにするのは楽だろう。愚かな自分と向き合わずに済むのだから。
でも、自分の非を認めないならば、本当の謝罪など出来る訳がない。
「普通ならば、婚約者でもあり王太子でもあるアルフォンス殿下にご相談すべきだったのかも知れませんね。
ですから、私にも全く非が無かったとは申しませんが……」
「だろう? ならば出産が済んでからでも良いから、王都に…」
何を期待したのか、アルフォンス殿下の表情がパッと明るくなり、私の言葉を遮る様に口を開いた。
よくこの流れで自分の要求が通ると思えたな。
「アルフォンス殿下、人の話は最後まで聞く物ですよ。
確かに、一般的には相談すべき状況だったと思いますが、実際の私達の関係は、円満な婚約者同士とは言い難い物でしたよね?
確か……、初めての顔合わせをして、三ヶ月ほど経った頃でしたかしら?」
「……何がだ?」
殿下は怪訝な表情で首を傾げる。
「アルフォンス殿下が、私を蔑み始めた時期ですわ。
自分に対してそんな扱いを長年続けている婚約者に、一体何を相談しろと仰るのかしら?
仮に相談していたとしても、状況は改善したでしょうか?
貴方が私の言葉を信じて、解決に向けて動いてくれたとは到底思えません」
図星を突かれたのか、アルフォンス殿下は気まずそうに目を泳がせた。
「……そう思われても仕方が無いのだろう。
その…………、僕が悪かった。
だが、今の危機を脱するには、君の力に頼るしか……」
「そもそも、それが分かりません。
結界が壊れかけているのは、新聞報道で知りましたが、どうしてそんな事態になっているのか理解出来ないわ。
いくら私の魔力量が多いと言っても、他の方達の十倍以上もある訳ではないのですよ。
それなのに、十二人も聖女が残っているにも関わらず魔力が足りないだなんて、何か理由があるはずです。
聖女達は、毎日ちゃんと神に祈りを捧げているのでしょうか?」
「……さあ? どうだろうか……。聖女達の管理は教会に任せているから……」
「丸投げですか? 国の安全に関わる事なのに?
自分達がやるべき事もやらずに、捨てたはずの人間に助けを求めるのですか?」
「……」
私の指摘にアルフォンス殿下は反論の言葉が見つからなかったようで、ハクハクと口を動かした後、無言のまま項垂れた。
そんな殿下の様子に、自分が微かな落胆を覚えている事に気付き、私は自身のその思いに戸惑っていた。
アルフォンス殿下から謝罪をしたいと打診があった時点で、『彼はきっと反省などしていない。謝罪と言いつつ、どうせ何かを要求してくるだけだろう』と予想はついていた。
だが、心のどこかで、まだほんの少しだけ期待していたのだ。
彼も漸く次期王としての自覚を持ったのかも知れないと───。
「……ミシェル、疲れた顔をしている。
こんな話し合いは胎教に良く無いだろう。
後は私に任せて、そろそろ部屋に戻ったらどうだ?」
気遣わしげに私の顔を覗き込むクリス様の言葉に甘えて、席を立つ事にした。
言いたい事は言い終わったので、もうアルフォンス殿下に用は無い。
「ええ、後はお願いします。
アルフォンス殿下、申し訳ございませんが体調が優れませんので、お先に失礼させて頂いても宜しいでしょうか?」
「……ああ、お大事に。
それから…………、その……懐妊、おめでとう」
まさか、殿下の口から祝いの言葉が出るとは思っていなかった。
私はその驚きを微笑みで隠しつつ、丁寧にカーテシーをして応接室を後にした。
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ミシェルが去った後の応接室には重苦しい空気が漂っていた。
クリストフから静かな怒りのオーラをぶつけられている王太子一行は、まるで蛇に睨まれた蛙の様に縮こまっている。
「予想はしていたが、やはりミシェルを王都へ連れ戻す事が目的でしたか。
全く……、貴方方も懲りないですね。
ですが今後は一切、私の妻とは接触しないで頂きたい。
それが守れないならば、こちらにも考えがある」
「いや、だが……」
クリストフの容赦の無い言葉に、アルフォンスは大いに慌てた。
ここで譲歩を引き出せなければ、アルフォンスの立場は益々悪くなる。
だが、武力に長けたデュドヴァン家を敵に回すのが得策では無い事も、彼は理解していた。
「先程ミシェルも言っていましたが、人に泣き付く前に、まだ出来る事があるでしょう?
ミシェルと殿下が婚約破棄をして二年が経ちますが、貴方はその間に何をなさっていたのですか?
結界が崩れれば、魔獣の襲撃を受ける確率が高いですが、騎士達の訓練を見直したり軍事費を増強したり、何か対策はしましたか?
見た所、騎士達のレベルは全く向上していない様ですが」
クリストフがアルフォンスの背後に控えた近衛騎士達を睥睨すると、彼等は気まずそうに目を逸らした。
「それは、これから……」
蚊の鳴くような声で答えるアルフォンスに、クリフトフはうんざりした様子を隠そうともしない。
「これから、ねぇ。
では、再び感染症が流行する事態に備えて、前回の失敗を踏まえた対策マニュアルを作成しましたか?
治癒魔法が使えなかった場合を考慮して、高い能力を持った医療従事者を増やす為に教育の見直しや、学費などのサポート制度の導入を検討していますか?」
「いや、それもまだ……」
「では、何をしたのです?
二年もの間、貴方も、貴方の新しい婚約者も、手をこまねいて見ていただけですか?」
「……」
アルフォンスはとうとう黙り込んでしまい、青褪めた顔を俯かせた。
「殿下の新しい婚約者と違って、私のミシェルはまるで女神です。
王太子の婚約者と聖女という立場を降りた今でも、国民の為に医療の充実を図ろうと試行錯誤してくれているのですから。
尊敬に値する女性を妻に迎えられて、私は本当に幸運でした。
その点だけは貴方達のお陰だと感謝している位です」
息苦しい程の殺気を纏うクリストフは、ミシェルの名を口にする時だけ柔らかな表情を見せた。
「ミシェルが、何をしているって?」
「貴方に詳しくお教えする筋合いは有りません」
アルフォンスの質問をピシャリと切り捨てたクリストフは、厳しい表情で言葉を続ける。
「他人に協力を仰ぐのが間違っているとは言いませんが、自らが一方的に切り捨てた相手を身勝手にも連れ戻そうとするなど、正気の沙汰とは思えませんね。
そんな無駄な事に時間を使う位ならば、先ずはご自身の力でこの国の為に何が出来るのか、そしてこの国をどんな方向へ導いて行きたいのか、一度よく考えてみられては如何ですか?」
「僕自身の力で?」
独り言の様に呟いたアルフォンスは、ここに着いた時よりは遥かにマシな顔付きになっていた。
だが、もうこの王家に国政を任せては置けないと、クリストフは考えていた。
国のトップが無能である事は大罪だ。
それだけで国民全員が不幸になってしまうのだから。
アルフォンスは目を覚ますのが遅過ぎたのだ。
すごすごと帰って行く王太子一行を見送ったクリストフは、執務室に戻ると机の引き出しから便箋を取り出した。
ディオン宛に手紙を認める為だ。
『どうやら五枚目のビラを使わねばならない様だ』と書かれたその手紙は、ジャックの手に託され、迅速に宛先に届けられた。
※レオとジャックは、王太子に向けたクリストフの発言について、「説教をしているのか、惚気ているのか分からなかった」と呆れた様子で語っていたそうな。