バロンダンスはいつ終わる
激しい雷光が降り注ぐ。だが、その真下にいた少女が直撃を受けることはない。
「ごめんな。こんな戦いに巻き込んで」
何事もないように掲げられた手。そこから広がる光の膜で少女を守りながら、どこか子どものような青年は本当に困った顔をした。
少女の住んでいた村を魔王の軍勢が襲ったのは、その日の朝まだ明けきらぬ頃だった。この村に多く住む魔法使いを守るために見張りを任されていた兵士はあっさりと首を落とされ、生ける屍として軍勢の先頭に立っている。魔王軍には、剣はほとんど効かないという通説はこうして立証された。
魔法使いである住人と魔王の下僕たる魔物たちとの戦いが始まる直前、少女は親によって村の外れにある祠に隠された。両親もまた魔法を操る者であり、その場を離れた彼らがどうなったかは定かではない。
やがて、朝日とともに魔物たちが祠を取り囲んだ。もしかしたら少女を狙って現れたのかもしれない魔物たちは、それまでの暴走と死闘に明け暮れた様とは打って変わってじりじりと、慎重に祠に迫る。
その時、唐突に風が巻き起こった。
魔物たちの中央、激しいつむじ風の中から現れた青年は、魔物には効かない鋭い剣はともかく身を守るための厚い鎧すら着てはいなかった。ただその手のひらに宿した魔力の光だけで、次々に魔物を吹き飛ばしていったのだ。
そうして、今に至る。
祠の周囲から、青年が編み出した魔法により吹き飛ばされたことで魔物の気配はすっかり消えていた。加えて、祠にもともと掛けられていた弱い守りの魔法を青年が強化したことにより新たな魔物が近づくことはできない。そう、青年は少女に伝えた。
「村の人たちがどうなったかまでは……本当にごめん」
「あやまってばっかりだね」
何度も頭を下げる青年に、少女は呆れたようにそう呟いた。隣近所、知らない顔ではない村人たちがどうなったかも分からないこの状況であまりにも冷静すぎる少女の言葉に、青年は小さく溜息をつく。
どうやらこの少女は、『彼』とよく似た境遇に置かれていたのだろう。この村に魔法使いが多く住んでおり、それを守るために兵士が派遣されていたということも、青年にとっては推測を証明するものであったから。
「……そういう人生送ってきたからね」
あまり答えになっていない言葉を少女に返し、そっと外をうかがう。昼に近くなって日は天高くから世界を照らしているが、それが魔物を追い払う力にならないことは襲撃の時刻が朝だったことからも明らかだ。ただ、今この周囲に魔物が近づいてくる気配は感じられない。
おそらくはもう、大丈夫だろう。あくまでもこの周辺は、だが。
「ねえ。なんで魔物と魔王は、戦ばかりするの?」
不意に問われた言葉に、青年は一瞬目を丸くした。ふてくされた表情の少女が口にしたその言葉は、世界に住まう者がもしかしたら皆心の底に持っているかもしれない、素朴な疑問。
答えにはならないかもしれないが、青年はそのヒントとなる事実を知っている。その事実を言葉に紡いでみる気になったのは、何かの気まぐれだったのだろうか。
「昔むかしの話さ。魔法の才能を持っていた子どもがいた」
唐突に青年が始めた話に、少女は一瞬不思議そうに首を傾げた。だが、大人しく座り直したところを見ると話を聞く気はあるようだ。
「才能に目をつけたとある魔法学院がその子を引き取って、それはそれは大事に育てた。親から、きょうだいから、友達から引き離して」
この村のような辺境の地ではなく、都に存在する魔法学院。様々な村や町から魔法使いの素質を持つ人物を集め、世界を守る力とするための教育を行う組織だ。少女の村から旅だった村人が数人いるが、それはもしかしたら。
だが、その村人たちは自ら喜んで村を出た。話に出てきた子どもが、もしそうでなかったとしたら、その後どうなったのか。
「その子、どうなったの?」
「ひとりぼっちになったそいつは、大事に育てられてとてつもなく強力になった自分の魔法で、魔法学院を滅ぼした。そればかりか、世界を滅ぼそうとまでし始めたんだ。自分がひとりぼっちになったのは、そんな風にした世界が悪いんだって」
そこまで聞けば少女にも、その『子ども』が何なのか分かる。少女は青年の顔を、正面から見つめた。
「それが、あの魔王? 世界が悪いと思ったから、壊そうとしてるの?」
「うん」
青年は頷いて、「その話には続きがあるんだ」と小さく溜息をついた。少女の目の前に腰を下ろして、膝の上で軽く手を組む。
「魔王となった子から引き離されたきょうだいの中に、実は同じレベルの才能を持つ者がいたんだ。滅ぼされそうになった世界は魔法学院の生き残りに命じてその子を探し出し、勇者として魔王を倒すように命じた」
「倒せてないじゃん」
「うん。ごめん」
「またー」
こんなところでごめん、と謝る青年の言葉を、一瞬少女はいぶかった。だがすぐに続いた彼の台詞に、その思いはふっと消える。
「バロンダンス、って知ってる?」
その言葉を少女は、親から聞かされた昔話で知っていた。遠い遠い過去に起きた、お伽話。伝説。
「聞いたことある。勇者バロンと魔王ランダが果てしない戦いを繰り返す伝説、だっけ」
「そう。いつの間にかその戦いは終わった、と思われていたけれど、本当は違った」
青年はとつとつと言葉を続ける。その言葉にはまるで魔力が含まれているようで、少女は彼の話から気をそらすことができなくなっていた。
「その2人のきょうだいは、バロンとランダの生まれ変わりだったんだ。そのまま平穏に生きていければよかったのに、揃って力に目覚めてしまった」
ぐっと握られた手には傷跡が残っていて、青年が戦い続けてきたであろうことが分かる。布で隠された身体にも、傷は無数にあるのだろう。
まるで、生まれ変わってまで戦い続けたかのように。
「2人はひたすら戦う。終わらないんだ。一度目覚めてしまった以上、どちらか片方だけじゃ死ねないから」
ふと青年が、祠の外に目を向けた。まだ魔物がいたのか、そちらの方から禍々しい気配がする。それは少女にすら感じられるほど、強いものだったけれど。
「2人に与えられた魔法の力は強大すぎて、どちらかが残ってしまったら世界が滅ぶ。少なくともランダは滅びたくなくて、だから魔物を生み出し自身の力とする。無駄なのに、バロンを滅ぼすためにね」
ばちりと火花が走る。降り注いだ稲妻は光のドームに遮られ、彼らに届くことはない。少女を肩越しに振り返った青年の顔は泣きそうで、それでも笑っている。おそらくは、少女に不安を感じさせないように。
もしかしたら、この人は。
「……あんた、バロン?」
「ほんとに、ごめん。巻き込んで」
少女の素朴な直感を、青年は否定しなかった。小さく頷いて、音もなく立ち上がる。
「終わらせるには、2人いっぺんに死ぬしかないんだよ。ちゃんと終わらせるから、君はどうか生きて」
そう告げて、青年は少女の額に軽く口付けた。おまじないだよ、と微笑んで言い残し、彼は地面を蹴る。次の瞬間その全身を淡い光が覆い、そうして流星となった青年は爆風の中へと消えていった。
そうして数時。音は消え、魔物も青年ももうそこからはいなくなっていた。
額の中央に暖かさを感じながら、少女は立ち上がった。彼女がしゃがみ込んでいた場所の周囲に綺麗な円が描かれていて、その外側は無残な廃墟と化している。だが、その向こう側から転がるように駆けてくるのは少女の両親に間違いない。そして、傷だらけの村人たちもその多くが姿を見せる。どうやら、あの魔物たちを撃退できるだけの戦力がこの村の民には備わっていたらしい。
「……少なくとも、一度は終わったんだよね。だって、そうでなかったらとうの昔に世界なんて滅んでる」
バロンとランダは生まれ変わったのだと、バロンである青年はそう言った。つまり一度、2人は恐らく刺し違えて滅んでいる。2人が死ねば、一旦戦いは終わる。
死ななければ終わらない?
本当に?
「そっかなあ。仲直り、できないのかな」
戻ることのできた自分の部屋で、少女は首を傾げる。
バロンの話が本当なのならば、元々は彼らのどちらが悪いのでもない。バロンの元からきょうだいであるランダを引き離し、ひとりぼっちにした魔法学院がそもそも悪いのだ。少女にはきょうだいはいないから引き離された時の気持ちは分からないけれど、親と離れて不安だった時間を持った今なら、少しは。
「あの人、泣きそうな顔してた」
親が、隣人が、どうなったか分からなくて不安だった少女のために必死で笑ったあの人は、本当は心の中で泣いている。大事なきょうだいと一緒に死ななければいけないから……少なくとも彼は、そう思っているから。
ならば、どうすればいいか。
「わたし、あの人のところに行く。あの人を助ける」
きゅ、と小さな拳を握って少女は、心に決めた。
バロンだというあの人も、あの人のきょうだいであるランダも、なんとかして助けるのだと。
その拳にぽうと灯った光は、青年が少女を守るために放った光と同じ色だった。
これが世界を変える魔女王、その誕生のきっかけであったことを知る者は少ない。