襲来-プロタスリティス・シンクトレンシス-
事態が動いたのは、家に帰ってすぐの事だった。
「親父は元気だったか?」
仕事から戻ってきていた父さんは、トンカツをつつきながらそう言った。
「・・・ああ。」
なんとなく目を反らして、カツへと集中する。
「変な事を言ってきたりはしなかったか。」
「うぅぐっ」
「大丈夫?」
トンカツの衣が変なところに入って咳き込みそうになったのを見て、母さんが牛乳を出してきた。
「っ・・・」
さらに咳き込みそうになったので、背に腹は代えられないと牛乳を飲む。
「なにか言われたんだな?」
「いや・・・別に・・・」
「・・・」
眉間にしわを寄せた父さんの顔に、なんとも言えない気分になる。
この人がかつて、生絞りミルクマンゴージュースの追っかけをして、どろどろミルクとびちゃびちゃマンゴーのCDを聞いていたのだ。
「あの人は昔から変わった人でな。私もさんざん苦労させられた。」
「まあ・・・変わった人ではあったよ。」
「そういうのが積もり積もって距離を置く事になったんだ。」
嘘つけ。生絞りミルクマンゴージュースのどろどろミルクとびちゃびちゃマンゴーの限定版CDのケース割られたからだろう。
だがそれを言うのはためらわれる。
「あの頃のあなたは大変そうだったね。」
「む・・・」
どうやらその頃にはすでに母さんと知り合っていたらしい。
なら母さんも生絞りミルクマンゴージュースの事を知っているのだろうか?
「まあ、だから親父の言う事は気にしないでいい。」
そうはいくか。
「それでも父子家庭で苦労もあっただろうが、育ててくれたのには感謝してるんだけどな・・・」
父子家庭?
「そういえばバアちゃんはいないのか?」
ジイさんの家には、ジイさんとココアがいたが、祖母と言えそうな人はいなかった。
「私が高校生の時に亡くなった。もう30年以上前か。」
そうだったのか。じゃあジイさんは父さんがいなくなってからは、一人で・・・
うん?じゃあ、あのココアはなんだったんだ?
「父さんは兄弟もいないんだよな?」
「そうだ。それがどうかしたのか?」
「いや・・・なんでもない。」
という事は、孫はおそらく俺一人だろう。
再婚して新しく出来た子供?可能性としてはなくもないか。
それを父に伝えるべきかどうか、少し迷ったが
「あのさ」
言い出そうとした時、3台のスマートフォンがけたたましく鳴り響いた。
「なんだ?」
地震などの警報が出た時になるアラート。
内容を確認するよりも前に、母さんがテレビをつける。
緊急の中継を見て、思わず絶句してしまう。
そこに映し出されていたのは、異常な光景だった。
アナウンサーの後ろに移るのは海。
すでに暗くなった海に、スポットライトの光が海面をきらめかせている。
「怪獣?」
スポットライトを浴びているのは、巨大な生物。
いや、それは本当に生物なのだろうか?
距離もあるし、海なので大きさの比較が難しいが、まるで怪獣映画のような巨大な生物。
それがゆっくりと地上に近づいてきていた。
「ワニ?」
顔だけを見ればワニにも見えるが、体つきは恐竜っぽい。
「スピノサウルス?」
「だったら背中に帆があるはずだろう。バリオニクスじゃないか?」
「ばりおにくす?」
「スピノサウルスの仲間だ。」
スピノサウルスは背中に帆がある恐竜として有名だ。
正確には背中に大きな棘のような骨があるのが最大の特徴で、それが本当に帆だったのかどうかは諸説ある。
大きさはでかい強い恐竜の世界代表ティラノサウルスよりも大きいが、ナイフ状の歯をしているティラノサウルスと異なり、ワニのような真っすぐな歯が特徴で、主食は魚だと言われている。
そして、バリオニクスはスピノサウルスから帆を取って、足を長くした姿だ。
「いえ、おそらくあれはプロタスリティス・シンクトレンシスよ。」
「風呂焚くリティス?」
母さんは風呂焚きのリティスを召喚した。
「違うわ。プロタスリティス・シンクトレンシス・・・シンクトレンシスのチャンピョンという意味よ。」
「どこだよシンクトレンシス!母さんはなんでそんなの知ってるんだよ!」
「あなたが子供のころ、恐竜の図鑑やDVDをたくさん見せられたせいで覚えたのよ。」
「その節はご迷惑をおかけいたしました!」
覚えてはいないがそんな事がたくさんあったのだろう。
「子供の迷惑は親孝行だから気にするな。」
優しい親の顔になる父さん。
「あなたはその頃、仕事仕事だったじゃない。」
「その節はご迷惑をおかけいたしました!」
優しい顔は母さんの凍てつく視線で凍り付き、父さんは膝をついた。
ちなみにプロタリスティスはスピノサウルスやバリオニクスの仲間だが、見つかっている骨の数が少ない。
上あごの骨の形から新種であると判明して、2023年に発表された。
しかし、今はスピノサウルスでもバリオニクスでもプロタスリティスでも関係ない。
それらには疑いようのない共通の特徴がある。どれも絶滅したはずの恐竜であるという事だ。
そして祖父の言葉が頭に浮かんだ。
どろどろミルクとびちゃびちゃマンゴー、いやこれじゃない。
人類の終末が近い。こっちだ。
テレビに映るプロタスリティスが、終末の使者に思えてきた。
「母さん、ちょっと出かけてくる。」
「え?」
「すぐ戻るから!」
返事も待たずに家を飛び出す。
向かう先は決まっている。不吉な予言をした人物のところにだ。