001:遺跡(サイト)
男のうめき声がする。
「おーい、俺は……帰還者だぞ~。……だれか、助け、ろ~……」
乾ききった声だ。砂漠の熱でやられたのだろう。
ユニスは雲一つない空を見上げた。右手の甲で額の汗を拭う。
今日も暑い。ここは本当に砂漠だ。町から歩いて直線距離で30分なのに、まるで砂の世界へ来たような気分になる。
ユニスは長い金茶色の髪を後ろへ振り払った。
声は岩場の方だった。
とんがり頭に小さな帽子をかぶったような形の奇岩。その帽子の影が落ちる砂の上に、人がいる。仰向けに、大の字に寝転がって。
――まるで空を眺めているみたい。
男の頭の下にはもっさりした大量の黒い髪がとぐろを巻き、顔の下半分も真っ黒だ。髭が胸に届くほど長く伸びている。
なのに髪や服は砂で汚れていない。
黒いガードベストに織り目が詰まったズボンは砂が入らない砂漠仕様、膝下にベルト付きの長靴もそう。遺跡に近い町ではありふれた服装だ。
さっき聞こえたうめき声は、この男?
――こんな所で遭難する人なんて……?
珍しい奇岩があるからガイドブックにも載ってはいるが、観光用の遺跡が無いから観光客は滅多に訪れない。最近では遺跡を管理する保安局のパトロールコースからも外された。
ユニスのためらいを見透かしたように、男が呼んだ。
「おい、そこの、お嬢さん……だよなー。聞こえねーのか。ほら、ひらひらのミニスカートで、白い半袖の服の……俺の幻覚じゃない、よな。行かないで、く……」
哀れな声が、途切れた。
かなり弱っている。砂漠の太陽の下で放っておけば、数時間で乾上がるだろう。
ユニスなら1人で救助するのは難しくないけれど、関わったら後々面倒なことに巻き込まれそうだ。
少々時間がかかっても、通りすがりのただの観光客のフリをして、人を呼びに行く方が良いかしら?
でも、その間にこの男が死んでしまったら? もし、具合の悪い振りをして観光客の同情を引っかける詐欺師なら、もっと金持ち観光客のいる場所を選ぶはずだし……。
手足を投げ出した男は、ピクリとも動かなくなった。
――うわ、これは真剣にヤバい!
こんな場所で死体なんか放置すれば、数ヶ月とたたずに風化する。そこに人間がいたという痕跡すら残さずに。
ユニスはギュッと拳を握りしめた。
「ああ、もう! わたしって、お人良し過ぎるんじゃないかしら」
ユニスは走った。
男が倒れている岩陰は、影でも空気は熱い。
男の胸はかすかに上下している。
良かった、死んでいない。気を失ったのなら、なおさら好都合。
ユニスが男を『運ぶ方法』を知られずにすむ。
「超特急で助けてあげるわ」
ユニスの全身からかげろうめいた揺らめきが生じる。それは空気を伝播し、次の瞬間、ワッ! と大きく広がった。
ふわりと身体が浮きあがる無重力感。
世界がグルリと一回転する。
視界は暗闇に塗りつぶされて。
でもそれはほんの一瞬のこと。
ユニスは涼しい陰に佇んでいた。
背後には高い壁。足の下は平らで灰色の石の床。
ユニスの足下には、さきほどの男が大の字で寝転がっている。
砂漠の岩影に居た時と寸分変わらず、体の周囲には白い砂まで散らばっている。砂漠とは砂の色が少し違うが、砂だらけの町で気にする人はいないだろう。
男が胸を大きく上下させた。涼しい空気を深ぶかと吸い込んでいる。目蓋がピクピクと痙攣して、持ち上がった。焦点が定まっていない。頭がゆっくり左右に振られた。
自分のいる場所を、その景色を確認するように……。
男の目が、カッと見開かれた!
目が合った。影の中で黒く沈んだ双眼が、その強い視線がユニスを捉えた。
驚いて、ユニスは後ろへ一歩さがった。
「ここは……どこだ? 君は、砂漠からここへ……『空間移送』したのか?」
遠く離れた場所へ、空間を縮めて移動する『空間移送』。それは障害物などを一切無視した、いわゆる瞬間移動に他ならない。
世界を構成する『理』を操る『理律使』の特殊な能力。
こっそり運んだつもりが、しっかりバレてしまった。
ユニスは目を逸らし、床から頭をもたげる男のすぐ横を、カッカッカッ、とヒールの音も高く通り抜けた。灰色の建物の奥へ、
「ここに人が落ちてま~す!」
明るく呼びかけてから、男にくるりと背を向けた。
よし、これで救助の義務は果たした!
「え? ちょっと、おい、あんた、名前を教え……?」
頭を起こす男の横を、再びユニスは早足で通り過ぎた、が、
「お嬢さん、待ちなさい!」
別の声に呼び止められた。威圧的ではないが、人に指示するのに慣れている。
ユニスは足を止めた。
――もう、逃げ損ねちゃった……。
建物から、中年男性が急いで出てきた。
「遺跡地帯で落とし物を拾ったら、拾得物届けにサインが必要だ。サインしてくれないと、彼の保護を受け付けられないからね」
振り向いて、ユニスは首をすくめた。
明るい砂色の制服、胸に金バッジが光る。この地区の保安官だ。
保安官は男の横に膝をついた。
「きみ、大丈夫か。わかるかい、ここは保安局だ。名前は?」
「晶斗だ。晶斗・ヘルクレスト。東邦郡の護衛戦闘士だ。天狼って言えば、わかる。早く、東邦郡へ連絡してくれ……」
男は予想外にしっかり応じた。が、言い終えるや、頭をカクッと傾け、今度こそ動かなくなった。
男は医療室へ運ばれた。
けっきょくユニスもすぐには解放されず、簡単な事情聴取をされた。
「護衛戦闘士という彼の身元だが、東邦郡へ照会しているよ。名前も言えるし、記憶もしっかりしているようだから、早ければ今日中にはわかるだろう」
拾得物届の書き方を優しく指導してくれた保安官は、書き上がった書類を前に表情を改め、コホンと咳払いした。
「さて、遺跡地帯で拾った物は、それが何であれ、発見者に五割の権利が発生する。さらに三ヶ月間、持ち主が名のり出なければ、すべて君のものになるわけだが……」
遺跡地帯では、いろいろな物が拾える。
古代の化石から鉱石の欠片、稀に真性のお宝――純然たる宝石や希少鉱物の塊までも、運が良ければどこかにあるのだ。
だから、安全な観光地区からうっかり出てしまう人間は後を絶たない。
それが、遺跡でのみ出現する魔物や、遺跡に『喰われる』危険を伴うとしても……。
「けっこうです、あんなもの!」
ユニスは即答した。
保安官は少なからず驚いたようだった。
「護衛戦闘士の主な仕事は、遺跡の探険や発掘家のボディガードだ。あの男が本当にそうなら、新しい遺跡の情報や発掘品など、値打ちのある物を持っているかもしれないよ?」
保安官は親切にも、遺跡地帯での拾得物や遭難者発見における権利や規則を、丁寧に説明してくれた。
――どっちにしても、いらないわ。伝説級のお宝なら別だけど。
ユニスは『発見者の権利をすべて放棄する』に丸印をつけ、そそくさと保安局を後にした。