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宮沢賢治  彼は異界からの異教の伝道者だったのだろうか?(私の宮沢賢治 試論)

作者: 舜風人

宮沢賢治、


彼がいわゆる童話制作に思い至った、直接の動機は


国柱会の総裁のアドバイス、


「法華経精神をわかりやすく子供に童話として提供するのも菩薩行である」


という一言だった?といわれる。

熱烈な法華経信者だった賢治は

すぐにそのお誘いを実行することとなる


この動機からして

すでに、

確かに彼は、「いい子になりなさいよ」という教訓めいた浅薄な教訓を垂れるような

ありきたりの童話を書くつもりなどはなかった?だろう。


菩薩行(大衆救済)であり

法華経精神の浸透

そのためのツールとしての童話?


宮沢賢治はその遺書で

「私の使命はこのお経を広めることでした』と告白するほどの熱心さだった。


ではその法華経のおしえとは?


私はこうだと思っている。


法華経の要点は

1、人間全て仏性を持っている、

2、宇宙には広大無辺のエネルギーが満ちている。

3、霊魂は永遠である。

4、菩薩行こそ人間の使命である。


だがしかし


最初期の賢治童話にこそ、

法華経の教えがナマで?そのまま表されたようなものも存在するが


次第にそれは薄められて?

背景に退いて?

隠されてゆくのであり

次第に童話自身の成長過程が

宇宙的な広がりと異世界の荘厳とに満ちてくるのである。

そして宮沢賢治の独特の宇宙的感性と

独特の言い回しが

ほかの童話にはありえない荘厳世界を形作ってゆくのである。


その特異な文体の童話たち、

うまいとか

下手とかの俗な次元を完全に超えてしまった

その特異な文章でつづられる

一種奇妙・奇天烈な童話たち、


果たしてこれを「単なる童話」といってしまってよいのだろうか?


という疑問符がついてまわるこれらの創造物。


彼の文体をもし、国語学的に見たら?

語法も変だし

綴りも間違ってるし?

むしろ、、稚拙?というほうがふさわしいような文章ですよね?


美文でもないし

というかむしろ汚いような?文使い?ですよね。


オノマトペの多様から繰り出される、異様なリズム感といい、


そのリズム感や、独特のオノマトペで読者はあっという間に

異世界に拉致されてしまうだろう


その有機水銀電灯の燐光のきらめく

奇妙な童話世界。


「どっどど、どどうど どどうど どどう。」


このたった一行であっという間に読者を拉致しさる。


その威力、


あれ?


そこはもうガラスのマントをまといガラスの靴を履いた

不思議な風の精、又三郎がいるという

あの木造校舎ですよね。


たった一行で、異世界への入り口にいざなうこの圧倒感のオノマトペ。


そして童話の中に、時々さしはさまれるポエムというか、歌の部分も、

また民俗的な郷愁を誘うような

この不思議なリズム感。


そして

いつもその「おもてづら」の素朴な童話の展開の亀裂には

ちょこっと、異界が顔を出して緑の瞳でこっちをにらんでいる。

そんな童話ばかりですよね?


宮沢賢治が書いたいわゆる童話って?

ほんとに童話という、くくりでいいのでしょうか?


いいや、

これはそんな生易しいものなんかじゃない。


ただの童話ではないです。


鈴木三重吉の

小川未明の

椋鳩十の


そういういわゆる「単なる童話」なんかじゃ決してない。


これはもう童話の次元を完全に超えている。


じゃあなんだというのか?


これはまさに異界からの「伝道の書」そのものなんじゃないのか?

伝道?といってももうここでは

法華経の次元も越えてしまって?

なんというか


宮沢教?というか


賢治経というか。


そんな経典のような

ユダヤ教のトーラーのような


あるいは錬金術の極意書のような


あるいはもっとなんというか


例えば象徴的な悟りのポエムである


シレジウスの詩集のような


聖テレジアの見た神人合一の絶対境のような


ビンゲンのヒルデガルトが描く、汎神論の曼陀羅絵のような、

それはもう、


おもてづらだけで読んではいけないような


奥に深いシンボルとサトリが隠されているような


そういうモノなんじゃないのか?


言い切ってしまえば


これは童話じゃない。


経典だ


経文なのだ。


なんの?


宮沢教のだよ。


賢治経のだよ、



私にはこの宮沢賢治のいわゆる


「童話」といわれるものには


童話という概念を突き抜けてしまった


もうはるか先に異界にまでもいってしまった


そう言うビジョンを見るのである。


いわゆるそこらの童話の、「いい子になりなさいよ」的なありふれた教訓や、


訓示のような底浅いものは賢治童話には、かけらもないし、


そうではなくて賢治童話にあるのは、とんでもない


残酷と苦行と、迫害と、とてつもない忍耐と贖罪と


自己犠牲を伴うようなときには死ですよね?


世界は異形そのものであり、そこは実は、きらめく「銀河第5次元世界」であり。、


そこに生きるべき生命は


燃えるような希求と憧憬に心焼かれて


誰もかれも「いける者の本当の幸福」を追い求めている。




そうして


時として


「もしミミズがこの俺が死ぬことで助かるならば俺はミミズのために死んだっていいんだ」


とまで言わせしむるような


極限の自己犠牲


命をささげること、命を救うためならそれも、いといはしない。


そこまで求めるような童話っていったい?

これはもう童話ではないでしょ?



賢治が求めるのは

それは無限大の自己犠牲であり

喜んで自分の命を、体をささげるという


究極の自己犠牲を無限の歓喜のうちに遂行するってことですよね。


これが童話ですか?


そんな童話ってありますか?


ありえないでしょ?



これはもう童話なんかじゃない。


異界からの賢治経の伝道の書であり、


あるいは兜率天からの


命の意味の究極の問いかけの経文でしょ?


これはそこらにあるような


いわゆる、童話なんかじゃありえないですよ。


それどころか


ある意味とっても恐ろしい


人間道の究極の悟りの命の救済のための死の行法ですよ。


これは生ぬるい日常生活にどっぷりつかっている

我々にはまさに、電撃の鉄槌ですよ。


死を勧めるのですよ


この童話は子供たちに、


「ミミズのためにですら、命をささげなさい」?


と教えるんですよ。


ある意味とっても怖い、、、


皆さんの批判を恐れずに言うならば


これってある意味、「自殺の勧め」?でしょ?


そういうコワイ?


平凡人の生ぬるい生き方を全否定する


究極の死の伝道の書


それが宮沢賢治の


いわゆる


賢治「童話」の



本当の正体なんですよ。


そうじゃないですか?


平凡な庶民に過ぎない私には

だから宮沢賢治の童話はコワイです。


こんなにも自己犠牲をしなければ生きてるかいがないのか?


人々の「さいわい」のためになら


火山噴火で自殺しなければならないのか?


あるいはこんなにまでののしられ、恥ずかしめられなければ


空のお星さんにはなれないのか。


浄化されないのか?


なぜ?


あるいは、、


無垢なる子ウサギは人助けしたのに、

最後は失明という

究極の責めを負わなければならなかったのか?


子ウサギはそんな悪事をしたとでもいうのか?


ただ食パンを盗んだだけじゃないか?


それが失明という究極の劫罰に値するとでもいうのか?


わからない


私にはわからない。



この童話は恐ろしい、


人助けした子ウサギが


なぜ最後に、、失明という責めを


受けるのか?


私にはわからない。


でもきっと


これは深い意味を、、異界からの


兜率天からの


究極の救済と贖罪という


宇宙的な贖罪であり


真の人の道を象徴しているのだろう。


だからなのだろうか?


この子ウサギの失明の悲惨な物語は


妙に明るい鐘の音で、こう締めくくられている


「 窓の外では霧が晴れて鈴蘭の葉がきらきら光り、つりがねそうは、


 「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と朝の鐘を高く鳴らしました。」



最も重くて、悲惨で、つらくって、

そして誰にもできないような


究極の菩薩行


それがわが身を人の幸いのために捧げるという


命を人のために投げ出すという


究極の自己犠牲ですよね。


そこまで賢治童話は子供に求めている?


人々の「さいわい」のために

こどもたちよ、あなたは死ねますか?


と問いかけている?


そうだとしたら?


これはもう童話じゃないでしょ?


死の経典ですよ。


そう思うしかない。


それにしても


こんな童話ってほかにあるか?


ありえない、


あるはずがない。


これはそこらのありきたりの



いわゆる童話なんかじゃないということは決定的だ、


童話ではない、


これらの宮沢賢治の創作物は


異界からの伝道の書


究極の宇宙の奥義?


そうと思うよりほかはない。


だってそうでしょ?


私たち平凡なモラルに生きてるような人々が信奉している


「どんなものよりも人の命は大事」

「お友達となかよくしようね」

「よい子になりましょうね」

「悪いことはしてはいけませんよ」



という普通のモラルを完全に飛び越えているのだから。



と思うしか、、ほかにたとえようがないものだ。


それほど異質で


とびぬけていて


完全に向こうの世界に行っちゃってる。



それが賢治童話なるものの


本当の姿なのだと


私はこわごわと


いつも思ってるのだ。



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