第8話
「ただいまー。」
「あら、おかえり。今日はなんだかずいぶん遅かったのね。」
「あ、ああ、まあちょっといろいろとね。」
祐樹は帰宅していた。そうして、いつものごとくリビングへと入ると今度はいつもとは違うことに気がついた。
「あれ、母さん。ここ掃除したの? なんか、ずいぶん綺麗になってる気がするよ。家具の配置も若干変わってるし。」
「ええ、ちょっとした気分転換になると思って。」
(気分転換ね・・・・・・。)
「帰ってくると思ってた時間に合わせちゃってたから、もうご飯できてるわよ。どうする? 先食べる? それともいつも通り勉強してからにする?」
「ああ、先に食べちゃうよ。ありがとう。」
「分かったわ。じゃ、じゃあお願いなんだけど・・・・・・。」
祐樹は母親におにぎりと野菜のおひたしの載ったおぼんを渡された。
「それ、貴樹の部屋まで運んでおいてくれないかしら。すぐに祐樹のもだすわ。」
「ああ、分かった。」
祐樹は言われたとおりに受け取った食事をもって二階の貴樹の部屋へと向かった。それは祐樹の部屋と扉一枚で隔たった場所。相葉貴樹。祐樹の弟である。
「おーい、貴樹。食事ここ、置いとくぞー。」
部屋の前まで来ると、祐樹はそう言って食事を置いた。返事はなかった。
「ったく、返事くらいしろってんだ。全く。」
祐樹は小さく一言、そう言い残してそそくさと階段を下りていった。相葉祐樹の弟、名は貴樹。一つ年下の彼は、そう、言ってしまえば引きこもり、というやつだった。彼がどうしてそうなってしまったのか、はたまた何が原因で部屋から出てこなくなってしまったのかは分からなかったが、祐樹も、そして母親すらも、すでに彼に多く干渉することはなくなっていた。このような状況も時間の経過とともになんともない日常として受け入れられてしまうのだった。父は外資系の企業に勤めており、ほとんど家に帰ってこなかった。ゆえに、そんな引きこもりの彼に強く当たる者は誰一人としていなかったのである。
「ちゃんと食べてるのかしら、貴樹は。」
「きっと大丈夫だよ。またいつもみたいに知らないうちに空になったおぼんが置かれてるよ。」
リビングへと戻った祐樹は早速出された食事に手を出した。鮭は好物だった。しかし、気になることがあった。合いも変わらず母は浮かない様子で、なんだか悲しそうな風であったことである。
「そんな気に病むことはないって、母さん。貴樹だってどうせ飽きたら出てくるさ。」
「そうね、そうよね。うん、そう・・・・・・よね・・・・・・。」
口ではそう言うも、母が明らかに気を落としているのは祐樹にとって明白だった。ここ最近は、というより貴樹が引きこもってしまって以来、母はずっとどこか寂しげであった。だから祐樹は考えていた。どうにかして母を元気付けてやりたいと。そうして、なんとなくその道筋が、一筋の光が見えてきている、そう感じてもいた。
「ところで母さん、突然聞くけど、母さんて体動かすのとか好きだったりする?」
「えっ、何かしら? ほんと突然ねえ。まあ、そうね。運動したりするのは結構好きよ。祐樹の年くらいのころは水泳部に入ってたくさん泳いでたわ。」
(水泳か・・・・・・。体力はありそうだよなあ。)
祐樹は思い出す。彼女は確か言っていた。誰でもなれると。
「そうか、それだったら気分転換に運動、というか体を動かしたりするのもいいんじゃないかな。なんだか最近気分が落ち込んでるみたいだし。」
「あら、心配かけちゃってたのね。ごめんなさい。でも確かに祐樹の言うとおり、気分転換がてら運動はじめてみるのもいいかもしれないわね。」
祐樹はさらに思い出す。彼女は言っていた。インパクト、意外性が大切だと。それこそが観客を魅了するエンターテインメントの一つだと。
「なんだったら母さん、いい話、いやお願いがあるんだけど・・・・・・。」
「あら、一体何?」
祐樹は決意していた。俺が畑工を救うのだと。それも紛れもない自分自身のために。手段はあった。そしてそのためにつくってみせると! 最強で、最高のあれを! だから・・・・・・・・・・・・。
「ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
長い間。深呼吸。そして。
「母さん、アイドルになってください。」