結月ゆかりは忖度する
血液の採取を目的とする邪悪な誘拐犯と、善良なごく普通の剣道少女。2人の戦いは苛烈を極めたが……時系列としてはこの後の流れはすでに確定している。
ここで少女は捕らえられ、館に幽閉される。そして探索の後に脱出を果たすのだ。
『さすがに麻酔は効いたか……』
どれほどのパワーがあろうとも、彼女は剣道家。徒手空拳で銃に対抗できるほどの技術は持ち得ず、あえなく倒れ伏す。
「ここまで完全にムービーシーンですが、手に汗握る展開ですね」
「ここまで散々叩いてきたゆかりさんが手のひら返す展開なんてよっぽどだよね」
ゆかりも、あくまでホラーゲームを謳いながらジャンル詐欺を行うこのゲームに苦言を漏らしていただけで、ゲーム内容そのものを否定していたわけではない。むしろ細やかなドットでアクションを表現する演出面を多大に評価している。
エンディング後に始まった回想シーンは操作こそできないものの、その長所を極限まで活かした可愛らしくも苛烈な戦いが繰り広げられており、ゆかりはさらに評価を引き上げた。
「ムービーシーンばかりで操作できないゲームはあまり好きではありませんが、これはあくまでオマケですからね」
「でもこれがドット絵じゃなかったら怒ってそうじゃない?」
「むむ、あかりちゃん。その発言はラインを越えてますよ。私がドット絵に忖度しているとでも?」
「じゃあ怒らないの?」
「怒ります」
そんな言い争いをしている間に少女はロープで縛られ運ばれていく。歩道で白昼堂々と銃を使い、拘束した上で背負って運搬し……人目につかないほうがおかしいほどの大胆な犯罪行為だが、描写外で対策が行われているのかあるいはストーリー進行の都合ゆえか見つかることもなく洋館へとシーンが移行した。
本編では壊されていた門をリモートキーで開き敷地内に入ったと同時に閉め直す。こうなれば他者へ見られることはない。女性は安心して剣道少女を地面に落とした。
『はー、重かった。逃げる選択肢はなかったとはいえ、初っ端からとんでもない奴を狙ってしまったよ』
もはや勝利を確信したように、女性は独り言を呟く。当たり前だ、すでに縄で拘束しているのだから剣道少女になすすべはない。一般人としては至極真っ当な思考でありこの状況で抵抗を考慮するのは余程の不安症の持ち主くらいだ。考慮する必要があるのは第三者の介入のみであり、最低でも血液の抜き取りは完遂される——そう誤認してしまった。
ぎちり。ぶちっ。
不意に何かが破けたような微かな音が女性の耳に響く。
『(先の戦いで服が損傷していたかな?)』
そして自身の服を確認しようと服を引っ張りながら顔を伏せて……。
『ひっ……』
足元で静かに動く存在を目の当たりにした瞬間、悲鳴をあげて後ずさる。
『麻酔が切れるのが早すぎるっ……!』
ロープを力任せに引きちぎり、ゆらりと立ち上がる少女。意識は無い。目を瞑ったまま、闘争本能のままに臨戦態勢を整えたのだ。
「かわいそう、犯人さんすごい怯えてない?」
「素人の縛り方なら緩む可能性もありますが、ここまでの描写を見るに銃を持ち歩く程度にはアウトローな方ですからね。まあそれ以前にロープが人間の手でそう簡単に引きちぎられる時点で困りものですが」
先の襲撃時には想定を越えられつつも麻酔銃による冷静な対処が取れていた。しかし今は完全に緊張の糸が抜けた状態。
安堵した所で挟まれる恐怖演出に心を掻き乱されぬ者などいない。
『ひっ、ひゃあぁあアアっ!』
女性は脱兎の如く脇目も振らず館へと走る。これまでの行動を支えていた思考能力は完全に瓦解し、目の前の脅威からの逃走を選択する。
しかしそれは完全に悪手だった。いまの少女は思考能力を手放し敵対者に対抗するだけの自動的な存在と化している。迂闊な動きを見せなければ睨み合いのままゆっくりと距離を取ることもできたはずだった。
森でばったりと出くわした熊に背を向け逃げる。それは最も選択しやすく、最も悪いとされる究極の愚行。
『キィエェェェッッ!』
少女は奇声をあげながら反射的に眼前で動く物体に迫る。すり足による人智を超越した速度で瞬く間に距離を詰め、全力の殴打。
縄を断ち、壁を破壊し、全てを力ずくで片づける究極の暴力が振るわれ、女性は大きく跳ね飛ばされる。
まともに受けたら間違いなく即死だった。しかしその豪腕から生ずる風圧によって直撃よりも先に吹き飛ばされたことにより偶然にも致命傷は避け、地に倒れ伏す。
起き上がる気力すらも失われた女性は神に祈りながらもそのまま倒れ続け……敵対者の消失を確認した剣道少女もまたその場に倒れ伏した。
『……たす……かった?』
身体をできる限り動かさないように体勢を変えながらそっと剣道少女を確認する。
少女は微かな寝息を立てながら眠っており、起きるそぶりはまったく見えない。
『……今のうちに』
「逃げるのかな?」
「いや、このゲームは館で倒れていた少女が目を覚ます所から始まるんですよ。近くには切れた縄が落ちています」
「あっ……」
『これだけ強力な能力の持ち主なら、その血液から生み出される【不老薬】も相当なモノとなるはず……』
そして女性は再びロープを用いる。犯行現場の時とは違い今度は時間に猶予がある。幾重にも頑丈に結び固めて縛り上げ、追加の麻酔を投与した上で館へと運び込む。
「生き血であることに意味があるのか、あるいは定期的な採取を行うためなのでしょうか。なんにせよ1つわかりましたね——このゲームは立派なホラーゲームです」
その後の流れは本編通りだ。案の定、寝ぼけながらもロープを引きちぎり館の探索を開始する。
そしてコーヒーを飲みながら優雅に寛いでいた女性は隣の部屋から鳴り響く轟音によりようやく異変に気づく。
ドアの破壊から始まり、猛獣が暴れているかのような恐怖を掻き立てる騒音、そして隣室から突き出す指先。
壁が破壊され、部屋の中ですらも安全ではないと悟った女性は全速力で部屋を抜け出し逃走する。
しかし女性には逆転の切り札があった。
それが『読んだら死ぬ本』。少女が気づくように少しだけ本棚から引き出しておく。読まれるという保証は全くない。しかしそれが平静を失った女性にとっては唯一の縋る道であり、必勝の策だった。
少女が部屋に入ったのを確認してから先程まで彼女が暴れていた部屋に飛び込み、壁に空いた小さな穴から策の成立を見届ける。
その目で終わりを見届けなければ、この恐怖を抑え込めない。主客が転倒した生き物の性、恐ろしいからこそ無駄なリスクを犯す愚者の所業。それこそが恐怖演出の真髄であり——ホラーゲームの人気が色褪せない真因だ。
隣の部屋はすでに静かだ。あるいはすでに命を引き取っているかもしれない。愚かな奴だ。あれほどの呪いに気づかないだなんて。
都合のいい想像はすでに彼女の中では確定された事象へと変化していた。
そして女性が瞳をそっと壁の穴に当て、覗き込んだその先には
にこりと嬉しそうに、どこか嘲るようにこちらへ手を伸ばす可愛らしい少女の姿があった。
ぐちゃり。
『うーん、何もないね。お隣の部屋は空っぽ!』
——突き破った穴も特にイベントはなかったね
——穴を覗くシチュエーションというのは典型的なホラーのタイミングだと思うのですが




