柱
そのときホッドミメスの森の中で、なにか生きも
のの気配が動いた。そこには二人の人間リフとリ
フトラシルが隠れて、朝露をなめては飢えをしず
めていたのだ。この二人が、新しく地上をみたす
種族の祖となるのである。
右はラグナロクの終わり、一握りの若い神を除いた神々と巨人たちが全て相討ち、スルトの炎が世界を焼き尽くした後、新生した世界で人間の祖となることを定められた男女の話。
ホッドミメスの森とは世界樹ユグドラシルのことである。
一. 二〇一四年八月 近畿地方某県
仏壇に向かって僧侶が経をあげていた。
朗々と響くそれを追う形で参列者たちも経本と数珠を手に唱和する。時折、鈴の打ち鳴らされる音が重なる。
普段は隣室との区切りとなっている板戸が外されて拡張された仏間には、四十人くらいの男女が詰めていた。男衆の大半はあぐらの姿勢で、逆に女性たちは正座が多かった。
最前列に青年が一人混じっている。
再来年には三十になるが、それでもその集まりの中では下から数えた方が早かった。
彼は最初のうち、半ば意地を張って正座を維持していたのだが、一つの読経に区切りが付いた後のしばらく空いた間に、てっきり終わったものと思い、軽く足を崩したところに、ほどなく次の経が始まるに至り、そこにいたって観念した。
その日は彼の曾祖母の三十三回忌だった。
つまり彼は曾祖母の生前を知らないことになる。だが、それほど珍しい話でもないだろう。
そうこうするうち、つつがなくすべての読経が終わった。
列席者の方へと向き直った僧は疲れた喉を一口のお茶で潤すと、年齢のわりにしっかりとした声で語りだした。
「恭子さん。あえて生前のお名前で呼ばせてもらいますが、本日は恭子さんのお弔い上げとなる三十三回忌法要を勤めさせていただき、かつまたそれを無事に終えることができまして、ほっとしております。この後、場所を移動して、御柱のお焚き上げをすることになりますが、まずはお祝い申し上げます」
まずは挨拶から。次いで説法に入る前に枕を少々。
「さて、昨今は電力会社からの賃貸収入が減るとして、これを歓迎せぬ向きもあるようですが、本来は大変おめでたいことであります」
伝統的に三十三回忌や五十回忌を最後の年忌法要として、その人の死んだ時に現れた電柱を燃やすことになっている。
それによって死者の霊は昇華され、父、母、祖父母あるいは夭折した子、孫、兄弟姉妹といった個人を離れて『御先祖様』『氏神様』になると考えられている。
神の名の通り、そこからはお寺の管轄を離れ、お宮さんにバトンタッチする。仏教と神道の混じり合った信仰であり、あるいは日本に独特の風習かもしれない。
「三十年、五十年と口で言うのは簡単ですが、これは大変なことです。すべての御柱がそれだけの期間を無事に過ごせるわけではありません。自然災害もありますし、事故や戦争、悲しいことですが、悪意をもって傷つける人間も存在します。先の戦争による空襲では、大勢の人が亡くなったばかりか、御柱が建ったはしから燃えていく有様であったと聞いております。それを考えますと、今日のこの日を無事に迎えることができるのは、恭子さんの御遺徳に、見事応えられた御親族の皆様の日々の献身もさることながら、誠に霊妙なる巡り合わせの結果、一つの奇跡であると言えましょう」
そこで一度僧侶は言葉を切り、合掌し、黙礼した。反射的に青年も頭を下げる。周囲も同様に礼を返していた。
「鴨長明も『方丈記』の中で四大種、これは古代インド由来の考え方で森羅万象世界万物を成り立たせている地、水、火、風の四つの要素のことですが、それらの負の側面としての火災、地震、風水害について書き記しておりますけれど、当時打ち続く災難に食うや食わずの生活を強いられた人々は体力気力を失い、薪にも事欠くありさまで、古寺から盗み出した仏像や仏具を叩き割り、御柱を切り倒して薪に変えることが一再ならず見られたということであります」
燃料その他に苦労したことのない現代日本に育った青年には、燃料にするのに仏像や電柱を切り倒すというのは、あまりにも想像を超えた話で、とても奇妙に聞こえた。
「またその頃、京都の仁和寺に隆曉という坊さんがいらっしゃって、死者のあまりにも多いことを憂えて、彼らの冥福と仏縁のあることを願って、仲間を募って都中の御柱という御柱に阿の字を書き込まれました。阿吽の阿ですよ。梵語では阿というのは、日本の五十音やヨーロッパの言語でもそうですが、アという音は最初に発する言葉ということで、宇宙の始まりを意味するのですね、そこから転じて、特に密教では宇宙その物や、大日如来を示します。ようするに阿字を書き込んだのは、成仏と大日如来の胎の内への回帰とを願った物であったかと推測されます。柳田國男によると、これが現在まで続く御柱に阿の字ないし片仮名のアを入れる習慣の発祥だそうです。片仮名に変わったのは工程の簡略化ですが、これが加速したのは鎌倉時代に起こった寛喜の大飢饉の時で、あまりにも餓死者が多く、複雑な阿の字では追いつかなかったと鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に書かれています」
「へえ。なるほど。なんで電柱にカタカナでアって書かれてるのか昔から不思議だったんだ」
「俺はまたてっきり電力会社が識別のためにアイウエオってな具合に記号を書き込んでるんだとばかり思ってた」
後のそれはさすがに冗談であろうが、一座の多くは初耳であったらしく、感心した様子で近くの相手と話し合っている。言葉を発していない者たちも、ふむふむ、なるほどとしきりとうなずいている。今日仕入れたこの話を酒の席や職場で豆知識として披露する者も出るだろう。
「そういえば、『古事記』に登場するナントカっていう神様が、これも電柱に関係あると聞いたことがあるんですが」
ざっくばらんな空気になってきた流れで、青年も気になっていたことを口にした。お坊さんに聞くのもどうかと思ったのだが、答えは即座に返って来た。
「ああ。それは高御産巣日神でしょう。『聖書』が「光あれ」の天地創造から始まることは皆さん御承知のことと思いますが、日本の記紀神話でも天地開闢から語り始められる。その際、高天原に最初に出現した天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神を造化つまり創造の神としますが、この内の高御産巣日神は別名を高木神と称されますが、これは一説に御柱を神格化したものであるらしい」
ほおと聴衆の一部から感嘆の声があがる。
そのざわめきがいくらか落ち着いたところで、僧は少し話題を変えた。
「ところで、わたしたちは自分が子供の時分からあったものは、つい最初からそうだったと、大昔からの伝統であると思いがちですが、これが意外とそうでもないことが多いのです」
「と言うと?」
青年の叔父に当たる中年男性が合いの手を入れる。
「人は死んだら電柱になる。まずこれがおかしな話だと思いませんか?」
その言葉に一同は揃って顔に疑問符を浮かべた。日が沈んだら夜になるくらい当たり前の話に、この坊さんは何を言っているんだと青年は思った。
そもそも先刻から話されているのが、その死後に現れる電柱のことではないか。
「だって、ねえ、考えてもご覧なさい。電柱なんて、ほんの百年二百年しか歴史のないものじゃありませんか」
今度は一同あっという顔になった。
言われてみれば道理である。
まさか電柱という物ができてから、突然死者が柱になるようになったわけがない以上、電信柱として利用することになったのはそれほど昔の話でないのは間違いない。
「話の順序としては、人は死ぬと柱になる、そしてそれを現在では電柱として利用している、これが正しい。そして、どうもね、これにはアメリカの発明王エジソンが絡んでいるらしい」
二. 一九世紀末 ニューヨーク
「エジソン? あの山師がどうしたって」
「おいおい。せめて企業家と言ってやりなよ」
「僕はあの男は好かんね。君も知っているだろう。根性悪の嘘吐きの無教養。どうにも胡散臭くっていけない。奴を持て囃す人たちの気がしれないよ」
常から冷笑的な癖のある人物だが、普段にも増して木で鼻を括ったような若い友人の態度に、この話題は失敗だったかと話を振った中年の男は苦笑した。
「じゃあ、別の話にするかい?」
「いいや、それには及ばないさ。人物の好き嫌いと面白いかどうかはまた別の話だ。続けてくれ」
「まったく偏屈だなあ、キミは。まあ、いいや。その山師のトマス・アルバ・エジソン氏だがね、彼がオカルティズムに入れ込んでいるのは知ってるかい」
「ふん、オカルト趣味なんて珍しくもない。ああ。例のロシア女がニューヨークに居た頃、その協会だか学会だかに出入りしてたんだったか」
「彼女はウクライナ人だったと思うけど。そうブラヴァツキー夫人の神智学協会だ。もちろん協会に出入りしていたのはエジソン氏ばかりじゃない。かくいうこのボクも後学のために何回かお邪魔した事があってね」
「冷やかしか」
「否定はしないよ」
「……まったく、あんなものの何が楽しいんだか」
幼少期からしばしば幻視をする体質であった。
だから、人がわざわざ古城や墓地を巡り、交霊会に参加して、好き好んで幽霊を見たがるというのが分からなかった。
「うん?」
「なんでもない。そういえば君は最近もなんとかいうオカルト・サークルに出入りしてるって話だったな」
「ああ。SPR――心霊現象研究協会ね、面白いよ。まあ、そんなわけで直接の知り合いってわけじゃないが、エジソン氏とは今でも『知り合いの知り合い』くらいの関係でね、それとなく動向が伝わってくるんだ。それでさ、彼、少し前に蓄音機の改良版を発表したでしょ」
歳の離れた友人の言葉に、科学者はしばらく考えた後で、ああ、とうなずいた。
失敗作に終わった初代から十年。蓄音機の『発明者』であるエジソンが改めて世に問うた蓄音機として多少の耳目は集めたが、正直それだけではあった。
ベルとテインターの蝋管式蓄音機グラフォフォン、エミール・ベルリナーの円盤式蓄音機グラモフォン等々、ここ数年の蓄音機の進歩は目覚ましく、先行者の優位にあぐらをかいて、イソップ寓話のウサギさながら眠りこけていたエジソン社の蓄音機に、もはや出る幕はなかったのだ。
「それでキミ、不思議に思わなかったかい、この十年というもの電球の方に全力を注いで、見向きもしなかった蓄音機を、今になって突然引っ張り出してきたことを。ボクは不思議だったね。そしてピンと来た、これは何かあるに違いないぞってね。それでちょっと探りを入れてみたら……」
「そうか。で? さっさと本題に入ったらどうなんだ」
おやおや、親友、苛立ってきているなと男は苦笑した。
「せっかちだねえ。つまりね、近頃のエジソン氏の研究テーマは『霊界と通信する装置』らしいんだ」
「はあっ」
なんだそれはと素っ頓狂な声をあげた友人に、してやったりと男は面白そうにくつくつと笑った。自分もそれを聞かされた時、同じような反応をしてしまったので、誰かに聞かせて、呆気にとられる姿が見たかったのだ。
「うん。だからね、死者との通話が行える電話……なのか声を記録できる蓄音機なのかはちょっと分からないけど、蓄音機を持ち出して来たってことは後者、記録装置なのかもしれない。どちらにせよ、霊媒師の仕事を代わりにやってくれる機械ってことなんだろうね。それを熱心に研究しているらしいよ」
「ほう。そいつは面白い……でいいのか?」
「いいと思うよ。現にボクは面白がってる。まあ、そんなこんなで、氏の目下の興味は霊界との交信に向かっているわけなんだけど、彼、最近、ウェスティングハウス氏と、いいやニコラ・テスラ氏と、と言うべきかな、送電の方式を巡って盛んにやりあっているじゃない?」
一般に利権を巡る争いと見做されているこの戦いに、実は裏の意図があるのだと彼は言った。
なお結果だけ言えば送電の方式を巡る戦いにはウェスティングハウス陣営が勝利することになる。
「……まあね。しかし、君もまた意地の悪い言い方をするものだね、マーク」
「ふふん。ボクの売りは皮肉屋な所だからね。ボクの舌が変に丸くなってごらんよ、世界中の読者は絶望してしまうんじゃないかな。毒も風刺もない小説なんてきわめて退屈であるか、絶対に手が届かない理想郷か、どっちかだろうからね」
男は小説家だった。
「それでエジソン氏の交霊装置だけど、氏の考えるところによると、死者の想念というのは電気に変換可能なある種のエネルギーであり、だから死者の声を伝えるには、電力の損失が少ない直流が一番なんだそうだ。かくして信念に基づき交流送電に断固として反対しているらしいよ」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことに交流も直流もあるもんか。それに、今はまだ技術的な課題が大きいが、どうせあと何十年かしたら高周波――電磁波による無線送電が主流になるんだから、ウェスティングハウスとエジソン、あの二人が大仰に言い争っている有線の方式なんていうのは結局は当座しのぎをどうするかって話でしかないんだ」
「そうなのかい」
「ああ。そうだとも。当然、銅線なんかより大気中のエーテルの方が導体としての効率は上だと考えられるし、送信施設と受信装置さえ準備してしまえば、電線の敷設と補修にかかる費用が発生しないから、コスト面でも優れているはずだし、それにエジソンの奴は交流が危険だと印象付ける運動を盛んにやっているが、それこそ無線ならあの男が推す直流よりも安全だからね。まあ、結局は適切に扱えば危険はなく、不適切に扱えば危険だという、それだけの話に過ぎないんだがね。馬鹿な話さ」
やれやれと首を振る。そんな友人の態度に作家は苦笑した。
「キミの体を張ったショーには冷や冷やさせられたよ」
彼の年若い友人は、その涼しげな容貌に見合わぬ突飛な性格で、自身としてもそこが気に入っているのだが、それでも、交流電気の安全性を証明すると称して自分の体に100万ボルトの電流を流して見せた時には、傍で見ている方が心臓が止まるかと思ったものだ。
「言っただろう。要は適切に扱えば良いんだって。話が逸れたけれど、仮に送電の方式が霊界通信の効率に影響をするとして、その肝心の霊界との接続はどうするっていうんだ」
それが不思議だった。彼が知るエジソンという男は、人格面はさておき、実業家としては非常に有能な人物だった。なんの成算もなくそんなことを言い出すとは思えなかった。だとすれば、なにかしら根拠となる物があるのだろう。
友人の疑問に中年男はにやりと笑った。
「あるじゃないか、死者と生者をつなぐものが。一部のインディアンたちはそれを族霊の柱(トーテム・ポール)なんて呼んでるみたいだけど、ボクたち白人はそいつをしばしば『メメント・モリ』と呼ぶね」
元はラテン語の警句である。ある人は人生賛歌であると言い、またある人は厭世の文句であると言う。
君死を忘れたまふことなかれ。いつか必ず人は死ぬ。生きよ、生きよ、死ぬ日まで。
また芸術の主題である。もっとも著名なものは擬人化された死である骸骨が列をなして踊る『死の舞踏』であろうが、きわめて単純化して言えば『死』を連想させるモチーフを有するなら、ほぼ全ての作品・オブジェが該当しうる。
そこまでヒントをもらえば思い当るものは一つだった。
「死者の柱(リッチ・ポール)か!」
誰かが亡くなった時、その死を慰め、生を顕彰するように忽然として生えてくる墓標。
民間信仰の世界では、天使たちがヤコブの梯子を使って天上と地上を上り下りするように、死者の霊はその自分の柱を登って天国に行くのだと言われている。また、審判の時には、柱たちは生きていたころの姿を取り戻すのだとも。
「煉獄があると信じられたヘラクレスの柱の向こうにはアメリカがあったわけだけど、はたして死者の柱の向こうには何があるんだろうね。それとも何もないのか」
小説家の言葉に科学者は、ううん、とうなった。
「作家一流の想像力だな。けど、そうだな、柱を介して死者と交信するっていうのは盲点だった。良いアイデアだ。癪に障るけど、あの男の嗅覚だけは認めざるを得ない。僕も少しそれについて考えてみるよ」
あるいはこの日の対話が転機の一つであったのかもしれない。
後年、彼は心霊の世界にのめりこんだとも言われている。
そして、真偽のほどは定かではないが、かつて魔術師と見做された前近代の哲学者が、しばしば天使や精霊と交渉していると信じられたように、彼は自作の装置で宇宙人と交信していると噂された。
一方の敗れたエジソンであるが、しかし電柱として死者の柱を利用するというアイデアは、発案者の本来企図した心霊主義的な側面は忘れられたものの、世界的に取り入れられた。
三. 遠未来 宇宙空間
アンドロメダ銀河外縁部のとある惑星系での出来事である。
その星系最大の惑星である一つの木星型惑星が死を迎えようとしていた。
古代人がそれを見れば、まずは自分の目を疑い、ついでこの世の終わりを疑っただろう。
天体が折りたたまれ、圧縮されていく。行き着く先は種であり、やがてそれは芽吹き、成長して、一本の柱となる。
自然現象による、定められた寿命ではなく、人の手によってもたらされた死だった。
現在、近海に停泊中の公団の手になる仕事だ。
この業を地球人類にもたらしたエンギラ人に言わせると「一目で地球人の仕事と判る熟練の殺し方」であるらしい。
※ ※ ※
地球に誕生した文明が外宇宙に進出してから、すでに十億年が経過していた。
人が死んだら柱が生えてくるのと同様、文明や種族が終焉を迎える時、やはり一本の大きな柱が忽然として現れる。数えきれない柱が建ってはまた朽ちて倒れていった。
当然の話としてホモ・サピエンスという種はとうに絶えている。現在の地球文明の担い手は、終末期のホモ・サピエンスが作ったロボットたちの末裔……ではなく、彼らが自分たちを使役する存在として、旧主の残した『方舟』の遺伝子情報を基に復活させた、改良型のホモ・サピエンスである。
あるいはファンタジーの愛好者たちであれば、彼らのことをリョースアールヴ――エルフと呼んだかもしれない。超自然の霊的な存在ではなく、徹底して物質的な生命工学の産物にして、また別段耳がとがっていたりもしないが、つまり、長命で、健康で、美しく、そしてなにより享楽的で酷薄だった。
それを支えるロボットたちは、さしずめ神々とドワーフの一人二役というところだろう。
ロボットたちは気長だった。最初の数百回は人類とその文明の延命に汲々としたものだが、どれだけ手を尽くしても百万年と持たない――短い時など千年を待たずに自滅したホモ・サピエンス改良種に、いつしかロボットたちは悟っていた。
彼らのしたいようにさせておけばよいのだと。
それに、結局、滅びたならば、次の主を用意すれば良いだけなのだから。すでに現在のご主人様たちは、かれこれ数えて約七千二百回目の復活を果たした者たちである。
さらに言うならロボットたちも途中に十二回の断絶の期間を挟んでおり、現在の彼らは十三世代目であった。
※ ※ ※
星の世界に話を戻せば、現在、その星系に宛てられている名前はアルファベットと数字の無味乾燥な羅列であり、私的なニックネームの一つも付けられていなかったが、今回の事業の完遂と同時に生まれる『星の柱』に対して、アルデバラン第二惑星を根拠地とする少数民族の言葉で『宇宙樹』を意味する「イグドラジル」という名が与えられることが決まっており、将来的にはそれが星系全体の名前にもなる予定だった。
公団の理事である一人のエンギラ人の提案だった。
エンギラ人は地球人類が七番目に遭遇した『異星人』で、詩的に表現すればいわゆる「宇宙クジラ」となり、散文的に評すれば「知性を持ち自律する天体」である。
小さなものでも水星に匹敵し、大きなものでは天王星ほどにもなる鉄と珪素の体躯を有する、個体での恒星間航行能力を備えた種族である。
彼らが同種族間でやり取りする膨大な情報量を載せた『歌』は、互いを隔てる何万光年、何十万光年の距離を飛び越えて、瞬時に伝わった。
そしてそれをさらに増幅するのが、『星の柱(アストラルピラー)』であった。過去・現在・未来、かつてあった柱、いまある柱、やがてある柱、全ての柱は『星幽界(アストラル・プレーン)』を通じて繋がっている。
彼らは『柱』を介して次元を隔てる数多の並行宇宙と『歌』をやり取りし、一大劫の未来を歌い、那由多の過去にまで声を届かせた。
遥かなる未来で、同時代人として弥勒仏の降臨を目撃した一人のエンギラ人が高らかに歓喜の歌を歌いあげ、それを聞いた者たちが、遠くへ、もっと遠くへと拡散した。
あるいはアルビオンの四柱の獣たち。
あるいは大いなるキサナドゥ。
過去の偉大な幻視者たちが垣間見た夢のいくつかは、彼らの歌に感応した結果だと考えられている。
この時代、地球人をはじめとする矮小なる種族は、彼らの取り交わす『歌』の片隅を間借りすることで、複数の銀河をゆるやかにつなげた一つの世界を形成していた。
繁栄の時は永く続いた。
それからさらに気の遠くなるような年月が経過した。
地球人はもとより、エンギラ人さえ消え去っていた。
彼らばかりではない、もはや銀河すらも活動を止め、柱すら朽ち果てた、今やこの宇宙からは、ありとあらゆる形態の、すべての生命が死滅していた。
そして、なにひとつ劇的なことは起こらず宇宙は滅びた。
どれくらいの時間が流れただろうか。
そもそも流れるべき時間はあったのか。
かつて宇宙があったところに一本の柱が建っていた。
音ならぬ音、声ならぬ声が未だ成らぬ宇宙に響いた。
了.
死んだ人間が電柱になる世界観の下で競作された『「人は死んだら電柱になる」アンソロジー』に寄稿した短篇、その全文です。
縦書き用に執筆したので、当然の話、本で読んだ本が断然読みやすいはずなので、よければ手に取ってみてください。
2014年 コミックマーケット86 一日目(8月15日)、サークル「遠すぎる未来団」さんから頒布予定です。
また、冒頭に引用した北欧神話の一節はグレンベック『北欧神話と伝説』(山室静訳)によりました。