表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

崖(25枚 現代)

作者: 黒田なぎさ

 先刻、ぼくは自分で自分の命を絶った。入水だった――

 大学生活の苦に、生死の断崖で揺れる「ぼく」の追想と、自殺の果て。

 先刻、僕は自分で自分の命を絶った。方法は入水で、海中で自分の意識がなくなってしまうのをじっと待った。生涯は24年と少し。振り返ってみると、短かったのか長かったのかわからない人生だった。

 死後の世界のことについては、僕も何度か考えた。僕のイメージは、死んだ瞬間に意識と感覚が途切れてしまい、視界がブラックアウトする。自分、いま、この手、という意識すらもなくなってしまい、その先のことはわからない。天国に行くか地獄に行くか、生まれ変わるか、それは死んだ人間に聞いてみないとわからない。

 どうして僕が自殺するに至ったかについては、どこから説明すればいいのか、こうすれば良かったなんて考え始めたらきりがない。いつから僕の意識と、周りの環境がずれ始めたのか。たぶん、何の考えもなしに大学進学を決めた時から、ちょっとずつずれていたような気がする。

 


 もったいぶっても仕方がないので白状すると、自殺の理由は、大学の研究室が大変だったからだ。べつに恋人に死に別れたわけでもないし、ものすごい借金をしたわけでもない。自殺の理由なんてこんなものだろうか。人がそのできごとをどの程度つらく感じるかは、人それぞれだから、理由の深刻さは単純に比較できない。なんて、ごめん。

 僕は高校を卒業した後、あまり深く考えもせずに大学に進学した。進学の理由は色々あるけれど、集約すれば「就職への不安」だと思う。ここで「バカだなぁこいつ」と思った人は、きっと正しい。だけどそのときの僕は、逆立ちしても社会人になった自分を想像できなかった。実は、それから6年後の今でも僕は想像できていない。皆こんな不安を抱えながら社会へ飛び込んでいるのか、それとも僕だけが異常なのか。重要なのは、僕は子どものころから、ずっとこんな未来への不安を抱えていた。未来には真っ暗なもやがかかっていて、自分は30代ぐらいで死ぬだろうとずっと思っていた。最期はおそらく、未来への不安に耐えかねての自殺。それが僕の、子どものころからの予想だった。

 話を大学の生活に戻すと、3年生までは、僕もそれなりに幸せな生活を送っていた。友達はあまり作らず、どこか物足りなさはあったけど、少なくとも好きなことは十分にできた。資格をとったり、ボランティア活動をしたりと、それなりに充実していた。転機は四年生の研究室配属のときだ。大学の研究室にも色々なカラーがある。教授が学生の面倒をさっぱり見ないタイプ、若い准教授が学生と仲良くやるタイプ、夏休みがたっぷりあるところ、ないところ。僕の入った研究室はガッツリ研究タイプで、指導教員は厳しいことで有名な教授だった。僕は何を思ったかそこを第一希望にしてしまったのだ。僕はわりとマジメな性格だったし、単調な大学生活に何か刺激がほしかったのかもしれない。

 最初に少しおかしいと思ったのは、研究室に入って3ヵ月ほど経ったころだった。教授はバリバリの昭和の人間で、どやしたり叱ったりすることでしか学生を動かせない人間だった。褒めるなんていう行為は知らないらしく、学生の研究意欲を削ぎまくることに定評があった。そのくせ研究のノルマは厳しく、僕は怒られたくなかったのでものすごく頑張った。もともと努力家の面もあったから、僕は時間を惜しまずに研究に取り組んだ。ノルマはクリアして、いざ進捗ミーティングのとき、やっぱり教授からは小言をくらった。効率が悪い、だの、研究内容がずれている、だの。おそらく僕はそのとき初めて、正解のない問いにぶち当たってしまったんだと思う。ミーティングは戦いだ。足りない成果を補おうと、僕はとにかく頑張った。そのうち徹夜や休日登校が当たり前になった。こんなサイクルをずっとやっていたらそのうち無理が来る、とわかっていても辞められなかった。怒鳴られるより、体を壊してしまう方がマシだと思ったのだ。最初は興味を持っていた研究テーマも、ただ言われたとおりに仕事をこなす内に、苦痛でしかなくなった。研究に全くやりがいがなかった。予想通り、僕の体と心は徐々に壊れていった。


 精神的ストレスで体形が変わるなんて、それまでの僕は考えもしなかった。体重はドカンと減った。進捗ミーティングの1週間前から緊張し、3日前から不眠になり、前日から体が震えた。研究室のパソコンの前に座って、指が一本も動かせなかったときもある。体が仕事を拒否していたんだ。やめておけばいいのに、僕はなんとかノルマを達成しようと、好きなことや趣味をやめてしまった。その分の時間が空けば、仕事がこなせると思ったのだ。いま考えると自殺行為だ。ストレス解消の手段を手放すと、休日でさえ研究のことを考えてしまう。努力して時間をかければ仕事が終わると思っていた。恐ろしい落とし穴だ。

 ごまかしながら、何回も地獄を見ながら、僕はなんとか大学院までこぎつけた。修士1年の後半から就職活動が始まったけど、もちろん僕にそんなことをやってる余裕はなかった。いまだに就職のイメージもできなかったし、未来のことを考えることもできなかった。その日その日を生きるのに精一杯だった。このときの僕の状態を一言で言うと、『停滞』だと思う。環境を改善する気も起こらず、かと言って退学する気力もできない。ただ目の前の仕事をこなすだけの、奴隷のようになっていた。

 自殺を思い立ったのは、大学院2年の11月。進捗ミーティングで、次の研究ノルマをこなさければ卒業は危うい、と教授に言われたときだった。そんなのはウソに決まっている。僕より半分程度しか研究していないのに、卒業論文を提出しようとしている学生はゴロゴロいる。僕はあいつらより何倍も働いてるのに、どうして報われないんだろう。あいつらの方がたくさん就職活動をして、よほど良い企業の内定をもらっている。対して僕は、雑な活動しかしていないだけに、書類選考すら通らない。電話で親に相談すると、何とも芳しくない反応が返ってくる。僕は疲れていた。未来も見えず、現状維持も難しくなっていた。

 ミーティングのときの緊張を保ったまま、僕は海岸に行くことにした。



 自宅からタクシーと徒歩で2時間ほどのところに海岸はあった。夜の砂浜は恐ろしく寒く、僕は黒くて厚いコートを着ているのに、気がつくと両腕がぶるぶると震えている。砂浜の手前に築かれた堤防の上で、LEDの電灯が明るい光を投げかけてくる。

 死に方は、何ヶ月も前から考えていた。最初は校舎の屋上から飛び降りようと思ったのだけど、それにはものすごくガッツがいる。がまん強い僕に適しているのは、入水だろうと思った。がまん強いのと打たれ強いのとは違う。前者はがまんしているだけで痛がっている。特に心の傷ってやつは目に見えず、がまんしてる本人ですら、自分がどれだけ深刻な傷を負っているかわかっていない。他人からはなおさら見えない。気がついたときには、修復困難なほど精神が壊れている。

 波打ち際の砂浜で海と空を見る。海はどこまでも黒く、コーラのような泡が砂浜の上に現れては消える。水平線は霧に覆われたように曖昧で、空も黒にかなり近いグレーだった。少し前、堤防の上から海を目にしたときから、僕はちょっとだけ後悔していた。自殺のことではなく、見慣れていない海の光景に、感動してしまったのだ。特に変わったところも何もない、生活ゴミが転がっているような海岸だけど、ただただ海の広さに感動してしまった。もしかして海中入水は、意外と自殺を思い留まらせる死に方なのかもしれない。

 感動と同時に、僕は夜の海に恐怖を感じていた。ざぶんざぶんと寄せては返す波。目の前に波が来たと思ったら、今度は右隣から、今度は奥から、そしてまた目の前に、ハーモニーのように波が重なる。僕はこの大きな海の波に逆らい、沖の方までいかなきゃいけない。心臓の鼓動がドクドクと強くなる。海は怖い。死ぬのも怖い。ただ、回れ右をしてあの日常に戻ってしまう方がよほど怖い。

 アパートの部屋の片付けは何もしていない。研究の引き継ぎも何もしていない。僕が死んだあとは、どうなるだろう。両親はおかしくなってしまうかもしれない。携帯のメールで、とりあえず両親あてに遺書を書いた。直接送ろうかと思ったけど、メールの文面を見ていたら悲しくなってきたので、自分の研究室のPCに送った。もしかしたら僕の遺体は一生見つからないかもしれない。家族に行方不明だと思われて、ずっと待たれても困る。

 僕は両の拳をぎゅっと握った。僕の自殺が早計であることはわかっている。ここに来て辞めておけという心がむくむくと育ち、僕の中で葛藤が始まった。おそらくいま、口にハンバーガーか何かを詰め込まれただけで、僕は自殺をやめるだろう。満腹のような少しの満足感だけで、もういいやと引き返してしまう予感があった。それくらい、僕の天秤はぐらぐらとゆれていた。自分が死んで、残された人間がどれだけ悲しむか、考えたことがあるだろうか。実際に子どもが自殺をして、泣き叫んでいる親を見たことがあるか。どれだけの喪失感と自責の念を味わわせるか。どうでもいい。死んだあとに僕が恥や罪の意識を感じることはない。死んだ後に裁判で訴えられはしない。――わかっている。僕がものすごく自分勝手だってこと。心に余裕のないやつはものすごく自分勝手だ。感謝もできないし謝罪もできない。配慮なんて全くできやしない。だけど、それならどうすればいいんだ。明日からまた、あの地獄に耐えろってのか。死んでもごめんだ。あのとき死のうって決めたんだ。いま死なないとだめなんだ。

 思い切って海中に足を滑らせる。冷たい水と砂利が靴の中に流れこむ。頭をばしゃりと冷やされた気がした。おそらく死ぬときまで感じるだろう水の感触。この水が僕を殺してくれる。この海が僕の棺になる。

 寒さで気持ちが萎えそうになったので、どんどん海中を歩いていく。波が僕を陸に押し戻そうとする。海面がひざ、腰にまで到達する。服の中まで水が入りこみ、心臓の鼓動はいっそう激しくなる。いま後ろから僕の姿を見て、誰かが止めてくれたら、僕はあっさりと引き返すのに――そんなことを考えてはいけない。一気に決めるんだ。僕は意を決してどんどん進む。

 胸まで浸かったところで、夜空を見上げて息を吸い込む。苦しくない程度に口の中に息をため、目を閉じて、平泳ぎの格好で水の中に入る。頭を全部水につけて、さらに僕は覚醒する。世界が水になる。すべてが水になる。もっと奥まで進もう。僕は立ち泳ぎができないから、奥まで進めばいける。僕はどんどん泳いだ。自殺の途中で波に戻されてしまわないように、どんどん進んだ。海の力を恐れていた。海の奥で小さな塵になりたかった。

 僕は泳げるだけ泳いだあと、両手を胸の前で組んだ。音はない。光もない。水面に出るわけでもなく、海底に落ちるわけでもなく、僕は水中で浮かんでいた。激しかった心臓の鼓動が徐々に静かになっていくけど、息がだんだん苦しくなる。我慢の上に我慢をして、鼻から泡をぽこぽこと吐く。泡が頬やまぶたにぶつかって海面に上がっていく。いちど吐き出すと止まらない。僕は次々と泡を吐いて、体の中の空気を出しつくした。出しつくした後は、吸うしかない。でも周りに空気はない。僕は海水を飲んだ。

 激しい嘔吐感が僕を襲った。海水の塩辛さに喉が拒否反応を示して、無理やり吐こうとする。僕はそれを無視して海水を飲もうとするけど、苦しすぎた。ごぼっと咳のようなものが出て、両手で口を押さえる。体を芋虫みたいに丸めて、うつ伏せの形になる。だめだ。こうしたら海面に浮かんでしまう。僕は我慢してなんとか頭を上げた。鼻から海水が押し寄せ、頭の中が海水でいっぱいになる。

 頭の中には苦しさと叫び声だけだ。水色や白や黄色のスパークと、喉の焼けるような熱さ。内臓が胸を破らんばかりに暴れている。次第に意識がもうろうとしてきて、体の力が抜けていく。手をぶらんと下ろして前屈のような格好になる。体がふわふわと上がっていく気がする。

 僕は死んだ。正真正銘、僕は死んだ。



 絶望の中で思う。僕の人生は、何がいけなかったのだろう。

 さっきも言ったように、これは早まった自害だ。せめてあと半年がんばれば、学校からは卒業できた。卒業後の進路は決まってないものの、実家に戻れば何とか生きていけただろう。それどころか、明日になれば自殺のことなんて忘れていたかもしれない。立ち止まって少し考えれば、わかることだ。

 大学がキツイだなんて、ほかの人が聞けばなんてことはない悩みだということも、なんとなくわかる。学校が嫌ならやめればいいだけの話だ。ものすごく小さなこと。そう、僕はいろんな意味で若かった。考えが幼稚で、世間も人も生き方も、知らなさ過ぎた。誰かに相談すればよかった。大学のカウンセラーにも相談したけれど、ストッパーにはならなかった。もう少し探せば、僕のことを救ってくれた人がいたはずだ。友人や兄弟、母校の先生でも良い。僕が思っているよりは、誰かは僕の叫びに、耳を傾けてくれたはずだ。助けを請うのを情けないと思うだろうか。でも、ひとりでいると自己完結してしまうんだ。生きるのがつらいのなら、苦しんでいるのなら、あっさりこの世から逃げればいいんだと。

 僕のぼんやりとした、未来への不安。なんとなくだけど、僕はずっと、迎えたくない未来を無理やり想像しようとしていたのかもしれない。就職か進学どうするの、ちゃんと進路のこと考えてるの、10年後のあなたを想像してください、入社したあとのあなたはどうなっていますか、あなたのキャリアプランを教えてください。そんなのわかるわけがない。いや、心の奥ではそうなりたくないのだ。僕は他人から示されたような真っ当な道には進みたくなかった。僕にとって胸を張れるような将来なんてどうでもよかった。笑われるかもしれないけど、僕には子どものころから考えていた夢や野望が奥底にしっかりあったはずだ。それを主張するだけの勇気がなかった。未来の不安ばかりを考え、いまこのときを精いっぱい楽しむこと、進みたい道に進むことを忘れていた。いまの生活に満足していれば、絶対に自殺なんてしなかったはずだ。生きようと思うほどの幸福感が、僕には圧倒的に足りていなかった。

 大学生活を終えて、きちんと働けるようになっていれば、未来に幸せが待っていたかもしれない。それがどんな形かはわからない。幸せを共有できる奥さんと一緒に住み、こどもに囲まれて暮らしていたかもしれない。困難がありながらも老い、幸せと満足感を感じながら最期を迎える。多くの人に惜しまれながら、近しい人には大往生だったと思われながら逝く。そんな未来があったかもしれない。

 そんな多くの可能性を、天災でなく病気でなく、自分の意思だけでこわす。未来の可能性を無くす。大金をドブに捨てるような行動、作りかけのブロックのピラミッドを、ばらばらに崩すような行為。それは客観的な事実だ。僕にとっては、主観的には、この世に疲れたから逃げる。ただそれだけのことだった。その主観の、なんと不安定なことか。次の日まで待てば、僕は生きる希望をつかんでいたかもしれない。自分の主観は大事だけれど、それがなんと不確かなことか。行動を伴わなければ、環境は変わらない。退学届けを出すだけの気力が、僕にはなかった。助けを求めていれば、変わったかもしれない。それはもう後の祭りだ。

 僕の人生は終わった。人の記憶にも残らないような、くだらない人間がひとり死んだ。後にはやるせなさと空しさだけが残る。ただそれだけのことだった。


 大きな水晶玉を飲みこんだかのように、喉が苦しい。頭の中に水を流し込まれたように、意識がもうろうとしている。手や足の感覚はない。いやある。唯一、ぼんやりした痛みが、僕の体の所在を教えてくれる。

 僕は先刻、自分で自分の命を絶った。海中で自分の意識がなくなってしまうのをじっと待った。死んだことは確かなのだけど、意識はブラックアウトしなかった。視界は真っ暗、何も聞こえず、まるで水のなかにいるみたいだ。喉に手を突っ込んでいるような吐き気が続く。吐け、と僕は命令する。吐いた気持ちになるけど、また同じような吐き気が襲ってくる。吐く、また吐き気。吐く。おそらく僕は、広い太平洋のどこかをプカプカと浮いているはずだ。もしかしたら夜が明けて朝になっているかもしれない。いや、もう何日も経過した後なのかもしれない。僕だけがずっと勘違いしていると言われても驚きはしない。

 意識はまだ終わらない。断続的な痛みと、狂うこともできない状況で、僕は人生を回想する。幸せを感じたときのこと、未来に起こったかもしれない出来事、それから夢。その方が痛みは和らぐ。たまに残された人たちのことを考えて、慌てて思考を打ち消す。後悔の念が押し寄せてくるのが怖い。こういうときに限って、会いたい人が次から次へと思い出される。母親が泣き叫んでいる映像、父親が呆然としている姿。黙々と僕の遺品を片付けている姿。部屋でひとりぼんやりとしている姿。自責の念に押しつぶされそうな姿。思考をやめて、早く死んでしまいたい。

 そのうち、何でもいいから意識を消してくれと思う。けれど消えない。ずっとずっと消えない。泣いてもわめいても消えない。殺してくれと思う。消えない。何でもするからと思う。体の筋肉を内側からひっくり返し、ただの肉団子になってもいいとすら思う。殺してくれ。頼むから殺してくれ。消えない。

 それでも僕は、自殺の罪の意識を感じることはなかった。直前に生きていたころの生活のほうが、よほどつらく感じた。人に罵倒されたり、プレッシャーを感じたりする方が、僕にとってはよほど拷問だった。いまの痛みはまだマシなほうなのだ。しばらくして、生きていたころに感じていた、あの未来への不安も消えていることに気がついた。もう未来はずっと訪れないのだから、不安になっても仕方がない。そう考えると、この孤独の漂流も悪くはない。僕はタイムカプセルに閉じこもっている。ずっと開けられることのないタイムカプセルに。この苦痛がなければ言うことはないのだけど。

 遺体の僕の漂流は続いた。ずっとずっと。いつまでも。



@KosugiRan http://twitter.com/KosugiRan

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ