006:雇用条件
「待ちなさいよッ! わたしの部屋に行く気なの? 部屋は自分で取ればいいじゃない!」
叫んでから、まずかった!――と後悔したが、時すでに遅し。
すっかり注目されていた。
すぐ隣のテーブルから、「今の、聞きました!?」「ええ、あの子の部屋に行くって」「あの二人はどういう関係なのかしらッ?!」なぜか興奮したおばさん方の好奇心に満ち満ちた声がする。
ものすごく恥ずかしい。
が、気にしている余裕は無い。
砂漠で拾った初対面の男に、部屋まで押しかけられてたまるものか!
「ええ~!? せっかく拾ってくれたのに、その態度はつれないなあ?」
晶斗はわざとらしく言い放った。
くたびれたガードベストは、遺跡地帯の町中ではありふれていても、高級ホテルのレストランではくたびれ加減とみじめさが悪目立ちする。ユニスは近くにいるのも恥ずかしいのに、晶斗は平気なのか、二カッと舌を出した。
「給料前払いしてくれるなら、自活するけどさ?」
金をくれ、と右手を出す。
ユニスは頭が痛くなった。
「ふざけないでよッ。図々しいにもほどがあるわ」
ユニスは拳を握りしめて晶斗を睨みつけた。
晶斗は笑みを消し、手を引っ込めた。
「ちぇッ、ダメか。……それなら、いいことを教えてやるよ。俺の信条として、雇い主には手を出さないことにしている。安心してくれ、美人を護衛するのは得意なんだ」
晶斗はクソ真面目な表情を崩さない。
ユニスの頭のどこかで、何かがブチ切れた。
「ったく、もう! 人の神経を逆撫でして、何をしたいわけ?」
ユニスが右拳をテーブルに叩き付け、椅子から立った、途端、
ピシリッ!
鋭い音はやけに大きかった。まるでレストラン中に響き渡ったようだ。
晶斗が、いや、レストランにいる者すべてが、動きを止めたかと思われた。
ユニスは恐る恐るテーブルを見下ろした。
――しまった、ティーカップ!……。
大きくヒビ割れた。残っていたお茶が受け皿を赤く染めている。
――うそッ、シェインの暴発!
ほんの一瞬、沸点を越えた怒り。本来ならば、空間を操り歪みを整えるべきシェイナーの能力が引き起こした、人為的な『歪み』!
ユニスは軽いめまいがした。
いくら怒りに我を忘れたからといって、こんな衆人環視の中でシェインの制御を失うなど、幼児期以来の大失態だ!……反省したって、もう遅いけど。
ホテルには、ユニスがシェイナーだとバレバレだ。
どうせ、保安局にも目を付けられているのなら……!
「いいわ、そんなにわたしに雇われたいのなら、それなりの契約手順を踏んでもらうまでよ」
ユニスはテーブルへ左手を置いた。
周囲の空気が急速に冷えていく。
テーブルの表面から、純白の煙が噴き上がった。
冷気だ。白い雲のごとく盛り上がり、波のごとく広がってティーカップを覆い、受け皿にあふれた紅色の液体までもが真白く凍結した。
冷気はテーブルの縁から白い滝のように流れ落ちた。
「おっと」
晶斗が飛びさがった。
床に降りた冷気はさっきまで晶斗が座っていた椅子の足を這い上り、クッション部分をたちまち白く凍てつかせた。
周辺の客席へ、氷のように冷たい風が吹きつけていく。
――きゃあ、急に寒くなった!?
――ほら、あの娘のせいよ、さっき自分でシェイナーって叫んだ子!
――あらやだ、こんな処でシェインを使っているの?
――まあ、あんな若い女の子がシェイナーなの?
――なんですって。保安局に通報しなくて良いのかしら!?
客は我先にレストランから出ていった。
ウエイトレスもいなくなり、入り口付近を固める従業員の数が増え、こちらを伺っている。
ユニスは心の中で舌打ちした。
保安官が来るのは時間の問題だ。まだ警備員すら来ていないのが不思議なほどだ。
「へえ、なかなか面白いことができるじゃないか」
晶斗だけが、ユニスの真正面にいた。飛びのいたのは一度だけ。それから晶斗の立ち位置は変わっていない。
「あなたこそ、肝がすわっているじゃない」
ユニスが人間を凍結させないことを、晶斗は見抜いている。
凍らせたのはティーカップと受け皿と椅子一脚。
白い冷気は今もユニスの触れたテーブルから半径1.5メートル前後の円周内を漂っているが、他のテーブルや床には変化が無い。
ユニスが完璧に制御しているからだ。
ユニスは晶斗を見据えた。
凍ったティーカップへ左手の平をかざせば、白いティーカップがさらなる純白のきらめきをまとう。
空気中の水分が微小な氷となって張り付いた摂氏マイナス40度以下、水が流れ落ちる途中で凍る、超低温による現象。
ティーカップが受け皿ごとフワリと飛んで、ユニスと晶斗の間へ浮かんだ。
ユニスは左手を下ろした。
白い茶器は宙にとどまっている。
次の瞬間――。
パンッ!
砕けた。
陶器の破片は宙に浮いていた。
球形の光に封じ込められて。
ユニスは瞬きした。
光が消えた。
シャリーン……。破片が床に散らばる音色は透明だった。
晶斗は黙って見守っていた。
「あら、驚きすぎて声も出ないの?」
ユニスはわざとからかった。
少し意地悪な気持ちはあった。しかし、シェイナーとしてのユニスを見た晶斗がどんな態度を取るのか、知りたかった方が大きい。
「感心した。それが君の得意技か?」
ほがらかに応じた晶斗は、口角を上げてはいても目が鋭い。突っ立っているように見えて、そのじつ、ユニスが次にどんな行動を起こしても即対応できるよう、全身の筋肉に指令を行き渡らせている――そんな感じだ。
護衛戦闘士という職業は特殊だ。ユニスも遺跡地帯では見かける。
だが、こんなふうに相対したのは初めてだ。ユニスをシェイナーと知った上で、真っ正面から近づいてきた者はいなかった。
晶斗が自己申告した一流の護衛戦闘士というのも嘘ではなさそうだ。
「いうじゃないの。このシャールーン帝国でシェイナーに喧嘩を売るとは、良い度胸だわ。いいわよ、雇って上げても。ただしッ!」
ユニスは晶斗を、びし!、と指差した。
「わたしと一緒に遺跡へ入って、迷宮の中を遅れずに連いて来られたら、考えてあげてもいいわ」
思いつきだったが、ユニスは我ながら良いアイデアだと思った。
本当に雇うなら、職場は遺跡なのだから。
「それは……未固定の迷宮を踏破するってやつだな。いいだろう、準備は?」
晶斗は腕組みして訊いてきた。守りの姿勢というところか。
乗ったな! ユニスはほくそ笑んだ。
遺跡地帯に持ち込めば、勝敗はユニスの手の平に載ったも同然。
「用意はいらない。あなたはシェイナーじゃないから、迷宮での安全は、シェイナーのわたしが保証するわ。もし失敗しても、無事に返してあげる」
「なるほど、まともなシェイナーのプライドか。だが、君が本当に俺のことを遺跡の中に置き去りにしないって保証は?」
晶斗の眉間に縦皺が刻まれた。
きっとこれが晶斗の本音。
どんなに腕がたつ護衛戦闘士だろうと、何の装備も無しに未固定の遺跡を踏破することは、まず不可能。シェイナーではない人間が遺跡で迷うのは、死の宣告にも等しいのだから。
「あ~ら、嫌なら断ってくれていいのよ。だって、普通の人は遺跡地帯に近付くだけでも危険ですものね」
これまでユニスに声を掛けてきた連中は、この条件を提示した時点でほとんど逃げたが……。
「いいだろう、いつ始める?」
やらない、と言わなかったのは、晶斗の護衛戦闘士としてのプライドか。
もしも遭難したら二度目に助かる保証はない。
それでも、ユニスに読み取られるような弱味は見せない。
ユニスを若すぎる女の子だと馬鹿にもしない。シェインで触れた物を凍結させ、ティーカップを空中で砕いて見せたのに、バケモノと蔑んだ目で見ることもなく――。
「今夜よ。砂漠へ出るのは、月が出てから。それまで休憩しておいて!」
気が付けば、ユニスは笑顔で応えていた。