15 悪虐聖女は母になりたい
「申し訳ありませんでしたっっ!!」
執務室のマホガニーの机の前で、私は深々と頭を下げた。
侯爵様に紹介される前に勝手にご子息にお会いし、更に、勝手に母だと名乗ってしまったのだから、当然お叱りがあるものだと思ったのだが……。
「いや、別に構わんよ」
「えっ? 良いのですか?」
アッサリと許されてしまって拍子抜けした。
「先程ジェレミーと会ったが、庭園で君と一緒にお茶をしたと嬉しそうに話してくれた。
あの子に優しくしてくれて、ありがとう」
「いえ、そんな……。
私の方こそ、天使とお茶を飲めて幸せな時間でした」
「ははっ、天使か……。
うん、あの子は天使かもしれないな。
まさかデュドヴァン家に生まれた子が、あんなにも素直に育ってくれるとは……」
「ジェレミー様が良い子に育ったのは、きっと侯爵様の教育が良かったのでしょう」
「そうかな? ……そうだったら、嬉しい」
そう呟いた侯爵様は、照れたように目を伏せた。
初対面の時以来お会いしていなかったが、数少ない接触の中でも、侯爵様が悪人で無い事だけは、はっきりと分かった。
(お義父様とお義母様の、侯爵様に対する人物評は確かだったわね)
侯爵様は、少し潔癖で、真面目で……、
多分、とても優しい人だ。
それはこの家の使用人や、ジェレミー様を見ても明らかである。
彼等は皆善良であり、侯爵様をとても慕っているのだから。
「ジェレミーは、どうやら君の事が気に入ってしまったみたいだ。
もし良かったら、これからもたまに構ってやってくれないか?
気が向いた時だけで良いから」
「私で良ければ、喜んでっ!」
最初は二年後のお別れに向けて距離を取ろうと思っていたが、侯爵様のこの様子ならば、もしも別居婚になったとしても、私とジェレミー様との交流を禁止したりはしないと思う。
ならば、頻繁に手紙を出したり、会いに来たり出来るだろう。
私は、思う存分ジェレミー様を可愛がる事にした。
「何もしなくて良いと言ったのに、済まないな」
「いえ、とんでもない。
逆に休んでばかりで暇を持て余しておりました。
小さな事でも良いので、何かお手伝いさせて貰えると嬉しいのですが……」
「そうか? じゃあ、フィルマンと相談してくれ」
「はい」
チラリとフィルマンに視線を送ると、小さな頷きが返された。少しでも役に立てると良いのだが……。
「ああ、忘れる所だった。シャヴァリエ夫人から君に手紙が届いていたぞ」
旦那様が机の引き出しから取り出した封筒を私に手渡す。
「ありがとうございます!」
思い掛けず天使との交流を許可され、お義母様からの手紙も受け取った私は上機嫌で執務室を後にした。
自室に戻り手紙の封を切ると、お義母様の香水の香りが仄かに漂い、自然と笑みが溢れる。
手紙の内容は王家からの慰謝料が出た事の報告だった。
それは思った以上の金額だった。
サムズアップしてニヤリと笑うお義母様の姿が脳裏に浮かんだ。
「あっ、母様! 今、忙しいですか?」
ある日、フィルマンに任された簡単な書類の整理を終え、部屋に戻る為にグレースと廊下を歩いていると、ジェレミー様が仔犬のように駆け寄って来た。
「いいえ? 今ちょうど作業を終えた所で、この後は何も予定はありませんが」
「僕は、今からレオに剣の稽古をつけてもらうのです。
だから……、あの……、良かったら、母様に見に来て欲しいなぁって……」
ちょっと恥ずかしそうに頬を染めて口籠もりながら、私を誘ってくれるジェレミー様。
(ああっ、何て可愛いのかしらっっ)
ふと隣を見れば、グレースも口元を片手で覆って悶絶している。
「勿論、見に行きたいです。誘ってくれて嬉しいわ。
ジェレミー様は、もう剣術を習っているのですね」
私がそう言うと、ジェレミー様は予想外にムッと頬を膨らませた。
「自分の息子をジェレミー様と呼ぶのは変ではありませんか?
ジェレミーと呼んで下さい。ジェリーでも良いですよ?」
ギュッと私の手を握ったジェレミー様に、『さあ、早く呼んでっ』と言わんばかりに、期待を込めた目で見上げられる。
なんだコレっ?
可愛いの極みかっ!?
「じゃあ、これからはジェレミーと呼びますね」
「はい、母様っ! じゃあ、行きましょう。レオが待ってますから」
ジェレミー様……、いや、ジェレミーは、満足そうに頷くと、私の手をグイグイ引いて稽古場に案内してくれた。




