000:緑の霧
ひと抱えはある透明な探査球。
中心に光が集まる。
歪んでいた色彩が形となり、映像を結ぶ。
緑の惑星だ。
その名は『ルーンゴースト』。
惑星表面積の1/5を占める大陸が拡大され、その1点に、ポツリ、点った光が輝き始める。
光は大陸を呑み込んで、ついには探査球いっぱいに膨れ上がった。
「羅針盤起動、現在地を確認。理律波動、安定していますが、過去のサンプルデータに一致するものはありません。遺跡の面積は、巨大。予測値も、不明……!?」
観測手の声は緊張で震えている。
眉間にしわを寄せた隊長の顔が、探査球の表面に映り込んだ。
「こいつは……神話クラスの迷宮かもしれんぞ。全員、レンズをおろせ」
20名の隊員がヘルメットからバイザーを引き下ろした。顔面が黒いレンズで隠される。黒い戦闘服と重装甲、左腕には肩部装甲盾。艶のない盾は肩から手首までを被う。
これほど重装備な先遣隊が出るのは稀だ。
ルーンゴースト大陸二大国家であるシャールーン帝国と東邦郡の合同チーム。
両国家の上層部は、この遺跡が極めて貴重なものと判断した。
この機会を逃すまじ――そして、第一級の緊急召集がかけられたのだ。
シャールーン帝国の軍はまだ到着していない。
いるのは東邦郡のメンバーだ。それも陸軍と民間会社に、フリーランスの集合隊。ともあれ全員、遺跡探索においては経験を積んだ強者ぞろいだ。
「出現から1時間経過、起点を現在地にマーク。ここです」
観測手が指先で光る球面の一点を示した。
人の想像を絶する『遺跡』は、太古から存在したという。
その正体は解明されていない。
この第七銀河の太陽系には、超古代文明の痕跡がある。
かつて銀河を席巻して滅び去ったという『地球』の伝説だ。
遺跡はその遺産とも、または異次元の遊泳物という説まであった。
怪しい噂は数知れず、真実は時間の彼方に眠っている。
調査済の遺跡は、ありふれた鉱物性岩石の塊でしかない。
だが、新しく出現する遺跡は、解析不可能な未知の物質だ。そのどこかには人間が出入りできる『門』があり、迷宮が隠されている。
迷宮とは、人知が及ばざる謎、果てしない異次元に続くとも囁かれる未知の空間なのだ。
「隊長、固定化するには出発時間の限界です。やはり本隊の到着を……」
「待てないな。俺達だけでいくしかない。よし、空間センサーの波形に注意しろ。先頭には俺が立つ。万が一の時は俺を見捨てて逃げろよ、怒らないからな!」
隊長のおどけた物言いに、軽い笑い声が上がる。
が、すぐに空気は張り詰めた。危険を知るからこその軽口だ。それは皆もわかっている。
その時、探査球が新たな計測を告げた。
「空間の歪曲周波数、安定しています。索敵機、三層目まで移動中。生体反応、無し!」
「よし、出発だ!」
隊長の号令一下、黒い装備の男達は一列になり、進行を開始した。
薄暗い通路は、壁も床も天井も、灰色がかった苔緑色だ。高い天井はアーチ形、通路の幅はおよそ三メートル。周り中が濡れたように光っている。
足音はほとんど聞こえない。継ぎ目の無い壁や床を構成する謎の素材が、あらゆる音を吸収するのだ。静かな通路に満ちるのは重苦しい空気だけ。
突然、前方の薄闇が密度を増した。
センサーに反応!
肉眼では視えない空間の歪み。レンズの視野の右側がスクリーンに切り替わる。捉えた対象の解析終了まで千分の一秒、3D展開図として表示された歪みの部分は、黄色く光る点線で囲まれていた。
次の瞬間、映像が真紅に変じた!
「逃げろ!」
隊長が叫び、全員が踵を返して走り出す。
薄闇のそこかしこから、発光する緑の霧が湧き出してくる。
探査球前にいた観測手が絶叫した。
「歪曲周波数、異常! 囲まれていますッ」
緑の霧が密度を増す。通路の先は澱んだ沼のようだ。チラつく粒子は動き出し、そこかしこで小さな渦巻きを生じさせた。
起点へ戻った一行は、探査球を囲み、狭い場所で折り重なった。
しんがりが起点へ辿り着いた時、緑の霧は追ってこなかった。
探査球には、周囲の空間を安定させる機能がある。個人装備の歪み避けが効かない空間異常でも、大型の探査球周辺ならまだ安全だ。
皆で通路を振り返った。
全員が、息を呑んだ。
緑の地獄さながらに渦巻いていた霧が、静止していた。
そうして見る間に、緑色が薄くなっていく。まるで漂白されるように、色を失っていく。
すっかり白くなった霧の粒子は落ち始めた。
サラサラ、サラサラ……音がする。それらは床へ着く前にすべて消えた。
通路が、晴れた。
「再走査だ!」
隊長が指示する。
他の隊員と一緒に霧の方をポカンと眺めていた観測手は、慌てて探査球を確認した。
「オールクリア。異常無し!」
あちこちで、ホウ、と安堵の息が吐かれた。
「よし、小休止だ。これでしばらく次は出ないだろう。5分経ったら出発だ」
隊長の指示に、隊員達がバイザーを額へ押し上げた。互いに顔を見合わせ、笑いあう。
「全員いるな」
「ほとんど進んでいないぜ」
「あれ? おい、シリウスはどこだ?」
まさか、あいつ、はぐれたのか?
おーい、どこだ!
シリウスはどこにいる?
「おい、俺はここにいるぞ」
初めは笑って応えていた。
ところが、すぐ側に立つ隊長の肩を掴もうとした手は隊長の体をすり抜けた。
探査球は全方位を走査した。
結果は、オールクリア。
緑の霧はとうに去った。
通路は安全。
いかなる異常も存在しない。
すべてが正常。
――俺だけ時空間の位相が違うのか!?
何故だ。
緑の霧には触れていない。
隊列では隊長のすぐ後ろにいた。
呆然としている間に、遺跡探索は遭難者の捜索に切り替えられた。
踏破は失敗だ。
シャールーン帝国からの本隊の到着は間に合わない。
ほどなく時間の限界がくる。
人間が遺跡に滞在できるタイムリミットが。
「ジャイロからの生体反応は無し。この遺跡には、もうシリウスは存在しません」
報告が隊長に届けられた。
そのすぐ横で、すでに存在しないとされた本人が聞いているとは知らず。
「遺跡に喰われたか」
隊長の声は苦渋に満ちていた。
そして、最後の決断が下された。
「捜索はこれまでだ。撤収する」
目の前で隊長が宣言するのを聞いた。
仲間が門から出て行くのを見た。
同じように、何度も門から出ようとした。
その度に空間はループして、門の内側の通路に戻り――そして……。
独りになった。
人為的に固定されなかった遺跡は、時間の限界がくれば異次元へ帰還する。
それでも、一縷の望みはある。
歴史上の記録では、人間が目印を付けている最中に異次元へ消えた遺跡が、再び遺跡地帯の違う場所へ出現したこともあったという。
ただし、それが何時になるのか……明日なのか一瞬後か、数ヵ月先か。
あるいは何年も後かは、誰にも予測できない。
見つけてもらえない可能性の方が高いのだ。
もしかしたら……永遠に。
ルーンゴースト大陸共通暦3323年。
シャールーン帝国暦:月の世紀12023年。
シャールーン帝国・東邦郡合同調査隊報告書:行方不明者一名:護衛戦闘士シリウス(本名:晶斗・へルクレスト)。25歳。遺跡内で『霧の洞窟』に遭遇後、行方不明。
救助隊追記:帰還は絶望と思われる。