048:遺跡の魔物
どこまでも苔緑色に淡く光る壁と床と天井。
長い長い通路。
どんな『遺跡』であれ、中身は代わり映えのしない迷宮だ。……と、ユニスは思っていた。
この日までは。
遺跡の『門』は、くぐった瞬間、ほんの少し気圧が変化するような、エアカーテンを抜けるのに似ている。
視界に不自由はない。迷宮の通路全体が淡い苔緑色に発光しているからだ。
入ってすぐ、ユニスはトリエスター教授に持たされた最新型の迷宮測距器をスタートさせようとした。
「これ、スイッチってどこかしら?」
ボール型機器のあちこちを見て探し、ひっくり返した基底部に平たい小皿みたいな部分を発見した。そこに触れると、スイッチの立体映像が浮かんだので、指でスライドさせてみた。
小さな三角錐型メタリックパーツが、フワリとばらけた。
個別になったミニ三角錐たちは、それぞれの三角錐の各頂点から青い光線を放射しながらあっちへフワリ、こちらへフワフワ~と自由に飛空しはじめ、通路の中央でササーッと左右に分かれると、勝手にどこかへ飛んでいった。
ユニスの手には小皿みたいな部品だけが残った。
「この部品はどうしたらいいの?」
「それもあの機械の一部だろ。あとでトリエスター教授へ返せばいいさ。遺跡を出るまで大事に保管しておけよ」
ユニスは右肩上にシェインのポケットを開き、そこの空間へポイと投げ入れた。
「で、おねえさん、遺跡の固定化はどうだい?」
「もちろん、これからするわ」
ユニスはしゃがんで床へ両手を付いた。
「えい、碇ッ!」
遺跡の床へ打ち込んだシェインエネルギーの塊は、そこを基点にどんどん伸びて、遺跡の外壁をも突き抜け、外の地面へ到達する。そして船を留める巨大な碇のごとく、異次元へ還ろうする遺跡をこの世にとどめる錘となる。
「お、もう固定化できたのか?」
晶斗の期待が重い。
ユニスは肩をすくめた。
「まだよ。いまのはアンカーで、とりあえず留めただけ」
アンカーは一部分の固定化だ。これをしておけば遺跡が気まぐれに異次元へ還ろうとした場合、アンカーが邪魔をしてすぐには還れない。脱出までの時間が稼げる。
「門の近くは遺跡の壁が薄いからやりやすいけど、ほかの場所だとこうはいかないわ」
「そういう変わった技術を知っているのも驚きだが、神聖宮で固定化を一瞬で出来るやり方を習ったんじゃなかったのか?」
「ええ、まあ、それは……集中するからちょっと待って」
すると、晶斗は変な顔をした。
ユニスならもっと簡単に固定化できると思っていたらしい。
期待を裏切るようで悪いが、入って1分で遺跡一基の固定化完了など、神々の神話や伝説でさえ、そこまでスピーディーな話はなかったとユニスは思う。
――とにかく、あのときの感覚を再現すれば良いのよね。ええと、どうだったかしら……。
神聖宮で、ユニスが放り込まれた『世界の迷図』は、人工的に創造された『遺跡』だった。
強力なシェインを行使できる誰かが――おそらくは神殿の伝統を守る大神官クラスのシェイナーによって組み上げられたその基本構造を、内部から全身でシェインの作用を体感することにより、強制理解させられた。
きっとあれが、固定化するのに行使すべきシェインの基本形。
――落ち着くのよユニス。アンカーはできるんだから、遺跡全体の固定化はそれのバリエーション……と考えて良いのかしら……?
この場での問題は、ユニスが本物の遺跡へあれと同じシェインの行使をチャレンジしたことがないことだ。
あのシェインを行使した、そのきっかけとなった引き金の感覚は残っている。でも、記憶の奥底の方で、モヤッとしているのだ。
――いちばん強く覚えているのは、最後に破壊したときの感覚かしら……。
あれならすぐできそう。
いや、得意な方に流されてはダメだ。
――だめだわ、考えていたら時間が経つばかりだわ。
ごくふつうの固定化なら、アンカーを壁や床へ片っ端から打ち込んでいく方法もある。テキストを知らなかった時ならそうしていた。
しかしそれは、さほど能力のないシェイナーが迷宮内を走り回り、固定化のシェインを通路のあちこちへ大量に塗りたくるのと同じだ。
遺跡は正しく異次元世界の物質。
それを内部からこの世界の物質に塗り替え、変質させてやるスタンダードな固定化方法。
もし、この期に及んでそれをしたら。
ユニスが皇室秘蔵のテキストで学んだことを何一つ生かしていないことは明白。
晶斗ばかりか、トリエスター教授らにまでバレバレにさらされる。
彼らは遺跡とシェイン研究の専門家にしてシャールーン帝国の最高頭脳を持つ人々だ。ユニスがいかに不真面目でアホなシェイナーかを即座に悟るであろう。
――うああああ、そんなの恥ずかしすぎるぅーッ。
もっと真面目にいろいろシミュレーションしとけば良かった!!!
――でもでも! 一度は出来たんだから、わたしはできる子なはず!
あのとき、シェインの目を飛ばした感覚は?
もっと、こう……ええと……うわあ、どんなんだっけ?
ユニスが必死で考えている間に、晶斗は腰の後ろから白いガードナイフをすらりと抜いた。晶斗が一振りするや、神の骨製の大型ガードナイフは刃を長く伸ばした剣に変じた。
「なんでもいいから早くシェインを使ってくれ。出現したての未固定遺跡はとくに魔物がバンバン出るから、立ち止まるのは危険なんだぜ?」
晶斗はニヤニヤしている。
ユニスがシェインを行使していない事情がわからずとも、グズグズしている理由は見透かされている気がする。
「あ、あら、シェイナーが一緒だと出ないのよ。いまだって静かじゃない?」
だめだ、気ばかり焦って集中できない。
――氷の塊なら、何も考えなくても出せるのに……!
そもそもユニスは、普通の固定化なる作業をしたことがない。
「そりゃ通説だよ。だから先にシェイナーを入れて手っ取り早く固定化させるんだ。シェイナーがいないときに、さきに踏破隊を入れるのも理屈はいっしょさ」
異次元の存在である遺跡にはいまだ解明されていない謎が多い。が、統計によって解明された特性もある。
たとえば、遺跡の滞在時間だ。
それは古代から遺跡探索に挑んだ先人たちが残してくれた、膨大にして貴重な遺跡探索記録の統計から割り出された。
遺跡はその出現した瞬間から、月齢がはっきりと変わって見える丸一昼夜を経た次の夜までとどまっている。
月の位相が変わるまでの一定時間。
それまでに人の手により固定化を行えば、遺跡はその質量を変化させ、この世界に定着するのだ。
固定化されていなくとも、遺跡へは自由に出入りできる。
遺跡産出物も拾える。
反面、リスクは大きい。
未固定遺跡の迷宮では、異形のものどもが尽きることなく湧き出てくる。
もしも固定化するすべを持たない一般人が、運良く遺跡出現に出くわしたら。
お宝を手に入れるコツは、迷宮の入り口付近だけを探索することだ。
とにかく手に拾える物だけをかき集め、ごく短時間で撤収する。
危険を察したら門から逃げればいい。
たまたま希少価値の高い遺跡産出物を拾った一攫千金の伝説は、そういった事例から生まれた。
だが、未固定遺跡にはより恐ろしいリスクがある。
お宝拾いに夢中になり時間を忘れた頃、それまで尽きることなく襲ってきた異形の魔物がパッタリ出なくなることがある。
それは遺跡が、異次元へ還る前兆かもしれない。
迷宮に入ったまま異次元の彼方へ連れ去られたら、この世界には二度と戻ってこられない。
晶斗はそれを経験した。
異次元の彼方で行方不明になること10年――。奇跡的に生きて戻った『帰還者』となった晶斗は、例外中の例外なのだ。
ときどきユニスは、晶斗はユニスと2人だけで遺跡に入るのが怖くないのだろうか、と不思議に思う。少しはトラウマもあるみたいだが、普段は見事に悟らせない。
ユニスがそれらしい様子を見たのは、遺跡探索中の2回のみだ。
――まあ、いざとなったら遺跡を破壊して晶斗は脱出させるつもりだけどね……。
「で、どっちへいくの?」
「どっちでもいいが……」
直後、晶斗がどう動いたのか、ユニスは目で追えなかった。
前方を、なにかが横切った。
晶斗はそれに反応したらしかった。
それは通路の少し先へ落ちた。
ユニスたちがこれから進もうとしていた場所だ。
「え? いまの、なにが……!?」
床で、ピクピクッと動いた、白く長いもの。
動かなくなった。
胴体は、直径30センチはありそうな太さ。
――まるで蛇のような……。
ユニスの身長ほどありそうな長い体躯が、白色からじわじわ~と灰緑色に色づいていく。見ている間にすっかり灰緑色に変わったら、ザザーッ、と音を立てて形が崩れた。
あとには灰緑色がかった砂状の物質が残った。
「な、なんなの、あれは?」
わかるのは『魔物』とだけ。
砂状に変化するなど、知らない。
ユニスは初めて見た物ばかり。
「あいつは『ベルシェバー』、迷宮をさまよう長虫さ。俺たちは運が良い。こいつが出る遺跡は希少金属系の宝庫だ。しかも1匹出たらこいつばかり出ると決まってる。危険度がそれほど高くない遺跡ってことだ」
「でも襲ってきたわ?」
「あいつらは口が無いから体当たりしてくるしかないんだ」
カッチチチチチチチチ、kaka・ka・ka・ka・ka……。
カスタネットを鳴らすような、奇妙な音だった。
音はほとんど反響しないはずの迷宮で、かなり遠くから聞こえてくるように感じられた。
「こんどはなに?」
ユニスの知識にないものばかり。心臓がドキドキし始めた。遺跡でこんなに緊張するのは初めてだ。
「ありゃ、ベルシェバーが出す低周波だって言われてるがな。実際のところはわからん。ただ、あれが聞こえたらその次には……おっ!」
3メートルほど前の天井が波打っている。
白くてゴツゴツした何かが、モコリ、モコモコ、生まれようとしている。
天井から、ずろん、と、垂れ下がったのは、白く四角い岩くれの集合体、みたいな頭部が4つ。
頭部正面には小ぶりな四角形が3つあり、チラチラ光った。それだけが独立したもののように、クルクルとなめらかに回転しつつ、上下左右へせわしなく行き交う。
きっとあれがベルシェバーの『目』!
右の壁から、ぬっ! と出てきた頭は3つ。
さらに左の壁から2つ。
ググッーと伸び出てきた首とつながる胴は、不格好に長い。まるで手頃な四角い岩塊を集め、幼児が大蛇の模型を作ろうとして失敗したオブジェだ。
「おっと、おいでなすった」
通路、真正面から飛行してくる。
2匹!




