終
いつものようにマサトのお墓を訪れると、先客がいた。
ちょうど帰るところだったらしく、立ち上がる。
長身で細身なそのシルエットを見て一瞬マサトかと思ったけれど、よくよく見ればそんなわけはなくて、そこにいたのは、中一の時のわたしのクラスメイトで、中学ではマサトと同じバスケ部だった森田タクヤくんだった。
こちらを見た森田くんが、目を丸くする。
転校してからも、わたしはバスケ部の試合の応援に行ったりしていたから、たぶんわたしのことを覚えてくれているんだろうと思う。
わたしが転校するまでは同じマンションに住んでいて、小学校の頃は朝登校する時の班が一緒だったりもしたし。
「よ」
少しの間を置いてから、森田くんが片手を上げた。
「あ。う、うん。久しぶり」
わたしはつられるように、中途半端に胸の前あたりまで手を上げたものの、結局その手を持て余してしまって、すぐに下ろした。
「早いよな。あれからもう三年だなんてさ」
あれ――マサトが、亡くなってから。
でも、三年も、経ったっけ……?
わたしは森田くんから視線をはずして、マサトのお墓へ目を向けた。
墓石からは、三年という時間は少しも感じられないけれど。
確かに、わたしはついこのあいだ、流されるまま入学した高校を流されるように卒業した。
とりあえず、卒業できる程度の成績と出席日数だけをなんとか取って。
それはつまり、中学校を卒業してから三年が経ったってことで、マサトがいなくなってからも、ほぼ同じだけの年月が経ったってことか。
わたしは、こくりと頷くことで、森田くんへ返事をする。
「俺、大学でもバスケ続けるんだ」
「え?」
思わず森田くんへ目を戻すと、目が合った。
森田くんがにやりと笑う。
「バスケだよ。市田は俺のことなんか興味ないだろうけど、うちのチーム、一応全国大会でベスト8だったんだぜ」
バスケ、の言葉に、大会の時のマサトの姿が甦る。
森田くんからのパスを、ちらりとも見ないままキャッチしたマサトが、逆転のシュートを決める。
直後の、試合終了のブザー。
マサトの喜ぶ顔。
ハイタッチ。
その相手に、森田くんもいた。
「お、おめでとう」
言いながら、思わず、ずるいという気持ちが湧き上がる。
マサトはバスケができないのに。森田くんだけ、ずるい。
マサトは、高校でもバスケを続けるつもりだって、そう言っていたのに。
感情のこもっていないお祝いの言葉に、森田くんは苦笑して肩をすくめた。
「市田の考えてること、なんとなくわかるよ。俺は勉強がからっきしだったから、マサトと同じところ受験するの諦めて、部活動推薦で高校決めたけどさ。県代表を決める試合、決勝の相手は市田の高校だったぜ」
マサトがいないバスケ部にはなんの興味もないから、そんなこと全く知らなかった。
でも、マサトが通うはずだったうちの学校は、バスケットの強豪として有名だった。
だからこそ、マサトはうちの高校を選んだんだから。
マサトが入学していたら、決勝で森田くんと試合をしたのはマサトだったかもしれない。
そして、わたしはそんなふたりの試合を、きっと見に行った。
応援するのは、もちろんマサトだけだけど。
「マサトがいれば……」
「決勝で戦えたら最高だったけどな。でも、マサトがいないからって、俺は立ち止まらない。行けるところまで、行ってみるよ。じゃあな、市田」
笑顔でそう言い残して、森田くんはわたしの横をさあっと通り過ぎた。
風が、わたしの髪を微かに揺らす。
森田くんは、歩いてゆくんだろう。
どんどん、どんどん。
こうして、わたしたちから、遠ざかってゆくんだろう。
でも、ずるい、なんて思う資格、わたしにはない。
マサトだって、きっとそんなこと思うわけない。
歩き出す直前、ちらりとマサトのお墓へ向けられた森田くんの瞳には、懐かしさや寂しさというものが、確かに浮かんでいた。
それでも、こちらを向いた時の森田くんの瞳はまっすぐ未来を見据えていた。
マサトが亡くなって三年が経つ今でも、森田くんがここに来ていたということ。
マサトと一緒にやっていたバスケを、今でも続けているということ。
森田くんはマサトのことを忘れたわけじゃない。
マサトのいた過去を抱いたまま、進むことを決めただけなんだ。
マサトと仲の良かった森田くんだからこそ。
それは、とてもわたしにはできないことだけれど……。
わたしは、森田くんがいなくなったあとの、お墓の前に立った。
そっと、墓石に触れる。
指先から伝わる、冷たい感触。
ここはいつまでも変わらない。
そしてわたしも。
ふいに、「なあ、市田」と声をかけられた。
振り向くと、森田くんが立ち止まってこちらを見ていた。
なに? と訊き返そうと口を開いたけれど、森田くんが続けるのが先だった。
「マサトはきっと幸せだったよ」
森田くんの言葉に、息を呑む。
ついさっきまで穏やかだったのに、突然、強い風がざああっと吹き抜けた。
わたしは思わず髪を押さえる。
「マサトは市田が笑っていてくれたら、それだけで幸せだっていつも言ってた。だから市田、ここに来る時は笑っていてやれよ。市田がそんなに哀しそうな顔をしてたら、マサトはきっと哀しむぜ」
風に負けないように、声量を上げた森田くんの言葉が胸に響いて、はっとする。
マサトがいなくなってしまったんだもの。
笑えないのなんて当たり前。
哀しんでいるんだから、哀しそうな顔になってしまうのだって当然だ。
でも――。
確かに、マサトはいつも言ってた。
わたしの笑顔が好きだって。
そう言ってくれていた。
わたしはマサトの笑った顔が好きだった。嬉しそうな顔が大好きだった。
それと同じように、マサトも。
『ゆかにはいつも笑っていてほしいんだ』
吹きすさぶ風の中なのに、マサトの声が、すぐ傍できこえたような気がした。
マサト――。
視界がぼやける。
こらえきれず、あふれ出した涙が足下に落ちる。
でも。
「そうだね。そう、森田くんの言う通りだね。わたし、笑ってないと」
わたしはがんばって笑顔を作った。
ちょっとぎこちなかったかもしれないけれど、精一杯、笑ってみた。
涙は止まらないけれど、それでも。
「ああ。市田が笑ってれば、マサトだってきっと笑ってるさ」
森田くんが、力強く頷く。
思い出した。わたしが笑っている時、いつだってマサトも笑っていたことを。
「……森田くん、ありがとう」
いつしか、風はやんでいた。
「マサトと親友の俺が、いつまでもマサトを哀しませっぱなしにしとくわけにはいかないからな」
じゃ、と手を上げて、森田くんが踵を返す。
森田くんはもう振り返らず、今度こそ本当に立ち去ってしまった。
その背中を見送ってから、わたしはお墓へと向き直った。
まだ、心から笑うなんてできない。マサトのことを吹っ切るなんてできない。
それでも――。
わたしはぐっと掌で涙をこすった。
今度ここに来る時には、笑顔で来よう。
その次ここに来る時も、その次も。
それでいいんだよね? マサト。
『そうだよ。だから笑って、ゆか』
マサトの声に導かれるように、わたしはお墓に向かって笑いかけた。
さっきより、ちょっとはましな笑顔になったかもしれない。
「ありがとう、マサト」
わたしの声に優しく応えるように、そよりと吹いた風を追って空を仰ぐと、そこには雲ひとつない澄んだ青空が、どこまでも広がっていた。
了