バロンダンスのはじまり
ごうと強い風が吹いた。
激しい空気の流れは廃屋の前に佇む青年の長い黒髪と、彼がまとうマントを揺らす。そうして、さほど遠くない過去焼き払われたと思しき村の廃墟に漂う、焼け焦げた匂いを吹き飛ばしていった。
からん、と何かが転がる音がした。ふいと振り返った青年は視線の先に自分よりも明るい茶の髪を見つけ、血の色の瞳をわずかに細める。
「バロン」
「見つけたよ、ランダ。やっぱりここだったんだね」
バロン。そう呼ばれた茶髪の青年は、旅装束のままゆっくりと焼けた木の影から歩み出た。自分がランダと呼んだ黒髪の青年とはどこか似通った端正な造形で、この2人が近しい関係であることがそれで分かる。
「ふん」
ばさりと音がして、バロンは粗末なマントを跳ね上げる。
その手には、使い込まれた剣が握られていた。剣とは言っても、それには敵を切り裂く刃はない。だが、鈍器には見えないその剣身は、艶やかに光っている。手入れだけは、怠っていないようだ。
「ここは、俺とお前の因縁が始まった場所だからな。終わらせるならここだと決めていた」
刃を見てほんの少し唇の端を歪め、ランダは吐き捨てるように呟いた。それでもよく通る低めの声で紡がれた彼の言葉は、たやすくバロンの耳に届く。
何しろこの廃墟には2人以外、虫も鳥もいないからだ。音を立てるのは2人と、そして時折吹く風のみ。
「因縁……か。生まれた村が」
「生まれなければ、何も始まらなかった」
「確かに」
感情をこめないまま呟かれるランダの言葉に、バロンも頷く。
彼が自分の足元から拾い上げたのは、かつて子どもたちの遊び相手だったぬいぐるみの焼け焦げた成れの果て。彼らが住んでいたこの小さな家のほど近くで暮らしていた、幼子がぎゅっと抱きしめていたものだ。
この村はバロンとランダ、2人の青年がこの世に生を受け十数年の時を過ごした故郷だった。黒髪のランダが兄、茶髪のバロンが弟。
しかし数年前、黒髪の青年と彼に従う魔物の軍勢によってこの村は破壊しつくされ、生命のかけらも残さぬ廃墟と化していた。死を与えられた地に、その後生きるものが入ったのは恐らく、魔王と勇者が初めてだろう。
この地は、魔王を名乗ったランダが過去を捨てるための最初の生贄となったのだ。
皮肉にも、捨てたはずの過去が2人の青年にとっての決着の場となる。
ランダは最初からそう決めていた。
バロンも、ランダがそうするだろうと気づいていた。
だから2人は、ここにいる。
決着をつけるために。
「もう、どうだっていい。お前がどうなろうが、俺がどうなろうが」
魔王は感情を宿らせない瞳で、周囲を軽く見渡す。そうして、再び目の前の勇者に視線を戻した。赤い瞳には、絶望の色しか存在していない。
この村を離れた瞬間にもう、彼にはそれしか残されていなかったから。
「だがその前に、俺をこうした世界には責任をとってもらう。滅びという形でな」
ランダが手を差し伸べる。その手のひらにぽう、と真紅の炎が浮かび上がった。
この魔力が青年を故郷から引き離し、そして魔王とならしめたのだ。
「ごめん。それだけはさせない」
バロンが剣を構える。刃のない剣にぽう、と青い光が灯った。
この魔力が青年に兄弟を追わせ、そして勇者とならしめたのだ。
だん、と2人が同時に大地を蹴った。
見る者がいたとしてもその目には、彼らの動きが見えることはないかもしれない。それほどの速度を持って勇者と魔王は、真正面からぶつかり合った。
光の剣と炎がぶつかり合うにしては重い、金属で叩いたような音が響く。魔王が灯した実体がないはずの炎は、至極当たり前のように勇者の剣を受け止めていた。否、魔力を帯びた刃が魔力の炎を受け止めたのか。
「魔力で編んだ刃か。さんざ生命を吸ったな!」
「お前の魔法だって、たっぷり生命を食らっただろう!」
至近距離で睨み合う2人の顔は、鏡に写したかのようによく似ている。ただ勇者はどこか悲しげな目をしているのに対し、魔王は憎しみをこめた強い光をその瞳に宿しているのだが。
ぎりぎりと押されているのはバロンの方だ。だが、光の剣を押し込んでいるはずのランダの顔には焦りの色が見えていた。
勇者が、己が率いる魔物たちとの戦いを経て成長していることは分かっていた。勇者の存在が人間を奮い立たせ、あちこちで反乱の狼煙が上がっている。それ故に魔王軍は劣勢を強いられ、長たる自分が出てこなければならなくなったのだから。
だが、よもやこの弟が既に、魔王たる自分と互角に渡り合えるまでとは。
魔力の高さとその能力を見出されたランダがこの村を離れる時、バロンは魔法使いとしてはほとんど見る目がなかったはずだ。だからこそ、弟が選ばれることはなかったのだから。
魔王に成り果てた己を倒すための勇者としてバロンが選ばれたと聞き、ランダはふんと呆れたものだった。
世界はどうやら、未来をあきらめたらしい。
そう考えていたランダだったが、今となってはどうだ。
世界が、忌まわしい神が選んだ勇者のせいで、自分は。
がいん、と再び金属音がして2人は飛び離れた。邪魔になったのか、ランダはマントを無造作にむしり取って投げ捨てる。ばさりと風に煽られて飛んで行く布切れに、もう青年たちの意識が向くことはない。
「まさか、ここまでとはな」
「お前の部下、強かったからね」
再び手に炎を灯しながら、呟くランダ。小さく溜息をついてバロンは、剣を構え直した。
神のお告げとやらで無理やり引き離された挙句魔王と化した兄に会うために、弟は自らを鍛え上げてきた。その過程で多くの魔物を倒し、幾つもの死を目にしてバロンは名実ともに勇者となり、ここまでやってきたのだ。
「馬鹿なことを……はっ!」
ランダの手から、続けざまに火弾が放たれる。だが、バロンが自分の前でくるりと光の剣を回転させたことで生まれた魔力の盾がそれを受け止めた。ばしん、ばしんと弾き飛ばされた炎は廃墟のあちこちに飛んでいき、一部はその場で燃え始める。
「多分、守りの力は僕のほうが上。僕には守るものがあるからね」
「だが、壊す力は俺のほうが上だ。俺にはもう、何もないからな!」
炎の弾丸では傷をつけることができないと見てとり、ランダが手のひらを地面に叩きつける。瞬間、大地がばきりと割れて、一部がバロンを殴りつけるように盛り上がった。
その盛り上がる力を逆に利用して、バロンは地面を蹴り宙へと舞い上がる。光の剣を大きく振ると、そこから魔力が光の矢となってランダめがけ降り注いだ。
「お前などには、俺は止められん!」
「止めるよ、ランダ!」
魔力の矢は、ランダが腕の一振りとともに放った波動であっさりと打ち消される。しかし、それを追うようにして飛び込んできたバロンの剣撃は、その波動を逆に切り裂いた。
「勇者にも、神にも俺は負けん!」
それでもランダは叫び、己の魔力で炎を生み出した。舞い降りてくる勇者の刃を、その力で受け止めるために。
そうして、煙が晴れた時。
衝撃でできたクレーターの中央で、2人は立っていた。
「が、あっ」
魔王の胸には光の剣が突き立てられ。
「……けふっ」
勇者の腹には魔力の炎がめり込んでいる。
互いに、致命傷だった。
「貴様、なぜ」
お互いに、相手を支え合っていないと立っていることができない。ごく至近距離にある自分とよく似た顔に、ランダは囁くような声で問うた。
「……僕とお前は、対なんだってさ。どっちかだけが倒れることはできないんだって」
口の端から血を一筋垂らしながら、バロンが答える。こちらももう、かすれた声しか出せないようだ。
「誰が、そんなことを」
「お前が一番、恨んでる相手」
勇者が吐き出す息に紛れるように紡いだ答えは、魔王を愕然とさせた。
ランダに厳しい教育を課した挙句魔王とし、その首を取るために兄弟であるバロンを勇者としたのは、この世界を司る神。
その存在は愚かにも、兄と弟に酷な運命を課したのだ。
己が勇者として創り出そうとした青年が魔王となり。
魔王を滅ぼすためにその弟が勇者となり。
神という存在は、その双方に死を命じた。
己の無様を、棚に上げて。
「それじゃ、お前……最初から」
「うん。覚悟はできてたよ」
密やかな会話。この場に2人以外の人物がいたとしても、その者に彼らの言葉が聞こえることはないだろう。
だから、この事実も世界に漏れることはない。
勇者が倒すべき魔王を目の前にして、穏やかに微笑んでいることも。
己の運命を知った勇者が、それでも今この時のために突き進んできたことも。
「ひとりじゃ逝かせない、なんてかっこいいことは言えないけどさ、ランダ。…………ごめんな」
寂しがっていた兄をしっかりと抱きしめて、弟は最期の言葉を口にした。
エクスプロージョン。
勇者がこの時のために紡ぎ上げていた超威力破壊魔法は、2つの影とかつて村だった廃墟をその地面ごとえぐり取り、今ひとつの太陽のような輝きをもって周辺の街を照らしたという。
その時を境に、世界から魔物は消え失せた。魔王が滅びたことにより、自らの世界へと逃げ出したのだろう。
それを以て人間は自らの勝利と称し、ひとまずの平穏を迎えた。
魔王と、彼を滅ぼした勇者の名は人々の間に語り継がれていく。彼らが何を考え、思ったか知らぬままに。
伝説は言う。
勇者と魔王は世界の力が2つに分かたれたものであり、対でなければならない存在である。
故に彼らは共に生き、共に死する者なり。
時流れ、再び勇者と魔王は世に生まれ出る。
その時また、悲劇は繰り返されるだろう。
大地は裂け、人は燃え、分かたれた力は互いを滅ぼし合う。
「そっかなあ。仲直り、できないのかな」
「わたし、あの人のところに行く。あの人を助ける」
誰も、何も変えようとしなければ。