63 謝罪とは何か?
「登城命令を出したかと思ったら、今度は謝罪……ですか?」
クリス様からアルフォンス殿下の先触れを手渡された私は、王家の余りの身勝手さに辟易した。
「会ってやる必要など無い」
怒りを滲ませ吐き捨てたクリス様だが、私はそれに同意しなかった。
「いいえ。折角の機会なので、会ってみようかと思います。
会って、本当に反省しているのか、見極めて差し上げましょうよ」
そして、あの夜会の時には言えなかった文句を本人に思いっ切りぶつけてやるのだ。
「君がそう望むなら仕方ない。だが、私も立ち会うのが条件だ」
「はい。ありがとうございます」
元より二人だけで会うつもりなど無い。
「私も同席するとは言え、そんな風に嬉しそうにされると、なんだか複雑だな……」
満面の笑みでお礼を言った私に、クリス様は微かに眉根を寄せた。
殿下に会うのが楽しみなのでは無く、クリス様が心配しつつも私を尊重してくれる事が嬉しかっただけなのだが。
「………本当に、君が、ミシェルなのか?」
王太子一行がデュドヴァン侯爵邸に到着した。
クリス様と共に出迎えて挨拶をした私に、アルフォンス殿下は目を丸くしている。
「当たり前では無いですか。元婚約者の顔をもうお忘れですか?」
「いや、あの頃はもっと痩せていて…、何て言うか、み……不健康な感じだったから……」
今、『見窄らしい』って言おうとした?
それとも、『みっともない』かしら?
ってゆーか、言い直しても充分失礼なんですけど。
不健康って何?
誰のせいで健康を損なったと思っているの?
貴方の現在の婚約者のせいなんだけど。
「ああ、それは、聖女のお仕事に忙殺されていたせいですわね」
「……そう、だったな」
そこで、私のお腹に視線を落とした殿下が、苦々しい顔をした。
「懐妊したという話は、本当なのだな」
胸の下からフワリと広がるデザインのマタニティドレスを着ている事に、今更気が付いたらしい。
私の隣に寄り添うクリス様が、まるでアルフォンス殿下に見せつけるかの様に、少し膨らみ始めた私のお腹を優しく撫でた。
「もう少しで五ヶ月になります。
妻は悪阻が酷いみたいなので、心配で堪りません」
「あら、グレースの話では、これでも軽い方らしいですよ。
そんなに心配しなくても、大丈夫ですわ」
微笑み合う私達を、アルフォンス殿下は複雑な表情で見ていた。
(気まずい……)
応接室に移動した私達。
ソファーに並んだ私とクリス様の目の前には、アルフォンス殿下が長い脚を組んで座っている。
殿下の背後には四人の近衛騎士。
私達の後ろでは、ただならぬ殺気を放っているジャックさんと、欠伸を噛み殺しているレオが護衛についてくれていた。
茶器を手にした時の微かな音さえ、妙に大きく聞こえる程の沈黙の中、先に口を開いたのはアルフォンス殿下だった。
「……二年前のあの夜会で、僕がミシェルに言った事は、どうやら誤解だったみたいだ」
殿下は手元のティーカップに視線を落とし、ギリギリ私の耳に届く程度の声でボソボソと呟いた。
声、小っさ!!
───どうやら?
───誤解だったみたい?
他人事か?
「私の妻をいつまでも名前で呼ばないで頂きたい。
デュドヴァン侯爵夫人と呼ぶべきです」
私が文句を言うよりも先に、クリス様が不機嫌そうに殿下を睨んだ。
「そう、だな……善処する。
ステファニーの言葉を真に受けて、デュドヴァン侯爵夫人を疑ってしまった事を、今ではとても後悔している。
ステファニーの話の真偽は側近達に命じて調査をさせていたのだが、その調査も杜撰だった事が判明した」
「……」
『謝りたいから面会してくれ』と言われたから、わざわざ時間を取ったのに……。これって謝罪と言えるのかしら?
『後悔している』と言っているが、その後悔だって、私の名誉を傷付けた事に対してではなく、自分が信用を失くした事に対してではないのか? と、つい考えてしまう。
黙りこくる私に、殿下は微かな不快感を示す。
「僕が折角こんな所まで来て謝っているのに、何か言う事は無いのか?」
こんな所?
どれだけ失礼な発言を重ねるのか。
謝りに来て欲しいなんて一言も言った覚えは無い。
どうやら彼は、私の神経を逆撫でする才能があるらしい。
「……殿下は私にどの様な反応をお望みなのです?
まさか、貴方のせいでは無いとでも言って欲しいのですか?
確かに、ステファニー様や側近の方々の責任は大きいでしょうけれど、だからと言ってアルフォンス殿下の罪が軽くなるわけではありませんよね?
ステファニー様の虚言を信じたのはアルフォンス殿下ご自身ですし、側近が無能なのは主の責任です。
にも関わらず、殿下には当事者意識が全く無いようにお見受けします。
先程の殿下のお言葉は謝罪とは呼べません。
愚痴、もしくは言い訳です」
私の発言を不敬と捉えた近衛騎士が、険しい顔で腰に佩いた剣に手を掛ける。
その瞬間、クリス様が片手を翳し、無詠唱で魔法を放った。
クリス様の氷魔法で近衛の剣があっと言う間に凍り付き、鞘から抜けなくなる。
近衛が動揺している隙に、レオとジャックさんが目にも留まらぬ早業で自分の剣を抜き、その剣を近衛の鼻先に突き付けた。
キラリと光る二つの剣先を見つめた近衛の喉が「ヒュッ」と鳴る。
長ったらしい詠唱無しで魔法を放ち、瞬時に攻撃や防御を繰り出す能力は、騎士ならば誰でも切望するだろう。
だが、実際は一握りの人間しか扱う事が出来ない高等技術だ。
レオとジャックさんは魔法こそ使わなかったが、その身のこなしの素早さは近衛騎士の比ではない。
格の違いを見せ付けられた近衛達に動揺が広がる。
「王族の護衛になんて事を……」
そう呟いた殿下の手は微かに震えていた。
「世間ではこれを正当防衛と呼ぶのですよ」
クリス様は呆れた様に吐き捨てた。
その冷ややかな瞳が、先程の近衛騎士に再び向けられる。
近衛騎士の肩がピクッと跳ねる。
彼は追い詰められた仔鹿の様に怯えていた。
(剣を握っていた手が凍傷になったんじゃないかしら? 真っ赤になって痛そうね)
もし凍傷になっていたとしても、治癒を掛けてあげる義理は無いが。
「貴殿等の主は、私の妻に謝罪に来たのでは無かったか?
謝罪相手に剣を突き付けるのが最近の近衛騎士の流儀か?」
「…………大変失礼致しました」
表情を強ばらせた近衛騎士は、渋々といった感じで私に頭を下げた。
「気にしておりません。王都にいた頃から、こういった扱いには慣れておりますので」
シレッと放ったその言葉に、騎士達は益々青褪め、クリス様は益々怒気を強める。
ずっと酷い扱いを受けていたのだから、この程度の嫌味を言ってもバチは当たらないだろう。