023:記憶の回廊
やっぱり、わたしが列のいちばん最後を歩く方が良いわよね。
だって、空間を制御できるシェイナーだもの。
歩きながら周囲百メートルをシェインで走査。透視するのは上下左右、前方、後方。これだけ用心していれば、多少の『歪み』が近くに出現しようと即座に塞げる。消滅させるのも可能だ。
ありがたいことに、ここは一度、安全を確認された固定遺跡。物理的な脅威となる魔物などの出現率は0。――今のところは。
先頭をいくトリエスター教授もシェイナーだ。ユニスのようにシェインで空間制御はできないようだが、ラディウスを触ることなく本物だと見抜いた。シェインでの解析はできるらしい。
空間異常が発生すれば気づきはするだろう。
シャールーンの民は潜在的にシェイナーの素質を持つ。とはいえ、この世の理を操る能力『シェイン』の発現には個人差がある。
ユニスのように透視や空間移送など、複数の強い能力を行使できるシェイナーは、シャールーン帝国でもそう多くはない。シェイナーが生まれつき発現できる能力はたいていが1~3個どまり。それより多くなるには訓練以上に生まれ持った素質の問題が大きい。
ユニスは晶斗の手をはなし、晶斗の後ろに付こうとしたら、
「おい、なんでわざと遅れるんだよ?」
晶斗に右手首を掴まれた。
「いえ、わたしが最後を歩いた方がいいかと思って」
「馬鹿言うな、俺から離れるな」
「この位置にいるだけよ」
「却下だ。俺の横を歩け」
なぜだろう、晶斗は真剣に怒っている。
こんどは手を繋がなかったが、ユニスはすなおに晶斗の真横についた。トリエスター教授と研究員4人とも、距離が開きすぎないようにする。
通路には階段はおろか登り坂も下り坂もない。どこまでも平坦。
なのに、移動していくと、いつのまにか通ってきた通路とは階層が異なる階を歩いている。
一階層分上がったと気付くのは、わりと早かった。出発から10分ほどだ。トリエスター教授の冷静な指揮、透視能力を持つユニスの存在が安心感を与え、パニックを起こす者は出なかった。
さらに次の階層へ進む。
トリエスター教授が階層を確かに異動したのをセンサー測定で確認し、一同に告げた。
その直後、
――いま、晶斗が何か言ったような……。
ユニスは耳を澄ませた。
――変ね、何も聞こえないわ。もしかして、現実の音ではない……?
皆は黙々と行進している。五感では異常を感じ取れない。
――ふっ、こんなこともあろうかと手は打っておいたんだから!
遺跡に入るテストの時から、晶斗にはこっそり『シェインの糸』を付けてある。目には見えない命綱。長さは無限。
ユニスが晶斗へ絶対の安全保証を約束した理由がこれだった。晶斗が世界のどこへ行こうと、ユニスが晶斗を見失なうことはない。
ユニスが外すか、ユニスより強力なシェイナーでなければ断ち切ることは不可能。最悪、ユニスが死なない限りは外れない。
晶斗との距離を詰める。
ユニスは右手を伸ばし、晶斗の左腕に触れた。その指先が、ピクッ、と動いた。
今のは反射反応? ユニスは、晶斗の手を掴んだ。
反応はない。
晶斗の両手は体のわきに垂れ、歩みにつれて軽く振れている。ユニスが手を掴んだことにも気づいていないふうに。
――近くに歪みの気配はしないし。……原因は晶斗自身?
透視で晶斗の体内を視ようとしたら。
通路がスー、と暗くなっていく。
すぐ前にいる研究員の後ろ姿はぼんやりと見える。だが、先頭を歩くトリエスター教授の姿は見えない。
――まさか、また新しい歪みが出現しているのかしら!?
通路両サイドの壁は薄明るいが天井は真っ黒だ。
突然、息苦しくなった。
ユニスは左手で鼻と口を押さえた。ねっとりした雰囲気の空気は流動する液体かと思うほど。それでもユニスの前をいく人々の歩みはぜんぜん止まらない。
――他の人はどうして平気なのかしら?!
ユニスは慌ててバリアを張った。自分だけではなく、全員を保護できるスケールのシェインのバリア。ついでに空気を清浄化する濾過フィルターの機能も持たせておく。
そこまで設定してやっと安心。
止めていた呼吸を再開したが、
「げほッ!」
空気にむせた。
どうしてバリアの効果がないの!?
晶斗もトリエスター教授達も平気なのは……この息苦しさは現実ではない。
ユニスに見えている真っ黒な天井も。
シェイナーのアンテナでキャッチした何かなのだ。
――何なのかしら?
見極める方法はある。
目を閉じて、視力を透視に切り替える。
さあ、何が視える?
シェインの目で見た通路は、真っ暗だった。
目を開けた。
こんどはシェインの視界を完全にシャットダウンして肉眼だけを使う。
淡い緑の光。天井と壁が発光して薄明るい。肉眼で見れば元の通路だ。
目で見ながら、もう一度シェインの目も、開く。
すると、薄明るい通路はそのままに、暗闇に沈む通路が透けた写真のように重なっていた。
――なるほど、わたしは二つの通路を同時に視ていたわけね。
ユニスは晶斗の状態を視ようとして、晶斗が見ているものを――正確には晶斗の脳が思い出している過去の映像――を覗き込んでしまったらしい。
――これは晶斗の記憶なんだわ。
ユニスは静かに唾をのみこんだ。かつて晶斗が彷徨い続けた遺跡での、最悪の心象風景。
――このままだと、ちょっとまずいかも。
これほど鮮明な映像が伝わってくるのは、ユニスが晶斗とシェインの糸で繋がっているせいだ。晶斗は非常にネガティブな心理状態になっていて、ユニスまで影響される恐れがある。
といって、この状況下で晶斗との絆であるシェインの糸を断ち切るのはもっと危険だ。
――晶斗にどんな影響が出るか予測できないし。
ユニスが迷っている間にも、幻覚はどんどん進んでいく。
通路の先に突き当たりが見えた。左右へいけるT字路だ。
その壁と、床との境目が溶けていく。
肉眼で見える通路が脳の視野から消えさり、ありえない過去の風景が、現実よりも現実らしい生々しさを伴って出現した。
かつて晶斗が体験した感覚のすべてが蘇り、晶斗の五感を揺さぶっている。
『…………れは、迷宮かもしれない。レンズを下ろせ!』
これも晶斗の記憶に刻まれた声。
現実では、晶斗はユニスと歩調を合わせて歩いている。
だが、この瞬間、晶斗の心は別の迷宮にいた。
そこでは、見知らぬ複数のシルエットが晶斗を取り囲んでいる。皆が同じ戦闘装甲だ。当時、晶斗の仲間だった調査隊の人々。
『サイト、原点マーク』
『起点、取りました』
晶斗達が出発した。
『霧が?』
『ミストホールだ!』
深緑の霧の壁が、たちまち視界を塞いでいく。
『シリウス!』絶望の声が響いた。
晶斗の仲間が、晶斗を探している。晶斗が必死で伸ばした手は、近くに来た隊員の体をすり抜けた。
砂漠でユニスに保護されてから、保安局で意識を取り戻してここに到るまでに、この記憶映像は何十回、いや、何百回となく晶斗の心の中で再生された。晶斗の記憶からその痕跡が読み取れる。
過去の恐怖は、晶斗の深層心理に黒ぐろと焼き付いている。
『シリウスはどこだ、どこにいる?』
晶斗の顎がわなないた。その時に味わった感情の欠片が増幅されていく。緊張と不安、未知への探究心と――恐怖が……。
――あ、ヤバい!
ユニスはてて晶斗の左手をギュッと握って引っ張った、が、
「俺はここだっ!」
晶斗は叫んだ。
トリエスター教授達が歩みを止めた。
視線が晶斗へ集中した。
トリエスター教授が右手を挙げた。
「おーい、どうかしたのかね?」
「あ、いや、すまない、独り言だ。……え?」
晶斗が、ユニスが手を握っているのに気付いた。
「わるい。驚かせた」
晶斗はぎこちなくユニスとは反対方向へ顔を向けた。
「あら、気にしないで。まだ調子が悪いのよ。酔い止め、飲む?」
ユニスは晶斗からゆっくり手を離した。その右手をひと振り、空中からピンクの巾着袋を取り出す。袋の口をゆるめて中を探っていたら、晶斗が眉をしかめた。
「なんで、酔い止めなんか持ってるんだ?」
「テストの遺跡から出たときもふらついたでしょ。念のため用意しておいたの」
「なるほどな。しかし、今の彼に必要なのは安定剤だ」
トリエスター教授がベルトのパウチから何かを掴み出し、晶斗へ投げ渡した。
コイン大の青いピルケースだ。半透明で、中身の赤い錠剤が透けている。
「それは帰還者に特有のトラウマによる症状だ。おおかた、遺跡で行方不明になった状況を思い出して追体験しているんだろう。一錠飲んでおきたまえ。副作用は一切なし、眠くもならん」
晶斗はにやっと笑って、胸ポケットに薬のケースを押し込んだ。
「ありがたくもらっておくぜ。これ以上ひどくなったら、遠慮なく飲ませてもらう」
「聞きしにまさる頑固ものだな。倒れても知らんぞ」
「あんたに迷惑はかけないさ」
晶斗とトリエスター教授はギッと睨み合い、ふん、とそっぽを向いた。
――2人とも、この状況で何をやっているのかしら。
ユニスは巾着袋を理律のポケットへ片付けた。
そうして一行が進もうとしたとき、
「教授、前方に人が」
前方に黒い人体のシルエットが現れた。男だ。
淡い緑の光の中で、全体に薄黄色く見えるのは砂漠用迷彩色の戦闘服だろう。頭部は黒のフルフェイスレンズで隠されている。髪も黄色っぽい。
左手がひょいと振られた。
黒いボールみたいな物を投げたと知ったのは、それが飛んできたからだ!
トリエスター教授は、わわっ!、とあわてふためいた声を上げ、
「逃げろ!」
うわーっ! と、皆で元来た方へ走り出した。
黒いボールは、コン! と、落ちて転がり……。
「なに、いまのはッ!?」
走りながら、ユニスは振り向いた。
「手榴弾タイプG、いいから走れっ!」
晶斗の答えの正しさを証明するように、背後で爆音があがった。
まばゆいオレンジの光が追いかけてくる。
通路の先まで一気に照らされた。
衝撃波と爆風が背中に追いつく。
その瞬間、ユニスの長い髪がすべて逆立った。
皆が前のめりに倒れた。
ユニスだけは背中からのけぞった。
体が浮いた。
一瞬の無重力。
ギシッ、と空間のどこかが、重く軋んだ。
次の瞬間、ユニスは左肩からななめに落ちていた。床に頬がついた。左半身の痛みが全身に響き渡った。歯を食いしばって顔を上げたら――。
差しだされた晶斗の手は、目の前の風景もろとも掻き消えた。
「どうしてっ!?」
ユニスは慌てて体を起こした。
通路に人の気配はない。
「また、位相がずれたんだ……」
わずかな位置のずれ。それが文字通り、『場所』を分けた。取り残されたのはユニスだ。
まだらに晴れていく煙の向こうから、砂漠の砂色をした迷彩色が近づいてくる。
ユニスは反対方向へ走り出した。さっき、トリエスター教授が見つけた『門』の位置がずれていなければ、範囲を絞ってユニスも透視で探せる。
走りながら、感覚を研ぎ澄ます。
脳内の暗いスクリーンに、輝く構造体が浮かび上がる。この階層を中心とした上下の三階層。複雑な光の線模様が絡み合った立体的な回廊を、シェインの『目』がすさまじい速さで飛翔する。
ひときわ明るい光点を発見!
――あった、出口!
ここから三階層の上層。最短距離は――まず、次の角を右へ。
走るうちに通路の脇道がどんどん増えていく。
一応、安定しているとはいえ、通路の変化は続いているらしい。
迷宮が惑わしの本領を発揮してきた。これこそが迷宮の怖さだ。シェイナーでなければ空間構造を読み解けず、ここで遭難する。
――そろそろ一階層分はのぼったはず。
と、突然、項がぞわぞわした。人の気配。なんだか怖い!
『あの砂漠迷彩色の男が追ってきた?』
荒い息を整えようと、歩きながら深呼吸を繰り返す。
怖さがおさまらない。
まっすぐな通路には、どこにも人の姿はない。
それでも怖い。
耳元でドキドキと自分の鼓動がうるさかった。
脚の動きが鈍くなる。
もう、全力疾走はできそうにない。




