バックエピソード1:乙女は遺跡に誘惑される
ユニスはどうして遺跡探索をやり始めたのか。
食事の終わりに遺跡の話をしていたら、それこそ食後のデザートみたいなノリで晶斗に訊かれた。
べつに隠すことでもないので、ユニスは答えた。
「だって、都会で暮らすにはお金が必要でしょ」
ユニスが暮らしているのは守護聖都フェルゴモール、シャールーン帝国の首都にして最大を誇る大都市だ。
そして、このルーンゴースト大陸で手っ取り早く大金を稼ぐ方法といえば、遺跡探索に入り、高額な値打ちのあるお宝を入手することである。
「金が必要なのはよくわかるけどよ。いくらシェイナーでも遺跡に入る知識や経験がなけりゃ、迷宮の歩き方はわからないだろ。誰も知らないラディウスの取り方なんて、何で知ってたんだよ?」
「ああ、その話? じつはね……」
ユニスには、なぜか『子どもの頃に遺跡探索をした記憶』があるのだ。
幼い頃は冒険したい願望が見せた夢だと思っていた。
その夢の中で、ユニスは遺跡探索隊の一員である。仲間はとても若い男女だ。
彼らは理律使。それも全員、とてつもなく優秀な。
とつぜん目の前に遺跡が現れてもためらうことなく門をくぐり、迷宮の通路を進む。途中でどんな魔物が出現しても、あっという間に誰かがサクッと退治する。
一行はすごいスピードで先へ進むのだ。遺跡の探索など、朝飯前の気軽な散歩だといわんばかり。
やがて隊長らしい男の人が、異空間の入り口がある壁を発見する。
そこが迷図の入り口なのだ。
彼らは遺跡に入り、さらに迷図を見つけ出し、そこにある小宇宙に足を踏み入れる。そうしてついに輝く宝玉『光珠』を見つけ、手に入れる。
……という、冒険物語のようなストーリーを、ユニスは何度も夢に見た。見るたびにワクワクしたすごく楽しい気分になった。
おかげで幼いユニスの心には、美しいラディウスの輝きが焼き付いてしまった。
その夢の中で、ユニスはラディウスを手にするのだ。おおかた手に持たせてもらっただけだろうけど……。
さて、問題はここからである。
じつは、ユニスは、この夢の結末を知らない。つまりラディウスを手に入れた後、探索隊がどうなったのかを知らないのだ。
どうして幼児だったユニスは、あの見知らぬ人たちと未踏破の遺跡へ入ったのだろう。
何度も夢に見ていても、肝心な細かい事情がさっぱり不明。
気になったユニスは、大きくなってから村の図書館で記録を調べた。
ラディウスを発見したほどの遺跡探索なら、お宝発見の大ニュースになったはずだ。……と思ったが、村の公共図書館にはそれらしい記録は無かった。
――どうして思い出せないのかしら。夢の中では遺跡探索隊の仲間の顔もはっきりわかっているのに……。
あの探索隊の男女は村人ではなかった。
もしや現実に起きた出来事ではなく、幼いユニスが見聞きした知識を勝手に混合して作り出した記憶なのかもしれない。
ユニスのシェインの師である村の長老は『師母』という。引退前はシャールーン帝国の賢者として神殿に勤めた経験もあり、遺跡探索の仕事もよくしていたと聞いている。
その師母に、ユニスは赤ん坊の頃から預けられていた。
師母ならば、幼いユニスを伴って仕事にいったことがあったのかもしれない。
そう思う根拠はあった。
あの夢の中では、ユニスの目線は16才の今よりも高いのだ。ハイヒールを履いてもまだ届かないほどに。
推測だが、とても背の高い誰かが幼いユニスを抱っこして移動していたのではないか。つまり、ユニスが自分で早く歩けなかったほど小さい幼児期に。
師母は背の高い女性である。
ユニスは折を見てこの疑問を師母にぶつけてみた。
師母はかなり考え込んだ後で、幼いユニスを遺跡へ連れていったことはないと、師母の名にかけて保証してくれた。
遺跡は危険な場所である。たとえ安全とされる固定化遺跡でも魔物が出現しないという絶対の保証は無い。ゆえに、どんな探索隊であれ子どもを連れて入ってはいけない。という条項が、遺跡法にはあるそうだ。
「マイ・ユニス、夢は夢。忘れる程度なら無理に思い出さなくても良いのだよ」
と、珍しく名付け親として幼名を呼ばれ、優しく諭されもした。
師母がそう言うなら、そうなのだろう。
それ以後師母は、ユニスが遺跡探索に入りたいという話をするたびに優しく反対するようになった。
普通の女性は単独で遺跡探索に入るものではない。遺跡に入りたいならユニスの親友マユリカのようにシェイナーの専門機関である理律省に就職し、何年か修行を積む方が良いとか……。
――もしかして、わたしを野放しにしたらあぶないと思われているのかしら。
確かにユニスは、あちこちで巨大氷山を出現させた実績持ちだ。
けれど、もう子どもじゃない。
自分の能力と知識に自信もついた。1人で遺跡探索をしてすごいお宝を見つけてみたい。――一般的な一攫千金の夢もあるけれど――それでも自分の能力で、すごい遺跡探索ができると証明してみたいのだ。
――いま考えると、つくづく無謀だったわね。
ユニスは無邪気な子どもだった。だからこそ、遺跡探索を思い留まることは、どうしてもできなかったのである。
遺跡探索をすると決めたユニスは、さっそく村の校外にある、立ち入り禁止の遺跡地帯へ足を踏み入れた。
遺跡とは、いずことも知れぬ異次元からこの世界へやってくる未知なるもの。いつどこに出現するかはまったく不明。どれほど優れたシェイナーでも、見つけようとしてすぐ見つけられるものではないのだ。
もっとも、こういった『運』の良し悪しについては諸説ある。異次元の危険に対処する手段を持たない人間にとっては、遺跡との遭遇は究極の不運でもあるのだから……。
ユニスは、村の近所にある固定遺跡を選び、探索の練習をすることにした。
過去には村人を含めた何人もの探索者が入り、研究所なども調査を行ってきた、安全が証明された古い遺跡である。
それでも迷路を歩き回れば、たまに貴重な遺跡産出物を拾えたりする。
こういった固定遺跡は、近隣の村や町の共有財産である。探索するには役所への届け出が必要とされていた。
本来の遺跡とは、肉眼では見えない異次元の存在であるが、固定化された遺跡の入り口は万人の目に見えるように視覚化される。
そのような入り口を遺跡の『門』と呼ぶ。人間が入るための出入り口というわけだ。
この固定遺跡の門は、山の岩壁に貼り付いた四角い洞穴のような形で開いていた。
ユニスは門を入り、さっそく迷宮を透視してみた。
縦横にどこまでも伸びた通路。いったい何百メートルあるのか。
通路の床や壁や天井は、どこまでも同じ風景がつづく。
しかし、いちど固定化された通路は変化することはない。帰れるよう、門の場所だけを覚えておけば大丈夫だ。
帰り道の確保は重要だ。
遺跡内ではシェインを使えるが、空間移送がしにくい、と、聞いた。
ユニスはシェインで目印を付けることにした。通路の右の曲がり角に、シェインで光のマークを貼り付けておく。
透視ができるシェイナーでなければ視えない特殊なシェインの光。この光る目印を辿れば必ず入り口に戻れるようにしておくのだ。
門のある第一階層は過去の遺跡探索隊が付けた目印があるのでわかりやすいが、ほかの階層はそうとは限らないから……。
――あれ? そういえば、わたしはどうしてこんな方法を知っているのかしら?
師母に教わった覚えはない。
どうも夢の中で覚えた知識のような気がするが……。
――それよりお宝!
シェインで周辺を走査!
次元と空間の安定を確認!
歪みの隙間もなく、異次元空間から魔物は漏れ出てこない。
苔緑色の光に満ちた静かな通路は異形の魔物どころか、なめらかな床には小石一粒落ちていない。
ちなみに魔物もお宝の一種だそうだ。
退治したら、死骸の大部分は時間と共に分解されて消失する。
その場所で発見される遺跡産出物がある。それこそが宝石や貴石であり、貴重といわれる希少鉱物などであった。
これはまさに運次第。
運さえ良ければ、遺跡観光にきた観光客でさえ何かを拾って帰れる。遺跡探索とは、まさしく運試しのギャンブルなのだ。
ところが、今のユニスの行く手には、魔物の尻尾も出現しない。
1時間歩き回って、石のかけらも見つからなかった。
透き通った綺麗な宝石は落ちていないの?
噂に聞く一攫千金のお宝はどこにあるの?
自問自答したそのときだ。
『ラディウスは迷図にある』
誰かの言葉が脳裏にひびいた。誰だろう。でも、きっとかっこいい男の人だ。遺跡探索隊の隊長だった人だ。声だけでもこんなに自信にあふれているんだもの。
遺跡内部にあるという迷宮の中の迷宮『迷図』。その異空間のどこかに輝く宝珠が隠されている。
自分でも不可解な確信。
こうして遺跡の通路をうろうろしているのは、なんとなくその勘を信じているから。
この壁じゃない。
ここも違う。
この階層にはないみたい……?
あ、あそこはなんだろう。
突き当たりの壁が気になる。
あそこに何かありそう。
きっと、あれだ。迷図の入り口の壁!
ユニスはそこへ右手の平を押し当てた。
次元と空間の隙間を探る。
すると壁が、いや正確には壁に重なっている異次元の空間が、グニャリと歪んだ。
異次元への穴が、ぽっかり口を開けた!
大人がひとりが通れる大きさ。
迷図への入り口。
迷図の中は果てしない。深海の底を思わせるインディゴ・ブルーの空間には金銀の星々が輝く。
そこかしこに虹色の光がたゆたうさまはおとぎ話の幻想宇宙さながら。
ゆえに、肉眼で見える道はなく。
――でも、ここなら知っているわ。
ユニスは笑った。
だって夢の中で同じ異空間を見て、『あの人たち』と、迷図の探索をしたんだから!
ユニスはためらいなく宙へ身を躍らせる。
目に見えなくたって平気。この空間を走って進めることを知っているから。
さて、『ラディウス』はどこだろう?
ユニスはラディウスの気配をさぐった。
細い、かそけない糸のような気配が鼻先をかすめる。
きっとこれがラディウスの光の気配。
目には見えぬ、繊細な蜘蛛の糸のようなそれをたぐっていく。
――ああ、そこにあるのね……。
虹色の光の中、その赤い色を通過した瞬間、まばゆい輝きに目を射られた。
目を閉じて、シェインの透視に切り替える。
光の源は丸い珠。小さな太陽のように輝く『ラディウス』だ!
ユニスは空中へ手を伸ばした。
ラディウスに、触れた。
と、太陽のごとき輝きがスウーッ……と弱まった。
ラディウスとユニスの周囲だけが昼間のように明るく、ほかは闇に沈んだ。
――あら? 同じ場面をいつか夢で見たことがあるような……。
なぜだか、せっかく見つけたラディウスを、ユニスが手に取ってはいけないような気がしてきた。
『遺跡はラディウスを取ると崩壊する』
そうだ。夢で誰かがそう言っていた。
――でも、わたしは夢の中でラディウスを手に持っていた。このラディウスだって取れるはずだわ。
ユニスは、空中に浮かんでいるラディウスを掴み取った!
ピシリッ。
空間に、細い亀裂が生まれた。ラディウスがあったところだ。
――ヤバい!
ユニスはラディウスを両手で掴んだまま、後退った。
頭の中で夢の声がする。
『脱出するんだ。この遺跡は破壊する。核であるラディウスを取れば、遺跡は形を失う。急げ!』
あれはいったい誰だったのだろう。
――どうしょう、この遺跡が壊れたら、みんなにバレるわ。
ユニスは慌てて、ラディウスを元の位置へ戻した。
ラディウスは空中に浮いた。
太陽のような輝きは戻らない。
亀裂の進行は止まらなかった。
「やだッ、元の場所に戻したのに、どうして!?」
ユニスは身をひるがえした。
ラディウスの位置から生まれた亀裂は、ふくざつな蜘蛛の巣の紋様のように、四方八方へと伸びていく。
もう一度ラディウスを手に取ることすら思いつかなかった。
この遺跡は壊れる。
完全なる崩壊。跡形も残らない。脱出しないと巻き込まれて、死ぬ!
外へ出るには時間もかかる。ここに来るのに要した時間と同じくらいは。
空間移送するにも、迷図を構成する空間の歪みが邪魔をする。ムリヤリ異空間に入って移動したとしても、迷図の歪みに力負けしたら、真に未知なる異次元空間へ弾き飛ばされるかもしれない。
――一刻も早く、安全に、迷図から出る方法は?
あの夢の中で、ラディウスを取った人たちは、どうやって迷図から脱出したのだろう。
――うーん、そのくだりはまったく夢に見ていないのよね……。
となると、現実の出来事ではないから覚えていないのかとも思える。
やはり、幼いユニスが大人の話を見聞きした曖昧な記憶を元に作り上げた空想の記憶なのか……?
ギシリッ!
太い亀裂が空間を分断した。ユニスが走り抜けてきた幻想の宇宙、虹色に輝いていた夢のような空間が無数の小さな立方体の集まりと化し、ホロホロと崩れて消えていく。
――やば、次元まで歪み出してる!
天空は灰色に色褪せ、やがてその灰色すら失い始めた。後に残るは無限の暗闇。
「キャーッ、やだ、もうちょっとだけ、待って~!」
迷図から飛び出たユニスは迷宮の壁を、シェインで力まかせに切り裂いた。
歪みかけた迷宮空間は薄紫のガラス細工のよう。そのガラスめいた壁へ外まで通じる穴を穿つ!
薄紫色に輝く異空間のトンネル。
出口がまあるく開いている。
走った。
全身が暖かな空気に包まれる。
足が地面を踏んだ。
――外だ!
まばらな草の上、ユニスはヘナヘナと座り込んだ。
――よかった、無事に出られた……。
遺跡が完全崩壊するまでのカウントダウンは、ユニスの計算より少しだけ長かった。
それが幸いした。
どうやら遺跡を構成するこの世ならざる物質は、分解して消えるまでに一定の時間がかかるものらしい。
――核であるラディウスを失ったから、存在し続けることができなくなったんだわ。だから、この世界の空間と相容れぬ異質なものとして消え去るしかなかったのね。
あと少し崩壊速度が早かったら追いつかれていた。崩壊する空間がどのようになっているのかは知らないが、捉えられたら迷図から出られなかった可能性もある。
岩壁に開いた門はまだあった。
その後方に、遺跡がその姿を現した。
薄紫色の宝石細工のような燦めきの巨大なピラミッドを上下に二つくっつけたような正八面体の輪郭は、薄紫の太陽さながら、パアッ! と輝いた。
――なんてきれい!
ユニスはしばし目を奪われた。
あれが遺跡の全景。初めて見た。ピラミッドを思わせるあの形はユニスの作る氷山にちょっと似ているかも。……何のなぐさめにもならないけど。
村ではとうに異変に気づいたはずだ。シェイナーの才ある者なら、誰がこの空間の大騒ぎを引き起こしたかまでわかっただろう。
小さくても固定遺跡は、村の共有財産だったのに……。
――あーあ……またやらかしちゃった。
ユニスはその場にしゃがみ、はあ、と溜息を吐いた。
薄紫色の光の欠片がふわり、風にのってどこかへ消えた。
――いまのは、遺跡の……!?
遺跡とその門は、跡形無く消失した。
1人でこっそり練習どころか、この地方に知れ渡るような大騒ぎを引き起こしてしまった……。
――遺跡の崩壊って大変なことなんだわ。なのに確たる実感もなくて、変な感じ。
けっきょく、何も見付けられなかった。
あの幻のお宝といわれる『ラディウス』を一度は手にしたのに。
迷図の崩壊にパニックを起こし、むざむざ手を離してしまった。
どうせ遺跡が跡形なく崩壊するなら、しっかり握って持ち出せば良かった。
ユニスは家に帰った。
遺跡の崩壊はしっかり村中にバレていた。
ユニスは予知よりも正確な予想通り、師母にガッツリ怒られたのであった。