020:失われた十年
「わあッ!」
男の悲鳴。
晶斗の声じゃない。
ユニスは全速力で保安局事務所へ走り込んだ。
晶斗がいる。カウンター越しに、若い保安局員の胸倉を摑みあげている。
「いい加減にしとけよ。俺の忍耐にも限度ってもんがあるぞ」
晶斗が締め上げてガクガク揺さぶるものだから、保安局員は逃げるどころか喋ることもできない。
「ちょっと、落ち着いてよッ!」
ユニスが晶斗の右腕に飛びつくと、晶斗はしぶしぶ保安局員から手を離した。
保安局員は真っ赤な顔で、両手で喉を押さえて咳き込みながら、よろよろと後ろへさがった。
「で、なにがあったの?」
ユニスは努めて穏やかに尋ねた。
「こいつが、俺の身分証が発行できないって言いやがるんだ」
晶斗が忌々しげに、呼吸を整えている保安局員の方へ顎をしゃくった。
事務所内に他の人員はいない。見回りの時間なのか、どこかで事件でも起こって出払っているのか。
カウンターに書類が散らばっていた。写真付きのもある。
「これ、晶斗の……?」
短く刈り上げた髪に青い制服姿の上半身。胸には階級章。護衛戦闘士には元軍人が多い。晶斗も前身は東邦郡の軍にいたのだ。
写真の晶斗は少し肉付きが良いだけで、顔立ちも現在と変わらない。それほど昔の写真でもなさそうだ。
「きれいに撮れてるわ。誰が見ても晶斗だってわかるわよ?」
ユニスが顔を上げると、保安局員と目が合った。彼は唇を歪めた。
「それは今朝届いた。東邦郡の護衛戦闘士『天狼』こと晶斗・ヘルクレストは、十年前の遺跡探索中に行方不明になり、その後、死亡が認定された。現在捜索中の行方不明者のリストになかったから、照会に時間がかかったんだ」
保安局員の話を理解するには、数秒が必要だった。
「十年……?」
ユニスはもう一度、写真付きの書類を見返した。
遭難時の日付は……なるほど、十年前だ。『東邦郡陸軍』という記載があちこちに読み取れる。何枚かには『機密事項』のスタンプまで押してある。
ユニスは、晶斗を指差し確認しつつ、
「ようするに、ひらたく言えば、この晶斗は……幽霊?」
「そんなわけあるか!」
怒る晶斗。保安局員は我慢できずに吹き出したが、晶斗に睨まれると慌てて横を向いた。
「だって、これ、当時の事故現場にいた全員が、晶斗の死亡を確認したって書いてあるわ」
床にも書類が落ちている。ユニスはササッと目を通しながら拾い集め、カウンターの分も揃えて保安局員へ差し出した。保安局員は「ありがとう」と受け取り、その中から1枚を抜き出した。
中央にくっきり『処理済み』のスタンプが押してある。
「これが、彼の死亡届けだ」
保安局員によると、遺跡での事故や事件は、行方不明として扱われる。、遺体が一部でも発見されない限り、生死の確認をしようがないからだ。
まれに目撃者がいて、行方不明時の状況が生存可能率1パーセント以下、遺体回収も不可能であったと証明された場合にだけ、死亡届はすみやかに受理されるという。
「晶斗にはそれが適用されたのね」
「そうだ。彼についての公式のデータは抹消されていた。でも、名の知れた護衛戦闘士だったから、それを手がかりに情報が検索できた。晶斗・ヘルクレストを知らなくても、シリウスの活躍は地元では伝説になっているらしいね」
説明する保安局員を、晶斗はふてくされた表情で睨みつけた。
「軍のデータは一般と違って、記録は永久保存される。俺の軍歴は何年経とうが、民間人より確実に見つけられるはずだ」
晶斗はユニスの手から書類をひったくり、カウンターに叩きつけた。
「こんなのは嘘っぱちだッ! 俺が遭難したのは迷宮の探索中で、東邦郡が招集した踏破隊にいたんだ。当時の探索班の隊長に確認しろ! 軍時代から知ってる少佐だっ!」
だが、保安局員も負けてはいない。別のファイルを晶斗の前へ叩き置いた。
「そっちも確認した。佐官クラスなら部下の保証人になれるからな。しかし、事故当時、君はすでに民間の護衛戦闘士だったし、その少佐は事故の直後に退役していた。現在は民間人だ。当局から呼びつけることはできない」
「くそ、俺の事故でブルッたのかよ。自分だけとっとと年金生活に突入しやがって……」
晶斗は書類を片手で握り潰し、保安局員に投げつけた。
保安局員はひょいと躱した。
「だから、順番に手続きを踏んで、十年前に遺跡で行方不明になった被害者本人だ、という証明が先に必要なんだ。知人友人に会えるのは、それからだと説明しただろう」
眉間に縦皺を寄せ、首を横に振る。
しかし、これにはユニスも疑問を持った。
「どうして? ここに晶斗が生きているのに、医者の診断書じゃだめなの?」
「死亡が確認されているから、DNAも指紋も網膜認証もだめだ。最近は科学で偽造ができるからね。一番速いのは彼の郷里でしかるべき機関へ出頭し、もろもろの検査を受けて家族や友人に再会するのが最良策なんだが……」
ちらり……と、保安局員は晶斗の反応を窺った。
晶斗は怒りを押し殺した、ピリピリした空気をまとっている。
――爆発寸前ってとこかしら……。
「彼は遺跡からの帰還者として当局に保護された。身元が判明するまで、この町から十キロ以上離れてはいけないという、滞留命令が出ている」
保安局員は肩をすくめ、ユニスへ向いた。
「違反すると、どうなるの?」
「当局の保護が受けられなくなる。どこへ行こうと死者の名を騙る流れ者だ。ましてや彼は十年も経っている。家族も友人も様子が変わっているだろう。死んだはずの家族が突然現れたら、君ならどうする?」
「ものすごく、驚くでしょうね」
ユニスは大きくうなずいた。
晶斗は「くそッ」と悔しげに呟き、腕を組むと、腰でカウンターにもたれかかった。
「そんなの、知るか。旅費がないから帰れないだけだ。カードさえあれば、東邦郡にある自分の貯金を引き出して、自力で帰ってやるさ。あんたが何でもいいから俺の身元を保証する書類を発行してくれたら、それですむんだよッ」
晶斗の吐き捨てるような言い方に、保安局員はムッと口を歪めたが、
「だから、そのためには守護聖都の捜査官の到着を待たなければいけないんだ。東邦郡の捜査官が来るのはその後になる。送還まで何ヶ月かかるかわからないが、気長に待つんだね」
忍耐強く、穏やかに諭した。若い保安局員は晶斗と同年代くらいだろうが、ユニスはその落ち着きぶりに、さすがは保安局員だ、と感心した。
「てめえ、他人事だと思って……」
晶斗が怒りもあらわに、保安局員へ向き直ったときだった。
「もっとも、君らの知り合いにルーンゴースト学術院か守護聖都の有力者でもいれば、話は別なんだが……」
保安局員がつぶやいた。
晶斗が動きをピタリと止めた。
「この国じゃ、裏取引が効くのか?」
「遺跡関係に限るがね。遺跡研究はシャールーン帝国の重大な国家事業だ。遺跡絡みの案件は何に置いても優先される。守護聖都知り合いがいるなら、連絡してみるかい?」
「いや……」
晶斗は口ごもったが、ユニスはここぞと愛想良く微笑んだ。
「ねえ、それってたとえば、プリンス……宰相のセプティリオン大公殿下とか、学術院のトリエスター教授ならどうかしら?」
保安局員は、目をまん丸くした。
「二人ともトップレベルの遺跡研究者じゃないか。もし身元引受人になってもらえるなら、即日町を出られるぞ。知り合いなのかい?」
保安局員は期待を込めて、ユニスの次の言葉を待っている。
ユニスは微笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「ううん、雑誌で見ただけ。でも、そうよねー、専門家に知り合いがいるなら、先にそっちへ連絡する方がだんぜんお得よねー。ねえ、晶斗?」
ユニスは努めて陽気に話しかけたが、けっきょく晶斗は保安局を出るまで一言も発しなかった。
保安局の玄関前で、ユニスは周囲をぐるりと眺め回した。
街道は北から南へ直線に延びて、横道から観光用の大型バスや砂にまみれた砂漠用ジープが行き交う。午後の強い日差しのせいか、人通りは少ない。
ユニスは額の汗を手の甲で拭きながら、真っ青な空を見上げた。
遺跡地帯の天候は変わりやすいが、雨が降る気配は皆無だ。遺跡地帯を散策するには絶好の日和ともいえる。
「じゃあ、とりあえず行きましょうか?」
「……どこへだ?」
晶斗は道へ降りる低い階段の上に、すとんと腰を下ろした。
「十年だ」重い心の奥底から、絞り出されたような声だった。「十年経ってる」
晶斗の目は暗く、感情が読み取れない。返事を求められていないのが雰囲気でわかった。ユニスは黙って聞くことにした。
「遺跡の中で、時間の歪みが発生するのは知っていた。それでも、せいぜい3ヶ月くらいだと思っていた」
左手首の軍用時計に視線を落としている。頑丈で高性能。時間と日付が一目でわかる。あの時計が、遭難していた晶斗の唯一の相棒だったのだ。
「東邦郡とこっちじゃ、使ってる暦が違うからな。昨日、保安局で時刻を合わせたときも、気づかなかった……」
晶斗はうつむいた。
ユニスは、晶斗を階段の上に残して先に降りた。
「そりゃ、ショックでしょうけど」
ユニスは晶斗に背中を向けたままで喋った。
きっと晶斗は今、顔を見られたくないだろう。
「……おまえにわかるのかよ?」
やっと聞こえた声は刺々(とげとげ)しかった。
『君』でも『お嬢さん』でもなく、『おまえ』ときた。
レストランでユニスをからかうように喋っていた時とは別人のよう。
それは失った時間のせいだと、ユニスは知っている。
十年前と同じ故郷へは二度と帰れない哀しみと怒りが凝っているから。……と、晶斗の悩みを正確に読み取れたところで、ユニスにはどうしてあげることもできない。
シェイナーのシェインは時間を超えられない。
人間は過去へ戻れない。それは理の不文律だ。
「いーえ、わたしにはわからないわ。だから、ここへ行ってみましょ」
ユニスは、右手をピッと一振りした。
指先に、挟んだ名刺が一枚!
ユニスは名刺を頭上に掲げた。
「トリエスター教授のところよ。遺跡研究の第一人者!」
どう? と名刺をひらつかせたら、晶斗は顔をしかめた。
「おい、それ、どこから出した?」
「サイトショップのマスターにもらったの」
「そうじゃない、さっきは手にピンクの巾着袋も持っていたな。あれはどこへやった?」
ユニスはほくそ笑んで右手を振った。
名刺が消える。
右肩の少し上を指して、
「ここよ、シェインホール。理律のポケットとも言うわ。自分の周りの空間を制御して、物入れを作るのよ。作られた空間はわたしの一部だから、移動してもずっと一緒にあるわ」
「シェイナーの特技か。……便利なもんだな」
そういうわりには感心したふうでもない。
「相手は学術院の大物よ。この機会にコネをつけておくのも悪くないんじゃない?」
ウインクを1つして、ユニスはさっさと歩き出した。振り向きはしない。晶斗の様子は、シェインで『視て』いる。
晶斗は、のろのろと立ち上がった。その表情は……寂しげで、悲しそう。
ユニスはどんどん歩いた。
晶斗はまだ保安局の前だ。
ユニスはちょっと心配になった。
ひょっとしたら、もう、わたしには付いてこないつもり……?
だが、ユニスが次の角を曲がる前に、晶斗はユニスに追いついてきた。




