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〔ライト〕な短編シリーズ

人質窮する作戦

作者: ウナム立早

「……ええ、まだ状況は動いていません。犯人は、元恋人と思われる女性を人質に取り、マンションの一室に立てこもっています。……はい、人質の女性の部屋です。……そうです、金銭は要求していません、先ほどから交渉人が犯人と対話を試みているのですが、どうにもうまくいかず、膠着状態が続いています。……はい、引き続き、包囲網を維持しつつ、手を尽くしてみます。通信終わります」


 ブツッ。


 本部への通信が切れると、俺は軽く息を吐きながら、肩を落とした。


「何度も同じことを言わせるなあ!」


 入れ替わるようにして、マンションの一室から怒鳴り声が聞こえてくる。


 何度も同じことを言わせるな、だって? それはこっちの台詞だよ。あの変に裏返った怒鳴り声を聞いていると、こっちまでおかしくなりそうだ。


 心の中で密かに悪態をつきながら、俺はまた現場の部屋へと足を運んだ。まったく、警部になった初日の事件がこれとは。


「ですからぁ、こちらとしてもぉ、そんな要求はのめないんですよぉ」


 部屋に近づくと、犯人の男性と交渉を続けている、坂崎君の声が聞こえてきた。最初の頃の溌溂とした、元気のいい口調はどこへやら、何時間も経過した今となっては、明らかに疲労の色が感じ取れ、語尾がやたら間延びした締まりの無いものになっている。しかし俺は、そんな彼を叱咤しようという気持ちにはなれなかった。


「関係ねぇよそんなの! 俺はさっさと、ガソリンを30リットル持ってこいと言ってんだよ!」

「いやぁ、しかし……」

「だめ、こいつの言うことなんか聞かないで! おかしいのよこいつ、絶対おかしいの!」


 金切り声というべきキンキンとした声が部屋中に響いた。人質である女性の声である。彼女もまた癖の強い人物であった。


「てめえ! 誰に向かってそんな口利いてんだ! そうだよ! 俺はおかしいんだよ! だがてめえだって同じだ! おかしい奴はおかしい奴同士、このちんけなマンションの一室で死ぬのがお似合いだぜ! そう、2人でガソリンまみれになって、火ぃ点けて! 黒焦げの肉団子になってくたばるのがなあ!」

「ちょ、ちょっ……」

「いやああああああああ! 黒焦げいやああああああああ!」


 終始、こんな調子である。質の悪いコントを延々と見せつけられているようなものだ。気力が萎えるのも仕方が無いだろう。


 もうほっといて、お二人で勝手にやってくださいとでも言いたいところだが、彼女の喉元で鈍い光を放っている果物ナイフが、我々を現場にひきとめ続けている。何かの拍子で、この凶器がブスリといってしまえば、もう冗談などでは済まされない。


 現場にいる部下のほとんどは、この手持ち無沙汰の状況に辟易しているようだった。夜になって落ち着くのを待った方がいいんじゃないか、ガソリンと見せかけた普通の水でも渡してみようか、というような、他愛もない意見を持て余しながら過ごしていた。


「警部! 本部からの通信が入っています!」

「ん……? 本部からか?」


 唐突に部下からの連絡が入った。ついさっき通信を終えたばかりである。今まではだいたい1時間ごとに現況報告を行っていただけだったが、こんな短い感覚で、しかも本部からかけてくるとは。何か素晴らしい打開策でも浮かんだのか、それともより緊急を要するような、別件の事件でも起きたのか。


 期待と不安が頭の中をよぎるなか、俺は無線機に耳を傾けた。




 それからほんの十数分程度で、1台のパトカーが現場に到着してきた。そして、助手席のドアから男が1人、颯爽と姿を現した。


 白いシャツの上に茶色のベストを身に着け、青いジーンズにはすり切れた跡がいくつもある。腰にはホルスターに収められた銃が、鈍い光を放っている。そして、ダンディズム溢れる、彫りが深く整った顔立ちに、立派なヒゲ。極めつけは、頭のてっぺんで存在感を示している、テンガロン・ハットだ。


 そう、その男はまるで、西部劇に出てくる保安官を、現代風にアレンジしたような恰好をしていたのだ。この男にまちがいない。


「ようこそおいで下さいました、富永巡査部長」

「お初にお目にかかります、ボス」


 彼はテンガロン・ハットを取り、胸にあてがって礼をした。いかつい外見とは裏腹に、まなざしや仕草には、おだやかな印象を感じさせた。


「本日は休暇をとってアメリカから帰省されているところを、このような事件で呼び出してしまって、まことに申し訳ありません」

「いえいえ、とんでもない。今回のような人質を取られて行き詰っている事件を、一刻も早く解決するのが、我々の役目なのですから。それに、これまでアメリカで培ってきた技術を母国の日本でお披露目できる、またとないチャンスなのですよ」

「それは、頼もしい。ぜひ、お力添えをお願いします」


 本部から伝えられたとおりの男だ。彼は、日本での階級こそ巡査部長ではあるが、10年ほど前に、自ら志願してアメリカの警察へと出向していった、上層部では有名な存在なのだそうだ。さらに、人質事件を専門とする特務機関に配属され、これまでに数々の成果をあげているという。


「現場の大まかな状況は、本部から聞いております。さっそく向かいましょう」

「はい、こちらへ……」


 年齢は彼の方が一回り上らしいので、どうもぎこちない会話になってしまうが、本人は特に気にすることも無く、足早に現場へと進んでいく。


 現場では相変わらずの状況が続いていた。坂崎君はもはや横でなだめるだけで、犯人と人質は不毛な言い争いを繰り返している。犯人のナイフが肌を擦ったのか、人質の首元からはわずかに血が垂れているが、両者とも意に介する様子が無かった。


「なるほど、情報通りだ、部屋の間取りは……案外狭いな」


 富永氏はそうつぶやくと、ドアの影からあたりを見回した。その鋭いまなざしは、先ほどとは打って変わって、プロフェッショナルの凄みを感じさせるものだった。


 すると、彼は腰のホルスターから銃を取り出した。全貌があらわになると、それは今までに見たこともない、特殊な形をした銃であることがわかった。――それを今回、使うのだろうか?


「普段通りのセッティングで問題ないか、いや、弾を軽めのものにしておくか」


 そう独り言ちながら、彼は銃の各パーツを分解したり、組み直したりしている。チューニングをしているのだろう。しかし、俺には先ほどの不安が頭から離れなかった。


 それ、使うの?


 アメリカは銃社会と言うものの、ここは日本……、いやいや、おちつけ。いくらアメリカ帰りだからって、犯人を銃殺するなんて方法を、安易にとるわけがない。人質の無事が最優先ではあるが、犯人にだって人権があるのだ。むやみにケガを負わせたり、死なせてしまったりしたら、それはそれで問題になる。あの銃は、きっと他に、使い道があるんだ。


「準備ができました。ここから先は、私にお任せください」


 富永氏が銃をホルスターに収め、そう告げてきた。


 いよいよ、彼の技術がお披露目になる。俺は現場に向かって合図をし、部屋の中にいる部下たちや、交渉人の坂崎君らを、犯人と人質から遠ざけさせた。


 代わって、富永氏が、ゆっくりとした足取りで2人の正面へと進み、そこで向かい合うようにして仁王立ちとなった。


 さすがにあの犯人と人質でも、現場の異様さに気づいたらしく、しばらく富永氏を注視していたが、やがて犯人が沈黙を破った。


「な、なんだ? 誰なんだ、お前は?」


 犯人が喋り終わるのと、ほぼ同時だった。


 富永氏は、一瞬のうちにホルスターから銃を抜き放ち、銃口を向けた。


 パゥン。


 ビシッ。


 ぎゅうぎゅうに圧縮された風船が破裂するような音とともに、人質の眉間に、風穴があいた。


 ――え?


 人質? えっ? 逆じゃない?


 富永氏を除いた、現場の部屋にいる全員が、時でも止められたかのように、その場に立ち尽くしていた。それは、犯人はもちろん、人質も例外ではなかった。


 パゥン。パゥン。


 続けて2発、銃声が部屋に響いた。そして2発とも、胸元、腹部と、見事に人質へと命中し――。


 いや、おい。てめえ……何やってんだああああああああ!


 急いで彼を止めようとしたが、もはや手遅れ。力を失った人質は、犯人の腕をすり抜けて、床に倒れ込んでしまった。


「う……うわわわわ!」


 先にアクションを起こしたのは犯人の方だった。犯人は倒れた人質を見て戦慄し、なんとか部屋の奥に逃げ込もうとした。


 パゥン。パゥン。パゥン。


 そんな犯人を逃すまいと、富永氏の凶弾がおそいかかる。今度は、3発だ。


「ひいいいいーっ!」


 今度は外れて、壁に当たったようだ。……って、いやいやいや、のんきに見物している場合じゃないだろう! 人質に誤射しただけじゃ飽き足らず、このおっさんは、犯人まで撃ち殺さなきゃ気が済まないのか!? こいつは危険人物だ――今すぐ止めさせなければ!


 あまりのことで呆気に取られていたが、ようやく警部らしい思考が戻ってきた。しかし、ここでもまた、犯人の行動のほうが早かった。


「や、やめろ! 撃つな! 撃たないでくれーっ!」


 犯人は悲鳴に似た声をあげると、持っていたナイフを床に投げ出し、その場で頭を抱えてうずくまってしまった。


 富永氏はようやく銃をおさめた。


「ボス、終わりました。確保を」

「え、あ、……はい」


 彼のあまりに冷静な口調に、思わず面食らってしまった。俺は大きく息を吐くと、未だに困惑を隠し切れない部下たちに、犯人の確保を命じた。


 犯人は逮捕され、事件は解決した。しかし、その内容はとても褒められたものではない。人質の死という、最悪の結果になってしまったのだから。ああ、やっぱり、こんな銃社会でドンパチやってた、時代遅れのおっさんなんかに任せるべきじゃなかった。本部は何を考えて、こんなおっさんを寄越してきたんだ。これは俺の、警部として初めての事件なんだぞ。それがこんな大失態で終わるなんて、俺の、将来は……。


 そんなやり場のない落胆が、頭の中を渦巻いている。しかし、起きてしまった現実は変えられない。まだ床に突っ伏して倒れたままの人質を見つめながら、呆然と立ち尽くしていた。


「驚きましたかな?」


 後ろから不意に、富永氏が声をかけてきた。いまだに穏やかで、かつ余裕を崩さない表情が、今ではとんでもなく憎たらしく見える。


「ええ、そりゃもう、びっくり仰天ですよ」


 俺は怒りを抑えながら、精いっぱいの皮肉で反撃した。すると富永氏は、フフッと吹き出し、口元に手を添えながら話を続けた。


「いえ、ボスの言いたいことは、私もわかっていますとも。ですが、ご安心ください。今回の人質救出作戦は、まぎれもなく成功なのですよ。さて、そろそろタネ明かしといきましょう」


 成功? タネ明かし? また、何を言い出すんだ、このおっさんは?


 しばらくして、俺は手の空いた数人の部下たちを引き連れ、現場の富永氏のほうへと向かった。富永氏は、突っ伏していた人質の遺体を、仰向けに直していた。


 改めて見てみると、ひどい有様だ。眉間には生々しく銃創が刻まれていて、胸元や腹部も、衣服を貫いて赤黒い染みが広がっている。誰が見ても、死んでいると思うだろう。


 すると、富永氏はベストのポケットからハンカチを取り出した。


「これをご覧ください」


 富永氏は、ハンカチで人質の頭部をサッと拭った。


 ああっ!?


 俺を含めた、その場にいた誰もが、驚きの声を上げた。先ほどまであった眉間の銃創が、跡形もなく消え去っていたのだ。


 続いて富永氏が、胸元、腹部の着弾点をハンカチでなでると、それらも衣服の染みを残して、同じく消えてしまった。


「この汚れは、軽く洗濯をすれば落ちるでしょう。日本の洗剤は優秀ですからね」

「富永巡査部長、これはいったい……」


 思わず声をあげた俺に対して、富永氏は銃の弾倉から、1つの銃弾を取り出した。そこでようやく、銃弾も、銃本体と同じように特別仕様のものであることに気がついた。


「これは……麻酔銃、ですか?」

「大元は麻酔銃です。でもこの銃弾は、弾丸に特殊な加工を施しているのです」


 富永氏が銃弾の先端をトントンと叩く。なんだか赤みを帯びた、黒いカプセルのようなものが詰まっている。


「このカプセルが最大の特徴でしてね、本場ハリウッドでの、特殊メイク技術を最大限に利用して作られた、いわば特注品です。どんな効果があるのかと言うと、被弾した相手へ、ニセの銃創をつけることができるのです。もちろん、撃たれた側は麻酔剤で眠るだけで、命に別状はありません」


 部下たちは一斉にどよめいた。しかし、俺にはまだ疑問に思うことがあった。


「そ、そのような麻酔銃なら、わざわざ人質を狙わなくても、犯人を撃ってしまえば、それですむのでは?」


 富永氏は間髪入れずに回答した。


「その意見はごもっともです。しかし、麻酔銃というのは、着弾してから麻酔が効きはじめるまでの間に、どうしても時間差タイムラグが発生します。もしそのまま犯人を撃ったとしたら、意識を失う前に、やけになって人質へ危害を加える可能性が十分にあるのです。ですが、あえて人質を撃った場合はどうでしょう? あの時の皆さんと同じように、犯人も、最初は呆気にとられるはずです。今回はうまく眉間に着弾しましたが、私は弾が逸れたことも考えて、3発は撃つようにしています。そこまでやれば、犯人は人質が撃たれて死んだ、つまり、人質として用を成さなくなったと、勘違いするでしょう」


 確かにそうだ、実際に、あの後で犯人は人質を置いて逃げ出したのだから。ふと向こう側の壁を見てみると、逃げようとした犯人を撃った時の、銃弾の跡があった。あの時は気がつかなかったが、まるで人間の体に撃ち込んだような、特殊メイクの銃創ができていた。


「あとは、逃げる犯人に麻酔銃を当てるか、威嚇して武装解除させるかすれば、容易に無力化することができます。そう、これこそが、銃社会アメリカから編み出された、人質も犯人も傷つけない、新しい人質救出作戦なのです」


 そう言って、富永氏は締めくくった。


 正直なところ、俺はすべてを説明してもらっても、この奇妙なやり方が腑に落ちなかったのだが、結果的に、人質と犯人の両方とも、無事確保することができていたのだ。先ほどとは打って変わって、最良の結果である。お見事――と、言うほかなかった。


「いやぁ、お見事、恐れ入りました」


 俺の脱帽に、富永氏も満足そうだった。


「あっ、見てください。人質の方が、麻酔から覚めてきたようですよ」


 部下の1人が、人質のほうを指さして言った。


 安穏とした雰囲気の中で、部下の数人が、人質の彼女を介抱した。まだ彼女は麻酔覚めやらぬといった感じではあったが、特に異常もなく、部下からの説明をうなずきながら聞いているようだった。


 しばらくして彼女は、富永氏を呼び出した。富永氏は軽く笑みを浮かべながら、彼女の目の前へと姿を現した。俺は、今回の事件を解決した富永氏に対して、何かお礼でも言うのかと思っていた。


 次の瞬間、彼女は大きく腕を振りかぶり、富永氏の頬に思いっきりビンタを浴びせた。


 バァン!


 銃声よりもすさまじい破裂音が、部屋中に響き渡る。


 たまらず倒れた富永氏に、彼女は追撃の蹴りを何発も食らわせた。介抱していた部下たちが、慌てて彼女を止めに入る。


 彼女はなんとか落ち着かせることができたが、富永氏はしばらくその場にうずくまっていた。やがて起き上がってきた富永氏の顔には、真っ赤な手形が痛々しく残っていた。


 頬はひどく腫れ、鼻血を出し、ダンディズムに溢れていた顔は、もはや見る影もない。それでも富永氏は、決して余裕を崩さず、こう言った。


「ご覧のように、人質からのウケが最悪なのが、この作戦の欠点ですかね」



-END-

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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