055:氷の障壁
白い疾風のごとく、右から二羽、左から一羽の三角鳥が襲いくる!
三羽のクチバシが間合いに入る前に、プリンスは一刀のもとに斬り捨てていた。
斬られた三角鳥は攻撃のいきおいのままに墜落し、地に落ちて色を失い、砂と化した。
ユニスは空を見上げた。
暗き空に、魔物の鳥が白く飛び交う。三〇羽か五〇羽か。いやもっといる。いくらプリンスが腕利きの魔物狩人でも、群れで一斉に襲いかかられたら、すべて斬ることができるだろうか?
「ユニス、障壁を張れ!」
空中からくる敵を次々と斬り捨てながら、プリンスは振り返りもせず指示した。
「障壁? どこに、どうやれば……!?」
「村の全域にだ。早く!」
また三角鳥が、プリンスめがけ、まっすぐ滑空してきた。
ユニスの方には来ない。それで気がついた。ユニスの周りにシェインの気配。ユニスを卵型に包む膜のような結界だ。物理的な衝撃をも防ぐ強力なシェインの護り。これはプリンスのシェイン。
ふと、プリンスが剣だけで魔物退治をしているのに気づいた。戦闘能力を磨いたシェイナーならば、シェインで攻撃する方法があるはずだ。
――あ、歪みがひどい空間だから、広範囲に破壊するシェインが使えないんだわ。
強力な破壊をもたらすシェインを使えば、この歪みにまるごと包まれている村にも影響が出る。いまは姿が見えない人々にも何らかの影響を与える可能性もある。
だが、プリンスがシェインを行使していないかといえば、違う。これで三つ以上同時行使しているのだ。三角鳥退治はいわずもがな、索敵と自身の防御、ユニスの庇護に。
シェイナーとしてシェインを行使する技術のレベルが違いすぎる。ユニスは三角鳥を見たショックで、自分を護る結界を張るのも失念していたのに!
「ユニス!」
プリンスのするどい叱咤! ユニスはビクリと首をすくませ、恐る恐る空を見上げた。
――どうしょう。どうすればいいの?
この村全域を覆う障壁?
単純な氷の塊をひとつ作るのとはわけがちがう。直径一〇キロ以上にも及ぶシェインの覆いなんて、そもそも想像できない。
「そんなの、作ったこと、な……!?」
突然、ユニスの脳裏に純白の雪原がひろがった。
一面、巨大な雪の結晶が舞い狂う。摂氏マイナス四〇度の冷気が、降り落ちる雨をみぞれと変える世界、凍結した木々は純白のオブジェと化し、大地は分厚い氷で半永久的に閉ざされた――恐ろしくリアルな極寒の風景。
――なにこれ……!?
ユニスは生まれてこの方、そんな寒い地方とは無縁で育った。まるで覚えがないが、もしかしたら理映機でこんな地域のニュースでも見たことでもあったのだろうか。
――そうか、このイメージを使えばいいんだわ。
氷ならいくらでも作れる。未踏破遺跡の中でも、氷は魔物を押し潰し、魔物は氷を避けていた。雪原のように広い場所を、その距離感をイメージできるなら、この村全域をイメージするのも同じことではないか?
――これならできる!……。
たちまち空気は氷点下に冷えこんだ。
頭上から雪の結晶が降ってきて、すぐにやんだ。
灰色だった天空は、白く濁っていた。
氷が天をふさいでいる。
「氷の天蓋……」
――やったわ! これをいま、わたしが作ったの……よね?
ユニスのシェインで構築された溶けない氷の障壁。氷ならいくらでも作れると豪語しても、ユニスが作ってきたのはシンプルな氷の塊だ。これほど大きく、見事な形にできるなんて、初めて知った。
いや、シェインで障壁を作る技術が存在するのは、知識としては知っていた。この氷の天蓋は、氷の創造と成形を障壁の形へ応用したにすぎないのだが……。
――あれ? なんだか実感が乏しいような……?。
ユニスがシェインを行使したという手応えが薄すぎる。
――なぜかしら。見知らぬ人が作った興味のないものを眺めているような奇妙な気分だわ……。
ユニスがシェインを行使したという手応えが感じられない。
プリンスが音も無く太刀を鞘に収めた。ユニスのほうへ来る。
新たな三角鳥は飛んでこない。
純度の高い氷の天蓋は透明度が高く、半ば透けている。よく目を凝らせば、空高くにある氷の外側では、いまも黒い点が飛び交っている。
三角鳥の魔物どもは顕在だ。分厚い氷の天蓋を通り抜けられず、下には降りてこられないだけ。
それでも、これで一息つける。黄砂都市から保安部隊が到着するまでもちこたえれば、魔物は一掃されるだろう。
あちこちであがっていた喧噪が、収まっていく。
「時間が稼げた。行くぞ」
プリンスの命令だ。
「え? あの……」
なぜ、プリンスがここに? という疑問すら訊けず。
「ユニス」
プリンスが見つめている。歩き出さないユニスに怒っているわけではなさそうだが、有無を言わさぬ圧を感じた。
「は、はいッ!!!」
大股に歩み始めたプリンスについて、ユニスは走った。
どこにいくのか、皆目見当がつかぬまま。
プリンスの後ろを走りながら、ユニスは現在地がどこなのかを考えた。
おおざっぱな体感時間で一〇分は過ぎている。
目に入るのは、この地方特有の平屋根の白い建物がえんえん連なる景色のみ。
――この村って、こんなに広かったかしら?
宿舎の三階建ての建物はどこにいったのだろう。
どこまでもつづく薄暗い景色は、終わりの無い悪夢の中にいるようだ。
「おい、ユニスッ!!!」
晶斗だ。声が建物の壁に反響して位置がわからない。
「晶斗ッ、どこ!?」
足を止めてキョロキョロしはじめたユニスへ、プリンスが振り返る。
ユニスは左へ顔を向けた。
右目の端でなにかが光った。
その前に、プリンスは跳んでいた。
空中で光が散り、あとの地面にきらめきが突き刺さる。それは長さがまちまちの、金色の棒杭のようなもの一〇本。
――ちがう、これ、もとは五本だわ。
飛来した瞬間に、プリンスが斬ったのだ。
ユニスの目に留まらぬ速度で、抜刀して。
――え? これって、晶斗がプリンスを攻撃したってこと?
「ユニス、逃げろッ!」
晶斗の居場所がわからない。何から逃げるのかも判断できず、ユニスは何度も左右を見た。
剣を持ったプリンスが、かすかに眉をしかめている。プリンスにも晶斗の位置がわからないのだ。
晶斗はプリンスというシェイナー相手に本気で隠れている。
――これって、晶斗は本気の戦闘モードってこと?
だが、何のために?
「晶斗、どこにいるの!? 出てきて!」
ふたたび小さな閃光が飛来した。
ユニスとプリンスのちょうど中央あたりの地面でそれはパシッと軽い音で弾け、一瞬でもうもうたる灰色の煙が視界をふさいだ。
「なんで!?」
手探りでプリンスの方へ行こうとしたら、背後へグイと持ち上げられた。
「きゃっ!?」
「あばれんなよ」
ユニスは晶斗の左肩に担ぎあげられた。
走り出す前に、晶斗は右手を振っていた。
こんどは炸裂音がして、プリンスのいるだろう方角で、まばゆい光があふれた。
「光弾だ、殺傷力は無い」
走りながら、晶斗が言った。
「なんで!? どうして逃げるの!?」
ユニスのみぞおちに晶斗の肩のプロテクターが当たる。腹部が圧迫されて痛い。揺れるたび落とされそうな気がして、ユニスは必死で晶斗の首へ腕を回した。
「あいつが信用できるか。いままでどこにいた?」
「歪みのなかよ。プリンスに出してもらったの。だから、どうして!?」
「君こそ、なんであいつを信用するんだ!?」
晶斗は建物の角を曲がった。
風景は変わらない。白く四角い建物、建物、建物……。どこまでも同じ。
「異空間よ。ここは歪みの中だわ。放っておいたら村が危険だわ」
「だからといって、俺たちに何ができる……!?」
と、晶斗はユニスを担いだまま、右横へ大きく跳んだ。
そのとき、ユニスにも見えた。
道の前方に、プリンスがいた。こちらを見ている。剣は鞘に仕舞われていた。
「ち、先回りしやがった」
「まさか、どうやって?」
歪みだらけの空間だ。肉眼では解析不能な道のりを、デタラメに移動していく相手のルートを先読みするなど、人間業とは思えない。
「さあ? 空間移送でなけりゃ、シェイナーの技量かもな」
晶斗はやっとユニスを下ろしてくれた。
「ま、逃げ切れるとは思わなかったが……」
晶斗の呟きは真剣に忌々しそうだった。
「これからどうするの」
「さてな」
とぼける晶斗。
ユニスは晶斗へなんと話しかければいいのか、わからなくなった。こうまで徹底的に、プリンスを信用していないと表明する晶斗は、シェイナーであるプリンスへ素直に助けを求める気はないのだろう。
「ユニス!」
「お呼びだぜ」
晶斗が口元を皮肉にゆがめる。
「時間が無い、こちらへ来なさい」
プリンスの指示は厳しく強い。
「おっと、行かせるかよ」
晶斗は、ふらり、と、歩きかけたユニスの左手を、しっかり掴んだ。
「おい、そこのあんた。ユニスに何の用がある?」
「この村を浸食している遺跡を破壊する」
「あんたがやれよ」
晶斗はせせら笑い、皮肉な調子をさらに強めた。
「ユニスより強いシェイナーなんだろ?」
「あの遺跡を消すにはユニスの能力が最適だ」
プリンスは冷徹に答えた。
「――だとさ。どうする?」
「どうすると言われても……」
ユニスは困惑した。晶斗の表情が読めない。一見、冷静。だが、皮膚の一枚下ではいまにも怒り狂いそうな……そんな激情を、全精神力で押し殺しているようにも感じられるのだ。
プリンスの依頼の方がわかりやすい。
この異空間の元凶である遺跡を破壊する。村をも巻き込んでいる異常現象を治め、まともな世界へ脱出するため。実にシンプルだ。
それがユニスの能力を、道具として扱うように聞こえたとしても。
「いくわ。わたしが遺跡を破壊しないと脱出できないなら、プリンスの指示に従うしかないもの」
ユニスはできるだけやさしく晶斗の手をはずそうとした。
晶斗は放さない。
村の全域が異空間と化しているのだ。プリンスとあれだけ長い距離を移動したのに、村の居住域からは一歩も出られないのがその証拠。この広大な歪んだ空間は、元凶を正さない限り、囚われた人間が解放されることはない。
――なのに、晶斗はどこへ逃げようとしていたのかしら。
優秀な護衛戦闘士である晶斗は、遺跡にも詳しいはずだ。この状況が歪み、すなわち異空間に呑み込まれている危険な状況だと、理解していないわけがない。
「おい、あんたは本当に原因がわかっているのか?」
呼びかける晶斗へ、プリンスは、ユニスへ向けていた視線を動かした。
深い藍色の瞳は、薄闇の世界でいまは漆黒。この異常な白と灰色の世界で、九等身のプロポーションと整いすぎた銀の美貌は、伝説の神々の一柱といわれても疑いなく信じられそうなほど人間離れして見えた。
「仮説だが、誰かがあの遺跡の歪みを意図的に増幅した可能性が高い」
ユニスは戦慄した。この大陸の人間は、すべからく歪みと異空間の恐怖を知っている。なのに、同じ人間に対して、これほどの背信行為があるだろうか。
その者は、人の住まうこの村が魔物に壊滅させられればよいと考えていることになる。
「誰だ? 帝国人のシェイナーか?」
晶斗もさすがに声をこわばらせた。
「いや、違う。――あとで説明する。君も来たまえ」
プリンスは背を向けてスタスタと歩き出した。
晶斗が、プリンスの方へ踏み出した。
「ほら、行こうぜ」
「え、いいの?」
ユニスの方が躊躇した。晶斗がプリンスから逃走しようとした理由がわからない不安――はたしてプリンスの説明が真に正しいのか――ゆらぐ心のどこかで一抹の疑問が拭いきれない。
「どのみち脱出不可なのはわかってるさ。この事態をなんとか出来そうなシェイナーに従うしか道は無いんだろ。帝国じゃ、この状況はまさにあいつが受け持つ案件――だよな?」
晶斗の護衛戦闘士としての、経験則からの判断は正しい。
――よかった、晶斗は冷静だわ。
ユニスも、自分だけでは安全な場所へ行けるとは思えない。いま頼るべきはプリンスだ。ユニスが知る帝国最高のシェイナーの指示に従うのは、生存本能による選択である。
プリンスの後に付いて三分としないうちに、氷の天蓋に映っていた虚空に浮かぶ遺跡のシルエットが、急に巨大化して見えるようになった。
やはり天空の空間も光が偏光しているのだ。風景の距離がおかしいのは、あちこちの空間がガタガタに歪んでいるせい。
プリンスが走らなかったのは、すでに目的地に近かったから。
「氷の壁だわ」
氷の天蓋の壁が地面に接している〈端〉まで来た。
プリンスが右手のひらを、氷壁の方へ向けた。
氷の壁の一部が蒸発し、円い大穴があいた。
すぐ向こうに、遺跡の下部があった。
空中に浮かんでいるはずの遺跡が地面に接しているにあらず、この辺りの空間が歪んで、遺跡の下部がある空間が、ここにあるのだ。
未踏破の遺跡は、通常は不可視である。だが、いまは迷宮の内部から見ているときのように、はっきりとした黒い長方形の入り口が肉眼で確認できた。
氷の壁から出て、遺跡の入り口へ入るまでの数歩の間に、ユニスは氷の天蓋の外側にある空を見た。
ぶあつい雲がドロドロと流動している。
空中には、濃い紫色の八角錐が浮かぶ。これはこれから入る遺跡の全景だ。歪みの空間がプリズムのように偏光しているからこそ見える、異常な光景。
その形は、多くの遺跡と同じ二つのピラミッド型の底を上下に接合した八角錐である。濃い紫色の全体には、よく目をこらせば、赤く細い糸のような筋が縦横無尽に走り、それが規則正しく脈動していた。
まるで巨大な生物の、心臓のように。




