043:守護聖都フェルゴモールの日常風景
「そして朝になったってわけさ」
晶斗から眠っていた間の話を聞かされた。
ユニスは、ようやくこの状況が腑に落ちた。
「つまり、ここは、トリエスター教授のお宅なのね」
どうりで帝国貴族の邸宅風なわけだ。トリエスター教授は貴族。それも、シャールーン帝国でも名門とされる家系の出身である。住所は守護聖都フェルゴモールの高級住宅街、通称は『貴族街』。
腹が減ってるかと晶斗に訊かれたので、ダイニングルームへ移動した。
大きな長い食卓には晶斗が夕べ使った皿やカップが置かれたまま。
この家の使用人は何をしているのだろう。
「メイドは休暇でいないとさ。食いたいなら自分で料理しろっていわれた。戒厳令のおかげで買い物に出ることもできねえしよ。俺は勝手に食わせてもらったぜ」
これだけ大きな屋敷なのにトリエスター教授以外誰もいないなんて変だと晶斗も思ったが、台所に食料は十分あるそうだ。
晶斗は玄関で音がしたといってダイニングを出ていった。
ユニスはテーブルに放置してあった汚れた食器を流しへ運んだ。
洗うのは後回し。とにかく先に何か食べたい。
大邸宅の大型冷蔵庫を開けたら、食料品はたくさん入っていた。適当な野菜とフルーツで簡単なサラダを作ることにする。
晶斗が戻ってきた。手に新聞をいくつか持っている。
「外出禁止なのに新聞は届くんだな」
「ああ、それはね、新聞社と契約しておいたら毎朝空間移送で届くのよ。東邦郡にはそういうシステムは無いの?」
守護聖都フェルゴモールでは、こういったシェインの理紋を利用したサービスが普及している。新聞は購読契約を結んだ各家庭の専用ボックスへ空間移送で直送されるのだ。食料品なども空間移送のサービスが在る。シャールーン帝国では上下水道のインフラに次いで普及しているシステムだ。
「そういった理紋は、東邦郡じゃ設置するのにけっこうな金がかかるからな。シャールーン帝国ほど普及していないんだ。なあ、悪いがコーヒーをいれてくれないか?」
晶斗はテーブルに座り、新聞に目を通し始めた。
ユニスはキッチンに使用後のまま放置されていたコーヒーメーカーを洗い、新しいコーヒーを煎れなおした。
トリエスター教授が入ってきた。葡萄酒色のガウンがいかにも貴族階級の紳士らしい。じろりとユニスへ一瞥をくれ、
「やっと起きたか。気分はどうかね?」
一応、心配してくれていたらしい。
「悪くありませんわ。夕べはご迷惑をおかけしました」
ユニスは畏まって頭を下げた。一度会っただけの晶斗とユニスを匿ってくれたのだ。初対面時には皮肉っぽい事を言われたから意地悪なおじさんだと思ったが評価を改めよう。顔に似合わず親切な人かも知れない。
「無事で何よりだ。君たちにはまだ用があるからな」
トリエスター教授は棚からモーニングカップを取り、出来たてのコーヒーを注いでテーブルへ着いた。新聞を読んでいる晶斗を、横目で睨んでいる。
「おい、こっちに新聞をよこしたまえ」
トリエスター教授は静かに怒っていたらしい。
晶斗は「ん?」と顔を上げた。
なんだか緊張感あるやりとりだ。ユニスは音を立てないようにフライパンを火に掛け、冷蔵庫から卵を出した。
「こりゃ失礼。お、ユニス、卵焼くなら俺は2つな!」
晶斗は読みかけの新聞をガサガサと乱雑におりたたみ、片手でトリエスター教授へ渡した。
トリエスター教授は、不機嫌そうに口元を歪めながら斜めに折り曲げられた新聞を広げた。
ユニスは、もちろん晶斗の分も朝ご飯は作るつもりだった。トリエスター教授にも訊ねた方がいいだろう。
「教授は何にしますか。といっても、目玉焼きかゆで卵しかできませんけど」
「ふつうの目玉焼きでいい……」
なぜかゆるい溜息もいっしょに聞こえた。
でも、ユニスが作れる卵料理は二種類だから、こればかりは我慢してもらうしかない。
「君たちはここで何をしているんだね?」
トリエスター教授は新聞を置き、腕組みした。
晶斗は次々と新しい新聞を広げてはさっと目を通している。
「何って、朝飯食うんだろ。俺達の事情は昨夜のうちに説明済みだぜ? それが何か?」
5つの新聞を読み終えた晶斗は、キッチンまでコーヒーを取りに来た。
手伝ってくれるのはうれしいが、晶斗のハムの切り方は1枚の厚みが2センチ以上あり、大きな塊はぜんぶ切り分けられ、少しも冷蔵庫に戻されることなく食卓へ運ばれていった。
ユニスはドレッシングを混ぜおわったサラダボールをテーブルへ置き、皿とフォークも並べた。あとはセルフサービスだ。
ユニスはフライパンの前にもどり、目玉焼きの焼き加減に意識を集中した。
あの男はわたしの彼氏じゃない。だからどんな失礼な発言をしてもわたしは恥ずかしくないわ……。
「君らが宰相閣下に神聖宮へ連れて行かれた話だな。だが、最初は七星華宮にいたんだろう。そこから移動したのが本物の神聖宮なのかは怪しいと思うがね」
トリエスター教授は疑っているようだ。
神聖宮の、ご神体があるという場所には厳しい制約がある。本来なら皇族のプリンスが一緒だろうと、一般人は禁足地として入れない聖域だ。外国人はなおさらである。
「俺が知るかよ。その辺の事情はあの野郎に直接訊いてくれ。ようは俺達を手駒として使いたいんだろ。ユニスを変な遺跡もどきに入れたのも仕事の報酬の前払いで、俺にはこのナイフを渡して、雇った気でいやがるんだ。何を企んでんだか、まるでわからねえよ」
晶斗は忌々しげに吐き捨てた。
トリエスター教授は細い眉をひそめた。
「夕べも説明したが、サイメスから大陸間条約の申し出があったので、ルーンゴースト大陸中の国が騒然としているんだ。宰相閣下は寝る暇も無い忙しさだろう。昨日から報道はそのニュース一色だぞ」
シャールーン帝国では、プリンスが理映機のニュース報道に出ない日は無いと言っても過言ではない。
ユニスは焼けた目玉焼きをお皿に移し替えながら、最近はプリンスの出る特番を見ていないのを思い出した。蹴砂の町へ行ってからはノーチェックだ。のんきにアイドルを拝して喜んでいられる状況ではなかったからだが……。
――次に本物に出会ったら、わたしはどんな顔をすればいいのかしら?
憧れのプリンスの、誰も知らない裏の顔を見てしまった。
さすがに以前のように無条件に崇拝者ではいられない。うっかり遭遇した瞬間、ダッシュで逃げてしまうかも。
「俺は遺跡に十年いたんだぜ。国際情勢なんか知るわけないだろ」
しれっと応える晶斗に、トリエスター教授は「そうだったな」と諦めきった表情になった。
トリエスター教授が上の方を見やった。
天井から光の粒子が降ってきた。
光は食卓の上に降り注ぎ、そこに鮮明な像を結んだ。
食卓のどの方向に座った者からでも映像が見られる、全方位型リビジョンだ。
どこかの建物の前で、護衛を従えたプリンスが公用飛空車に乗り込み、出発した。
字幕と音声で解説が流れるニュース報道専門チャンネルだ。
『本日、ルーンゴースト大陸代表大使アルファルド・コル・レオニス宰相閣下は今夜、皇宮殿の大晩餐会へ出席されるご予定です』
画面が切り替わった。
『一昨日、宰相閣下は黄砂都市より急遽帰還されました。明後日にサイメス大陸代表大使団が守護聖都に到着次第、守護聖都中央ホテルで大陸条約締結会議が開催される予定です』
映像は、プリンスが飛空挺から降りてきて手を振っているところまでだった。
そこからは最近流行のファッションの話題になった。
そこにもプリンスが映っていた。フェルゴモール守護騎士団の制服をデザインしたという有名デザイナーのファッションショーへ行ったというニュースだ。
――ご尊顔を拝しても、昔のように胸がときめかないなんて、自分がショックだわ……。
普段のユニスなら、ファッションショーは熱心にチェックする。
今日は見れば見るほど憂鬱な気分になってきた。
食欲も減退した。昨日までは憧れの最高のアイドルだった美しい顔貌が、いまは冷酷な政治家にして得体の知れないシェイナーに変じてしまったからだ。
「おーお、テロの標的にしてくれと言わんばかりの報道だな。よくやるぜ」
晶斗がパンを食べながら感想を述べた。さっきからいちいちプリンスの映る場面に反応している。
――かなり悪感情を持っているみたいね。まあ、神聖宮から落とされたんじゃ無理ないけど。
「まったくその通りだが、会談場所は秘密だし、幸か不幸か守護聖都フェルゴモールは戒厳令のおかげで人が少ない。テロ対策の警備もしやすいということだ」
トリエスター教授はユニスをちらっと見てからカップを手にキッチンへ向かった。
コーヒーのおかわりくらい、言ってくれればユニスだって持ってくるのだが、そのへんは晶斗もトリエスター教授も非常に紳士的だ。
「そういえば、教授の奥さまにご挨拶したいんですけど、いらっしゃいますか?」
トリエスター教授の奥さまは貴族出身のすごい美女だという記事を、ユニスは雑誌で読んだことがあった。お宅に押しかけてお世話になったのだから一応ご挨拶を、と思ったのだが……。
「そんな気をつかわんでいい。妻は実家だ」
本日のトリエスター家の事情。
ユニスと晶斗はピタリ、動きを止めた。
誰も応えないのを不審に思ったトリエスター教授が、新聞から顔を上げる。
ユニスと目が合った。晶斗はさりげなく視線をそらしている。
トリエスター教授は音を立てて新聞を閉じた。
「おい、誤解しているだろう。私が長期の出張に行ったから、妻達は実家へいっただけだ。私が家にいるのは用事があるから戻ってきただけだぞ」
「あ、いえ、別に疑うつもりじゃ……」
ユニスは慌てて手を左右に振った。
するとなぜかトリエスター教授の新聞を持つ手がかすかに震えた。ユニスたちがどう失礼な誤解をしたのか悟れたらしい。
「き、み、た、ち、に! ラディウスの代金を支払うために、わざわざ聖都へ戻って来たんだろうがッ」
「あ、そうだっけ。じゃあ、ここで取引しますか?」
ユニスはシェインのポケットに手を掛けた。ラディウスはいつでも取り出せる。トリエスター教授にラディウスを渡せば、問題の1つは解決する。現金を持って晶斗と2人、ほとぼりが冷めるまで安全な場所に逃げていればいい。
「今日は取引不可能だ。戒厳令で銀行が閉鎖中だ。遺跡調査から戻るまで延期だな」
「おう、そうだな。ラディウスの件は保留だ」
晶斗があっさり同意した。
「だがラディウスは私に預けたまえ。アカデミアで保管すれば安全だ」
「金と引き換えだ」
「ほう、私が信用できないと?」
ユニスは見えない火花が食卓の上に散ったような気がした。ラディウスを出すのはやめて食事に戻る。
「信用したとはいってないぜ。けっきょく約束したラディウスの代金は期日に用意できなかったんだ。その時点で取引は無効だろうが」
「ユニスくんが持っていれば狙われつづけるだけだぞ」
「もちろん考えているさ。アンタならサイトショップに伝手ぐらいあるだろ、そこを経由して闇市場へ『ラディウスはアカデミアが入手した』と噂を流せ。それでしばらく時間は稼げる」
「まだ現物をもらっとらん。ほかにラディウスの引き取り手がいないのはわかったはずだろう」
「アンタの世界が狭いだけさ」
「ほう、ラディウスは君の保険か。……いいだろう、黄砂都市から戻ってから取引のやり直しだ。それまでせいぜい生き延びたまえ」
ユニスはパンが喉に詰まりそうになった。
「ちょっとちょっと、2人ともどうしてそんなに険悪なの?」
「はあ? こんなおっさんと仲良く出来るわけないだろう、帝国人で大貴族だぜ。諸悪の根源の代名詞じゃないか」
「それは偏見じゃないの。わたしたち、助けてもらったじゃない」
「利用はさせてもらうが信頼はできねえな」
「それはこちらも同じだ。東邦郡の元軍人など帝国貴族としては受け入れかねる。ユニスくん、付き合うのは考え直したほうがいいんじゃないかね。守護聖都にはもっといい男がいくらでもいる。なんなら紹介するぞ」
「なんでそういう話になるんですかッ!? もう、二人ともだまって朝ご飯を食べてッ!」
そこから誰も喋らない静かな朝食が、終わった。
ユニスと晶斗が食卓を片付けたあとで、ふいにトリエスター教授が口を開いた。
「それで、君たちはけっきょく黄砂都市へ行くのか行かないのか、どっちにするんだ?」
ユニスは晶斗と顔を見合わせた。
「この街から出るならどこへでも行くさ。なあ、ユニス?」
「しかたないわ。犯罪者にはなりたくないもの。でも、行くのは良いけど、ここにはいつごろ帰ってこられるんですか?」
「調査期間は2週間だが、君たちが帰れるかは帝国の状況次第だな」
外交問題に忙しいプリンスが、神聖宮への侵入者をどう扱う気なのか。
現状、不明。




