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勇者の魔法使い ─自力で行う異世界転移─  作者: 篳篥
第1章 懐かしき『コーラル』
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第9話 トーマス教


 登録を済ませてしまうと言うアランとレベッカとはその場で別れ、俺は上機嫌で階下に降りた。そのまま1階の食堂で昼食を済ませることにする。


 少し遅めとはいえまだまだ昼食時は過ぎていないようで、食堂は人でごった返していた。空いている席を適当に選び、忙しなく働いているウェイターに声を掛ける。


「お兄さん、ここのお勧めって何?」


「お前さん、初めてか? この時間なら日替わりランチが安いぞ。今日のメインは鳥ムネ肉のソテーだな」


「じゃあ、それで。お願い」


「あいよ。日替わりランチ一丁!」


 厨房に向けて声を張り上げながら去って行くウェイターはすぐに視界から外れた……と思ったら、すぐに戻って来て俺の着いたテーブルに料理一式を運んできた。早っ!


「へい、日替わりランチ一丁お待ち!」


「いや、お待ちって……殆ど待ってないんだけど?」


「ウチのモットーは、早い・安いだからな!」


 ウェイターは笑って伝票を置いてから次の仕事に向かったけど、早い・安いまで言ったんなら美味いも付けようよ。

 そして置いて行かれた伝票を見ると、この日替わりランチのお値段は鋼貨5枚らしい。なるほど、確かに安いんだろう。

 ランチのメニューはパンとスープ、サラダ、メイン、そしてフルーツという極めてオーソドックスなものだった。ちなみにスープはコンソメ、フルーツはリンゴ2切れらしい。いただきます、と心の中で唱えてから手を付ける。


「ふむ……普通に美味い。というか、平凡に美味い」


 日替わりランチは美味かった。でもそれはどこか平凡というか、決して不味くは無いしむしろ美味いんだけど、飛び抜けて美味いというわけでもなくて……そうだ、学校の給食に近い感じだ。これならウェイターが早い・安いは自信を持って断言したのに美味いとは言わなかったのも納得できる。いや、決して不味いわけじゃないんだけど。

 食事を安く早く済ませたいなら丁度良いし、毎日食べても苦痛になるほどじゃないけど、懐に余裕があるなら別の店に行きたくなるような、まさしくそんな感じだ。


「ごちそうさま」


 何度も言うようだが、決して不味い料理というわけでは無い。それに今の俺は腹も減っている。なのでちゃっちゃと手早く食べて次の行動に移す。


 伝票を持って支払カウンターまで行くと、ギルドカードを提示すれば1割引きになると教えられた。流石はギルド運営の食堂。太っ腹である。

 そして鋼貨5枚を支払うと、銅貨5枚が釣りとして返ってきた。日替わりランチの値段が鋼貨5枚で、そこから1割引きをして銅貨5枚が返ってきたとなると……銅貨10枚で鋼貨1枚と考えて良さそうだな。

 というか、銅貨もちゃんと流通してるようでそこは安心した。その貨幣価値はだいぶ落ちてるようだけど。


「おや坊ちゃん、登録は終わったのかい?」


 ギルドを出ようと言う所で、相変わらず出入り口横にいるサマンサに声を掛けられた。


「うん、終わったよ。あ、そうだ。ねぇサマンサ、聞いてもいいかな?」


「勿論。私は案内人だって言っただろう?」


「あ、でもギルドに関することじゃないんだ。この辺でお勧めの宿屋ってどこ? それと服屋と、装備品の店も」


 俺の質問に、サマンサはどこからともなく地図を取り出した……いや、本当にどこから出したんだ、それ?


「よくある質問だねぇ。えぇと、宿屋はこっち、東大通りを進んだ先に立ち並んでいるよ。坊やのような新人なら、『猫の目亭』がお勧めだよ。それか『羽やすめ宿』か。『羽やすめ宿』は素泊まりのみだけど、『猫の目亭』は食堂も併設されてる。どちらも価格は良心的で、設備も良い」


 ふむふむ。


「装備品というと、武器や防具、装身具かい? それならここら辺だ」


 サマンサは広げた地図の一角を指差した。現地点からは少し離れていて、ここから見て南の方角だ。


「装備品の店はこの辺りに密集しているよ。職人の工房も多い。まぁ、行けば解るさね……けど、今は丁度解放祭に向けて露店が多く出てる。中には武器や防具、魔法効果が付与された装身具なんかを売っている所もあるから、そういうのを見て回るのも良いかもしれないよ」


「あ、さっきここに来るまでにも見かけたよ。アクセサリー売ってた露店。確かに、付与エンチャントされた品もいくつかあったっけ」


「おや、そうかい。それと最後、服屋か。これは街中の至る所にあるからこことは断言できないけど、このギルドから1番近いのは、すぐそこの広場から南の通りに入ってすぐの所にある店だね。私個人のお勧めは、その更に先にある店なんだが……若い子向けじゃないから、坊やの趣味には合わないだろうしねぇ」


 ……すみません、むしろ俺から見たサマンサの方がずっと若いです。実年齢的には。

 けど俺だって、好きでこんなに生きたわけでも、詐欺としか言えないような見た目なわけでも無いんだ。許してくれ。

 そんな言ってもどうにもならない内心は綺麗に覆い隠すことにした。


「そっか、ありがとう。色々と回ってみるよ」


「えぇ。それじゃあ、またね」


 ヒラヒラと手を振って挨拶を交わし、俺はギルドを後にした。


 それにしてもこの冒険者ギルド・ウサ支部の職員はプロの仕事人が多いかった。営業スマイルを絶やさない受付嬢ソフィ、素早く正確な鑑定を行う買い取りカウンターのおっちゃん、安く早くそこそこ美味い料理を出す食堂、そして質問に淀みなく答える案内人サマンサ。レベル高い。


 外に出ると、まずはサマンサに教えられた1番近い服屋に行ってみる。可もなく不可も無くといった印象の店だったので、服はそこで購入することに決めた。

 高すぎず、しかしそれなりに丈夫な服を店員に見繕ってもらって上下、下着・靴下などを3着ずつ買った。全部で金貨1枚ほどだった。

 早速その内の1着に試着室で着替え、他の2着とさっきまで来ていた学ランは【収納】しておく。【収納】便利。


 次に南の職人街に向かう。その道中、露店も覗き見て行くのを忘れない。

 露店はその殆どが串焼き肉だとか菓子だとかといった食品やダーツや輪投げといったミニゲームのもので、洋風な縁日の雰囲気だった。

 しかし目当ての武器類や防具類を売っているものは見付からなかった。簡単なアクセサリーを売ってる店は見付けたし、その中には付与エンチャントが施されたものも少しだけ有ったけど、それらは精々がお守り程度の効果しか持たないもので現代の装備品の品質の見極めには役に立たなかった。

 おそらくだけど、そういったのの店はどこかに纏まって出されてるんだろう。蚤の市みたいな感じで。


 宿屋でいくら使うか解らないこともあり、折角の露店だけれど何かを買ったり遊んだりすることはせず、賑やかな通りをただ素通りする。


 しかしそこでトンでもないモノを見てしまう事を、冷やかし同然で祭りを眺めていたこの時の俺は知らなかった。


 気付いたのは、教えられた職人街の区画に入る直前である。

 他よりも少し大きな建物の近くを通ろうとしたのだが、そこは賑やかなウサの街の中でもとりわけ人込みで溢れかえっていたのだ。老若男女の人、人、人。流石に気になって、その人込みの後ろの方にいた人に声を掛けてみた。


「こんにちわ。あの、この人込みって何なんですか?」


 相手は20代ぐらいの若い男だった。がっしりとした体の背中に翼を持つ獣人で、鋭い目つきをしている。


「ん? お前、この街の奴じゃないのか?」


「はい。今日この街に来て、冒険者ギルドに登録してきた所です」


「そうか、ならお前も今後の無事を祈って行くといい」


 無事を祈る……って。


「ここ、教会なんですか?」


 人込みのせいで建物の全貌は見えないけれど、そこにあるのは俺が知っている教会とはまるで違う気がする。

 『コーラル』で教会と言えば、聖神教の教会だ。他にもぽつぽつと小さな宗教もあるにはあるけど、一般的では無い。ましてや、こんな大きな街にこんな大きな教会を構え、そしてこれほどの人が訪れる宗教となると、それはもう聖神教しか思い当たらなかった。

 しかし聖神教のシンボルは、その昔神が混沌とした世界を平定するために授けたとされる聖剣である――勿論、この話は神話と言われている――のに、目の前の建物が掲げている大きな旗に描かれているのは1本の杖だった。


 困惑する俺に、男はあぁと頷いた。


「もしかして、お前さんの地元には無かったのか? トーマス教の教会は?」


 あぁそう、やっぱり聖神教の教会じゃ無かったんだ。そっかー、トーマス教ね、トーマ……ス……。


「とおますきょお?」


 思わず言葉が片言になってしまった。いや、だって、えええぇぇぇぇぇぇぇぇ…………。

 い、いや! 落ち着け俺! トーマスなんて珍しい名前じゃないし、トーマス教のトーマスが大賢者の事だとは限らないじゃないか!


「そうだ。主神はかつて世界を救った英雄、大賢者トーマス様さ!」


 大賢者のことでした。俺氏、知らない内に神になっていた。


「ほら、明後日には解放祭があるだろ? だから俺らも、トーマス様に感謝と祈りを捧げようと思ってな。それでこの人込みだ」


「……えっと、あの、そもそも何で大賢者が信仰の対象に? 俺、ド田舎から出て来たばっかなもんで、初めて知ったんだけど」


 俺の顔は、盛大に引き攣っていると思う。何所の誰が、自分を主神に据えた宗教が知らない内に発足していたと知って平静を保てる。


 大賢者がかつて世界を2度救ったのは事実である。しかもその内の1回は魔王とのタイマンだった。だからこそ大賢者は勇者一行の面子の中でも勇者と並んで最も英雄視されていたし、感謝されてきた。

 それ故に昔から、色々と英雄譚が盛られたり、過剰に崇められたり、熱狂的なファンが出たりもした。そしてそれは時代が変わっても衰えることなく、むしろ時の流れと共に伝説が伝説を呼び、加速して行っていた。

 そのため、ギルドでSSSトリプルエスとかいう名誉称号が贈られていたと知った時も、多少驚きはしたがすぐに納得した。

 教会にしても、だ。祀られるというのは十分に有り得る話だし、それだけならここまで動揺しない。菅原道真とか安部清明とかと似たようなもんだろ?

 けどな、こんな一大宗教化してるのは流石に予想外過ぎるっての!!

 

 詳細なんて知りたくない、聞きたくない。でもきっと聞かなきゃいけないんだろう、特に俺は。


 男は熱心なトーマス教教徒なのか――言ってて眩暈がしてきた――俺の質問に胸を張って答えてくれた。


「あぁ、教えてやるぜ……あ、俺はイストルだ、よろしくな!」


 カラッと爽やかに笑う彼、イストルは好青年なんだろう。トーマス教――もう名前が出るだけで眩暈がしそうだ――の信者でさえなければ。


「よろしく、イストル。それで?」


「ド田舎から出て来たって言うが、お前も大賢者様……というか、勇者様御一行の伝説ぐらいは知ってるだろ?」


「えぇ、そりゃあもう。多分、この世界の誰よりも」


 本人ですから。

 まぁ、現代に伝わっている伝説がどれだけ盛られたものかは解らないけど。


「世界一とは大きく出たな! まぁ、そんな中でも2度に渡って魔王と戦って世界を救ったのは大賢者様だけだったから、後世では他の方々よりも尊崇を集めた」


 実際の所は、少し違う。確かに『厄災』と俺はタイマンのガチンコ勝負を繰り広げたけど、その時他の仲間たちが何もしていなかったわけでは無い。勝負そのものに手を出さなかっただけで、協力はしてくれていたのだから。


「しかし肝心の大賢者様は、『厄災』の魔王と相討って亡くなってしまわれた……と、思われていた」


 うん?


「けれど400年程前に神託が降りたのだ。大賢者様は死んではいない、と」


「え…………?」


 俺は呆然と目を見開いた。

 確かに、大賢者は死んでいない。今ここにこうして生きている。元々、『厄災』と相討ちになったと見せかけただけだ。


 だって、あの時代に俺が生きていることは決してプラスにならない。


 『厄災』の魔王は世界を破壊しようとし、実際にその直前にまで行った。当時の国は殆どが滅び、生き残った人は泥を啜って何とか生き延びているというそんな状況だった。

 あの当時、魔王に見付かることは死を意味した。老若男女も種族も一切関係無く、魔王はただただ破壊と死を振り撒いた。故に魔王は『厄災』の二つ名を付けられたのだ。人々にとって、魔王は正しく『厄災』でしかなかった。


 俺は、そんな『厄災』の魔王が討たれれば人々は歓喜するだろうと思った。そしてそれを行った者は英雄と呼ばれ、感謝されるだろうと。事実その通りになった。

 

 しかし問題は、その感謝がどこまで続くのかということだ。


 たった1人で世界を滅ぼす寸前まで暴れ回った『厄災』の魔王。その彼を同じくたった1人で討ち取った大賢者もまた、即ち1人で世界を滅ぼせるだけの力を持った存在だと人々は見る。

 そして大賢者が元々は異世界から召喚された人間であり、本来『コーラル』とは何の縁も所縁も無い……悪く言えば異物だということは広く知れ渡っていた。元の世界に戻る方法を探している、つまり『コーラル』に骨を埋めるつもりは無いということも。

 加えてもっと悪いことに、当時の俺はある呪いを受けてかなり特殊な体質になってしまっていた。それが知られれば、気味悪がられるか狙われるかのどちらかだったろう。


 つまり俺は、ほんのちょっとのきっかけで英雄から一転、超危険人物と見做されてしまう微妙な立ち位置にいたのである。


 英雄と呼ばれて持て囃され、崇め奉られたかったわけじゃない。

 ただそれ以上に、危険人物として警戒されたくも狙われたくも無かった。


 だから俺は『厄災』の魔王を討ち取った後、相討ちになったということにして己の死を装い、表舞台から姿を消した。真実を知っていたのは当時の仲間内だけである。彼らにも口裏を合わせてもらった。

 俺の死体は熾烈な戦いの結果消し飛んだために見付からなかった、ということになったらしい。実際に俺と『厄災』のガチバトルは舞台となった黒大陸は大部分が人の踏み込めない環境に陥らせた――結果、黒大陸は別名・死の大陸と呼ばれるようになった。色々あったんだよ、本当――ということもあり、疑われなかったようだ。


 結果、俺の死を疑う者はほぼおらず、大賢者は命を賭けて世界を救った英雄として謳われるようになった……とんだ茶番だった。しかし、当時はそれが最善だったのだ。


 なのに今になって、それが覆されるかもしれなくなっている。いや、正確には今になってではなく、400年ほど前かららしいが。


「どういうことなの?」


「神託はこう告げた。大賢者様は1372年前に『厄災』の魔王と相討ちになったのではなく、封印されてしまったのだと」


 はい?


「封印?」


 目を丸くした俺にイストルは大仰に頷く。


「『厄災』の魔王の力は強大で、その死の寸前に大賢者様に封印術を仕掛けてしまった。その封印を解くことは当時は誰も出来ず、生き残ったお仲間たちは嘆き、いつかその封印が解かれることを願ってその身をある場所に隠したのだ、と」


「ある場所?」


「青大陸のカルハル大迷宮、その地中深くらしい」


 な!?


「カルハル大迷宮だって!?」


「知ってるだろ? 白大陸のテンザン大迷宮と並んで双璧と言われる、世界最大の大迷宮だ。カルハル大迷宮にしろテンザン大迷宮にしろ、長い歴史の中でも踏破したのはかつての勇者様一行だけだしな、隠し場所としては持って来いだったんだろう」


 あぁ……そうだよ、持って来いだよ。


「これは400年ほど前、『厄災』の魔王との戦いからおよそ1000年の時を経て封印に緩みが出たという大賢者様が地下深くから発信されたSOSらしくてな。それを今では神託と呼んでいるのだ」


 いえ、そんなSOS出してません。


「そして大賢者様へのかつての恩に報いるためにもお助けせねばならない、として発足したのがトーマス協会。現在のトーマス教の前身なんだが……当初、その活動は非常に細々としたものだった。というのも400年前の当時、エルフ族の長を務めていた大魔導リリアナ様がこの話を完全否定していたからだ」


「リリアナ……様が」


 まぁ、そりゃそうだろう。だって彼女は知ってるんだから。


「そうだ。勇者様御一行について詳しいなら、当然リリアナ様のことも知ってるだろ? 彼女は大賢者様の唯一の直弟子だった方だ。そのリリアナ様が否定するなら、そちらの方が真実なのではないか……当時はそういう見方の方が圧倒的に強かったらしい」


「もしも本当に大賢者が封印状態にあるのなら、一行の中で大賢者に次いで魔法に長けていたリリアナ……様こそが最もその封印を解こうと奮闘したはずだ。なのにそれをせずに完全否定したんだから、当時の見方通り知られている歴史が本当なんじゃないのか?」


「まぁ、普通ならそう考えるんだろうけどな。初めの神託からしばらく経って、リリアナ様がお亡くなりになった。長命なエルフ族とはいえ1000年以上を生きておられたのだから、大往生と言えるだろう」


 そうか、リリアナ……お前も逝ったのか。そうじゃないかとは思ってたけど……寿命なら仕方ないしなぁ。


「そしてその後に整理されたリリアナ様の遺品にあった手記の中に、大賢者様の生存を窺わせる文面がいくつか残されていたのだ」


 って、おぉい!? ちょっとしんみりしてたら何をやらかしてんだあの子は!?

 そうだよ……思えば結構ドジっ子が入ってたよ、あの子……。


「とはいえそれもあくまでも窺わせる程度のもので、明記されていたわけでは無かったらしいがな。それ以来、トーマス協会は勢いを取り戻した。そしてその流れの中でいつしか大賢者様をお救いするための協会は、それと同時に大賢者様への感謝と祈りを捧げるための宗教の側面を持つようになった……と、そういうことだ」


「そーですか……」


 そうとしか言えなかった。


「イストルは……その神託を正しいと思ってる?」


 宗教の名目は解ったけど実際の所、信徒はどういった認識なのだろう。それにイストルは、少し考え込むそぶりを見せてから口を開いた。


「勿論、大賢者様に感謝はしているぞ。あの方がいなければ世界は滅びていたかもしれない。そうすれば今の我々も存在し得なかった。神託が正しくて大賢者様が苦しめられているのならばその苦しみが取り除かれて欲しいし、そして……直接感謝の言葉を捧げたい。そうだな、俺は神託が正しいと思っているというよりも、神託が真実であってほしいんだろう」


「そっか」


 恐らく、トーマス教とやらの信者は大半がイストルと同程度の信仰だろう。そして信者でない人も、今のように解放祭が近いと教会に大賢者への感謝を捧げに来る。

 思う所はもの凄くあるけど、それはそれで構わない。自分で言うのもなんだけど、実際に俺はそれだけの事を成したのだ。彼らの考えを否定する気は無い……実物の俺を知られたら、彼らの方が幻滅するかもしれないけど。


 けど問題は、その神託を始めに言い出した奴だ。或いは神託を俺のものだとか言って伝えた奴。

 リリアナのポカが無ければその神託はここまで世界中に広まりはしなかったかもしれないけど、何を考えてそんなことを言い出したのか。


 どうにも、誇大妄想から来る戯言と断じる気にはなれなかった。何故ならその神託によれば、封印された俺はカルハル大迷宮にいることになっている。そしてこれは、全くあり得ない話では無かった。

 今朝、俺の家はテンザン大迷宮の辺りにあるとアランに告げた。これは嘘では無く、実際に俺の家はそこにある。もっと言うと、テンザン大迷宮の最奥に我が家へと続く扉を作ったのだ。だってあそこなら人は滅多に来ないから、隠れ家にはピッタリだと思って。

 しかしその家は、最初からテンザン大迷宮にあったわけじゃない。『厄災』の魔王が現れた後に引っ越して来たのだ。そしてそれ以前の家は、まさに神託にあったカルハル大迷宮にあった。


 つまり俺はもしも引っ越しをしていなかったら、カルハル大迷宮の地下深くに住み着いていたということになる。

 それにもし神託の通りに『厄災』に封印でもされていたとしたら、仲間たちは俺の体を俺ん家に安置したはずだ。テンザン大迷宮の地下深くに……しかしそれも、引っ越ししていなければカルハル大迷宮の地下深くになっていたはず。


 これは偶然の一致なのか? それとも、俺の家の事を知ってた誰かが神託を偽造したのか? もしそうだとしたら、その誰かは俺の家のことは知ってても俺が引っ越しをしたことは知らなかった奴ということになるが……。


 解らない。情報が少なすぎる。ただ、俺の勘が告げている。


 この神託に何か裏があるとしたら、それはきっと再び使われた【異世界召喚】と無関係では無い。


 根拠も確証も無い。ただの勘だ。けれど確かにそう感じた。


「坊主? おい、どうした? 大丈夫か?」


 思考の海に浸っていたせいか、イストルの呼び掛けに中々気付かずにいた。


「あぁ、うん。大丈夫……色々話してくれてありがとう。でも今は人が多いから、感謝と祈りを捧げるのはまた今度にするよ」


 と言いつつ、多分この先もやらない。

 だってトーマス教にどんな思惑があるのかは知らないけど、表面上は世界を救った大賢者トーマスを神格化して感謝と祈りを捧げる宗教だろ? 大賢者って俺じゃん。俺が俺を神として崇めるってどうよ? 他の誰が知らなくても俺自身がその事実を把握している以上、そんな精神面へのダメージがキツすぎることはとてもじゃないけど出来ない。


「そうか? そういえばえっと、お前は……」


「あ、俺はトーマ。トーマ・スズシロだよ。よろしく。所でイストル、この先は職人街なんだろ? お勧めの武器や防具の店とか工房とかってある?」


「ああ、そういえば新米冒険者なんだったな。それなら今度、俺が案内してやってもいいぞ? こう見えても、俺も鍛冶師でな。まぁ、まだまだ見習いなんだが。けど師匠は腕がいいぞ」


 あ、鍛冶師なんだ。通りで体格が良いというか、腕が太いと思った。そっか、この教会は職人街に近いから休憩時間とかを利用して顔を出しに来れるのか。よく見れば、教会前の人込みの中にはイストルの他にも職人と思しき風体の人がチラホラといる。

 そしてイストルの申し出は、非常にありがたいものだった。本当なら早いとこ色々と見るべきなんだろうけど、トーマス教だのなんだのって話を聞いて色々と疲れてしまってた。後日また改めて見に来よう。


「本当? じゃあお願いするよ。いつなら大丈夫? 俺は明日は初心者講習を受けなきゃいけないからダメだけど、それ以外ならいつでも大丈夫なんだけど」


 何しろ、他の予定は入ってないから。


「そうだな……流石に明後日は祭り当日だからダメだ。その次の日も何かと忙しい。よし、4日後の朝8時頃にここに来い。俺の務める工房に案内してやる」


「解った、4日後の朝8時だね。それじゃあよろしくお願いします」


 互いに手を振って、俺とイストルはその場は別れた。


「ついでに、教会も案内してやるからな! 今度は一緒に感謝を捧げようぜ!」


 背後から聞こえてくる男の声は、聞こえなかったことにした。

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