16 天使は父に憧れる
剣の稽古場は、私がいつも散策している美しく整えられた庭園とは反対の方角の庭にあった。
フェンスで囲まれたその場所は、一応屋根も設置されていて、今日は晴れているが雨の日でも稽古が出来そうだ。
デュドヴァン侯爵家は私設の騎士団を保有しているので、騎士団の敷地にはもっと立派な訓練施設がある。
ここはあくまでも侯爵様やジェレミーが日常的な鍛錬を行う場所なのだ。
雲一つ無い青空に、カンッコンッと、木で作られた模造剣がぶつかる音が響く。
まだ五歳の幼いジェレミーの稽古は、ごっこ遊びみたいな可愛らしいものかと思っていたのだが、意外な事になかなか本格的だった。
(ウチの子、結構凄いのでは!?)
勿論、現役の騎士であるレオには足元にも及ばないが、ジェレミーも子供とは思えない程の良い動きをしている。
真剣なその表情は、いつもの可愛らしい顔とは違い、少し頼もしく見えた。
「あっっ!!」
手に汗握って見学していると、レオが振るった模造剣を避けようとしたジェレミーが、よろけて転んだ。
「痛ぁ……」
「大丈夫っ!?」
慌てて駆け寄ると、ジェレミーは恥ずかしそうに笑った。
「ちょっと手の平を擦りむいただけです。
あーあ、母様に格好良い所を見てもらうはずだったのに……」
そう呟きながら立ち上がろうとした彼は、微かに顔を歪めた。
「足を捻ったんじゃ無いの?
ちょっと動かないでね」
ジェレミーの足と手の平に手を翳して、ゆっくりと魔力を流すとポゥッと淡い光が放たれる。
ジェレミーもグレースもレオも、不思議そうな顔でそれを見ていた。
「あれ? 傷が消えた。足も痛くない!」
「はぁ~……、凄い不思議で美しい魔法ですね。
こんな田舎では聖女様の治癒魔法を見せて頂く機会なんて、なかなか無いですから」
グレースが溜息混じりにそう言うと、ジェレミーとレオもキラキラした目で大きく頷いた。
「本当に凄いです! 母様、ありがとうございます」
そんな風に褒められると、なんだか擽ったい。
王都にいた時は、治癒をするのが当たり前だと思われていたので、賞賛される機会など無かったから。
「しかし、ジェレミー坊っちゃまは、かなり上達しましたね。
この調子で鍛錬を続ければ、きっと強い男になれますよ」
レオはジェレミーを褒めながら、ワシャワシャと頭を撫でた。
「本当かっ!?
母様も、そう思いますか?」
「ええ、勿論。格好良かったですよ、ジェレミー」
「やったっ!!
僕も大きくなったら、父様みたいになれますか?」
「侯爵様みたいに?」
首を傾げた私に、グレースが補足をしてくれる。
「旦那様は、とてもお強いのですよ。
剣術の腕もさることながら、水属性の魔力をお持ちで、氷魔法での攻撃も可能です。
現役の騎士でも、旦那様に勝てる者はかなり少ないでしょうね」
「そうなのね……」
そう言えば、この領地にも治安が悪い場所があるって、以前グレースが言っていたな。
国境に近い地域は、得てして治安の維持が難しいものだ。
まず、移民が多いせいで諍いが起き易い。
生まれた時からの環境や文化、常識が異なる別々の民族が隣り合って暮らしていれば、問題が起きるのは必然だ。
また、輸出入の荷を積んだ馬車が多く通るので、それを狙った盗賊団なども出没しがちなのだ。
そういった地を治める領主は、自らも武芸を身に付ける者が多い。
「父様は誰よりも強くて、とってもカッコ良いんですよ!」
とても誇らし気に侯爵様を褒めちぎるジェレミー。
きっと父親が大好きなのだろうなと思って、微笑ましい気持ちになる。
「ジェレミーは侯爵様に良く似ているから、きっと素晴らしい領主様になるわね」
そう言いながら、タオルで汗を拭ってやると、ジェレミーは嬉しそうに破顔した。
午後は、久し振りに侯爵様の執務室に呼ばれた。
もうすぐ王命の入籍期限である一ヶ月になるので、その件の話だろうと予測はついていた。
テーブルを挟んで侯爵様と向かい合いソファーに腰掛けると、フィルマンが紅茶を淹れてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
私とフィルマンが笑顔で言葉を交わすのを、侯爵様は無表情で眺めていた。
「……すっかりこの邸に馴染んでいるようだな」
「お陰様で。皆さん優しくして下さってます」
「それは良かった。
……ところで、王都の状況は君の耳にも入っているか?」
「結界の件でしたら、新聞で読みました」
あの後、聖女全員で魔道具に光の魔力を充填した事で、王都上空の大きな穴は一応塞がれた。
それでも魔力が足りない状態は今も続いていて、結界のあちこちに小さな綻びが出来ては消えている状況らしい。
まあ、小さな綻び程度ならば、ウサギ型やネズミ型の魔獣くらいしか侵入しないので、討伐は簡単だろうけれど。
また、騒動によって負傷した騎士達も、充分な治癒が受けられずに後遺症が残った者もいたとか。
やはり真面目に祈りを捧げていなかったせいで、聖女達の質が低下しているのだろう。
もしも私が負傷者の救助活動に参加していたら───。と、つい考えてしまいそうになる。
だが『私ならば充分な治癒が出来たかも』だなんて傲慢な考えだ。
少しくらい魔力量が多いからって、全ての人を救える訳ではないのだから、どうしたって優先順位を付けなければならない。
以前の私は『聖女』『王太子の婚約者』という肩書きを持っていたので、教会や王家の意向に従い治癒を施して来た。
しかしその肩書きを失くした今は、王族や高位貴族や王宮騎士や他領の被災者よりも、家族や領民を優先するべきだと思う。
「その結界の件で、かなり王家に批判が集まっているらしくてね。
もしかしたら、君を王都に呼び戻そうとする動きが出て来るかも知れない。
だから、君の意思を確認しておこうと思って」
「私の、意思ですか?」
「そうだ。もしも、戻って来て欲しいと言われたら、君はどうしたい?
聖女に……、若しくは王太子の婚約者に、戻りたいか?」
───戻る? あの馬鹿の所に?




