042:ディバイン・ボーンズの主
「しかし、この戒厳令は、サイメスの外交問題とは関係ないだろう?」
昨夜神聖宮に侵入した『2人の賊』とは、晶斗とユニスのことだろう。
「たしかにな。戒厳令は、神聖宮に侵入した正体不明のテロリストを捜索するために発令された。政治とは無関係だ」
トリエスター教授はうなずいた。
「俺たちには関係ない」
明らかに冤罪だ。
さっぱり意味がわからないが……。
「俺たちはこの国を出る。あいつに捕まったら最後、二度とシャバには出てこれないだろう」
それは確信に近かった。この状況下でシャールーン帝国政府が国民に見せられる犯人を必要とした場合、外国人で護衛戦闘士の晶斗ほど生け贄の羊に最適な人間はいない。
プリンスの思惑はいまもって不明だが、自国民であるユニスをも犠牲にする気なら、一両日中になんとしてでも守護聖都フェルゴモールを脱出するほかない。
「君たちが無罪なのはわかっているが、現実を認識するべきだな。指名の報道こそされていないが、検問では手配が回っているはずだ。それともためしに自首してみるかね? 帝国の司法制度は外国人にも公平だぞ」
「はッ、この帝国のことなんざどうでもいいさ。俺は東邦郡へ帰るんだ。ユニスも一緒に来ればいい。ユニスが起きればすぐに出て行ってやる」
「シャールーン帝国の手は君の想像以上に長い。世界のどこだろうと追っ手がかかる。逃げ切れんのは保証する」
トリエスター教授は自信たっぷりだ。
晶斗は露骨に顔をしかめた。
「あんたのおめでたい愛国心は褒めてやる。俺は東邦郡の『シリウス』だぜ。帝国の包囲網くらい脱出してやらあ」
「東邦郡一の護衛戦闘士の自負かね。それは立派だが、君は守護聖都フェルゴモールの成り立ちというか、歴史を知っているか?」
唐突に出された歴史問題に、晶斗は面食らった。
「ルーンゴースト大陸でいちばん古い都ってくらいだな」
「正解だ。ここはルーンゴースト大陸で最初にして最古の都だ。もともとはシェイナーが住むために作られた街なのだ。建造当初から地盤には数多くの守護理紋が埋め込まれている。ただし、それらの守護理紋には現代とは決定的な違いがある……。それはなんだと思う?」
「この街ではシェインを使えないんだろ?」
守護聖都フェルゴモールでは、シェイナーはシェインを使えない。
それは守護理紋で護られた場所での一般常識だ。
また守護聖都フェルゴモールに限らず、公共の場――人間が生活する区域――で、シェイナーがむやみにシェインを使わないのは礼儀とされている。
「それは守護理紋の効力の一面に過ぎない」
一般にはあまり知られていないことだが、と前置きして、トリエスター教授は続けた。
「古代から、守護聖都とは民の安全を護るだけではない。シャールーン帝国の生きた護りとなるシェイナーを逃がさないようにする聖域なのだ。だからこの街の封鎖は完璧であるように、基礎から設計されている。この街からシェイナーが逃亡するのは不可能だ。たとえ意識を失っていようが、彼女は根っこからシャールーン帝国の民だからな」
奇妙な含みを持たせた言い回しだった。
「へえ……そりゃ初耳だ。シェイナーへの対策は万全ってわけか」
シェイナーの国ともいわれるシャールーン帝国。
空間を制御し、ときに山の形すら変えるという帝国最強クラスのシェイナーたちが、もしも徒党を組んで争乱を引き起こせば、いかに強大な大帝国といえど鎮圧は難しいだろう。
「それだけ徹底してるんなら、なんであいつは神聖宮でシェインを使えたんだ?」
つい数時間前、神聖宮でユニスがシェインを使えないと言っていたすぐそばで、プリンスは幾通りものシェインを行使していたようだった。
「皇族は特別だ。この守護聖都フェルゴモールの創造者は皇族の粗神フェルギミウスだと伝えられている。彼こそはシェイナーの祖であり、皇族はまごうかたなきその直系だ。最初の理紋を作ったのもフェルギミウスと言われているからな」
「つまり、皇族は守護理紋を支配できるのか」
「さて、可能性はあるが、検証されたことはない」
「あんたはどうなんだ。神聖宮やこの街でシェインを使えるのか。空間移送は?」
トリエスター教授は「いや、無理だ」とあっさり応えた。
「シェイナーの能力は個人差が大きい。私は少しばかり感知能力が使える程度だ。ユニスくんとは比べものにならんよ。そんな私のシェインでも、行使すれば守護聖都の防衛機能は作動する。仮に君がユニスくんの空間移送で街から脱出しようと考えているなら、あきらめたまえ。空間移送した瞬間、守護聖都の防衛網に絡め取られて一巻の終わりだ」
「だったら、どうしろってんだッ!」
晶斗は右拳をテーブルに叩きつけた。残っていたパンとチーズが弾み、空になったコーヒーカップがテーブルを転がっていく。
「ああ? なんだよ、言いたい放題いいやがって。俺たちに黙って死刑になれってのか。まっぴらごめんだ。あのくそ野郎が勝手に戒厳令をしこうが戦争を始めようが、あらがってやるまでだ!」
晶斗の激高にもトリエスター教授は顔色一つ変えなかった。
「守護聖都を出る安全な方法はある。私がそれを提供しよう」
トリエスター教授は、これまでの皮肉ぶりが嘘のような真剣な口調になった。
「ただし、行き先はまた黄砂都市方面だ。その近郊にある南黄砂村の研究用遺跡を、年に一度ルーンゴースト学術院と政府が合同で定期調査をおこなっている。移動は軍用機だから都市が封鎖されても予定に変更はない。一緒に来るかね?」
晶斗には願ってもない申し出だ。が、条件が良すぎる。
「あんたには迷惑だろ。それとも何かメリットがあるのか? この都市封鎖はあいつの仕業なんだぜ。自分で逃げ道まで指図したくせに、直後に戒厳令を敷いて逃がした俺たちを探すなんざ、やってることが敵か味方かさっぱりわかりゃしねえ。もしバレたら何をされるかわからないぞ」
「その件だが、あの大公殿下が戦闘服で軍刀を装備していたのなら、その場で君たちを処分できたはずだ。どうしても君たちを生かしておきたい特別な理由でもあるんだろう」
「えらく物騒なヤツだな。……どう考えてもあいつの行動は矛盾だらけだ」
晶斗は胸に付けているガードナイフを触った。
「俺は丸腰だった。あいつの腕なら簡単に制圧できただろう。神聖宮で俺たちを拘束したいなら近くにいる護衛兵を呼べばよかったんだ。だが、あいつは俺にガードナイフを渡してユニスを護れといったんだ」
「ふむ。最も重要な問題はそこかも知れんな。で、どうするかね?」
トリエスター教授が絶対に味方という確証もないが……。
「とりあえず、お言葉に甘えさせてもらう。話は変わるが、あんたシェインの研究家でもあるんだろ、こいつの使い方がわかるか?」
晶斗は左手だけでガードベストの左胸に留めた鞘の留め金をはずし、テーブルへ置いた。
「なんだ、ガードナイフの目利きはせんぞ?」
「あれ、興味ないのか? 神の骨だぜ?」
晶斗が言うとトリエスター教授の目の色が変わった。
「見せてくれ!」
トリエスター教授は左手で鞘を掴むと右手で柄を握り、鞘から丁寧に引き抜いた。
白い刃は銀の艶を帯びている。片刃のナイフは大人の掌より少し長めな程度だ。幅は大人の指二本分くらい。ガードナイフとしてはスタンダードなデザインである。
「ほう! ……本物だ。刃も柄もまさしく神の骨、シェイナーの鍛治師が鍛えた、この世で最も硬くするどい刃物に間違いない。グリップに『銘』があるな。『Silent』。持ち主の名前か、あるいは制作者の刻印か。どこで手に入れた?」
「大公殿下にもらった。初めは報酬の一部だと言われたが、次にはこれでユニスを護れときた。それなら遠慮なく使わせてもらうまでだ。たしか、俺がこのナイフに何かをすれば『主』と認められ、神の骨の特性とやらを自由に使えるようになるんだよな。伝説だと思っていたから、それ以上詳しく知らないんだよ」
「神の骨との契約のことか」
トリエスター教授は、ガードナイフを丹念に調べた。刃を鞘に収め、ナックルガード付きの握りをなぜている。と、丸みを帯びた柄頭を指先でつまみ、力を込めて左にねじった。
柄頭が動いてはずれた!
そこには直径1センチほどの赤い玉があった。
「これだな。浄化して初めの血を授けた者のしもべとなる。この玉に血を一垂らし。しかし、これはもうその契約は済ませてある。玉の色が赤いだろう。浄化後なら白いはずだ。主人を失えば黒く濁る。君の血じゃないのか?」
「俺は何もしていない。そいつの主人はプリンスか?」
「契約済みのナイフはその主人にしか使えない。これで何か切ったか?」
「いや、何も」
トリエスター教授はガードナイフの柄頭を元通り取り付け、テーブルへ置いた。
「もし、こいつと契約したのが他の人間なら、君が使おうとしてもなまくらだ。契約した主以外は使えない仕様になっているからな。ほかの特性については、いろいろ試してみればいいんじゃないかね?」
「おう、たしかに実践すりゃいいよな」
晶斗はガードナイフの柄を掴んだ。
ナイフの鞘が飛んだ!
「わっ!?」
トリエスター教授が、椅子ごとひっくり返っていた。
テーブルの上には、白く長い片刃の剣が突き出されていた。晶斗が手に持つガードナイフの柄からまっすぐ伸びた白銀の刃。その切っ先はひっくり返る直前トリエスター教授の頭があった空間をみごとに貫いていた。
トリエスター教授は起き上がった。ひどく青ざめた顔色だ。無言で倒れた椅子を起こして座り直した。
「きみは、わたしを、殺す気か!」
椅子に腰掛けたトリエスター教授はガウンの襟を直し、ぶるっと体を震わせた。驚きと恐怖もあっただろうが、その表情から察するに一番強いのは怒りのようであった。
「あー、わるかったな。まさか本当に伸びるとは思わなくてさ」
気まずくなった晶斗は視線を手元へ落とした。ガードナイフのナックルガードと握りも大きくなった。立派な長剣にふさわしい柄だ。重さも晶斗にちょうどいい。これなら長剣として存分に振るえる。
「気をつけてくれ。それの主はまちがいなく君だ。浄化済みのものを手にしたとき、ケガでもしていたか?」
知らずに流した血が付着しても、契約は成される。プリンスにこれを初めて見せられ触ったのは蹴砂の町のホテルでだったが……。
「傷を負った覚えはないな。さっぱりわからん」
「そうだとしたら、大公殿下の仕業だな。どうやったか方法まではわからないが、次に直接会う機会があれば訊いてみればどうかね?」
「そうだな。明日、また考えよう。……こいつを短剣に戻すには?」
「そう念じてみればいい」
トリエスター教授に言われたとおり、晶斗は柄を握って念じてみた。
みるまに長剣の刃が短く縮んだ。
晶斗は床に落ちた鞘を拾い、白いガードナイフを収めた。
トリエスター教授は部屋を出て行き、晶斗はユニスの向かい側のソファで仮眠した。




