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次の週の月曜日、翼はいつも通り、家をでた。今日から朝練もなくなるため、わざわざ朝早くから登校する必要がなくなった。また帰宅部の日常生活をすごすことになる。はずだった。
「よ、陸斗」
「おう、翼。明日から7時から練習な」
「は?」
「なにいってんだよ。明日からの朝練の時間だよ陸上の」
いきなりのことで頭がまわらない。だいたいなんで朝友達に挨拶して返ってくる言葉が練習時間な挨拶なんてあるものか。それも自分とは全くもって関係のない部活のはなしだ。
「おいおい、人違いか?俺は陸上部員じゃねえぞ」
「いや、しっかりおまえに言ってるぞ。もう一回言うけど明日の7時から練習だからな。絶対遅れてくるなよ」
陸斗がはっきりと言う
「だから俺は陸上部員じゃないしこの前の大会だけだって言っただろ」
なにかの冗談だろと言うように翼が言った。
ホームルームのチャイムがなったので陸斗はあとで詳しいことを話すと言って人ごみの海にきえていった。
*
言っていて通り、陸斗は昼休みに、A組までやってきた。違っていたのは数人、同学年の陸上部員を連れてきたことだ。陸斗は翼を呼び出すと体育館の裏側に行った。
「あ~、もう一回話すけど頼む翼、陸上部に入ってくれ」
「だから、俺はこの前の大会だけだって言っただろ。めんどくせえよ。おことわりだな」
翼はいかにもやりたくなさそうな表情を作り、応えた。
「あんな走りしててこのままさびらせるかよ。お前は絶対うちに必要なんだ。うちにはいってくれよ」
同じ陸上部員の安平哲也が言った。彼も長距離選手だが、まだ力不足ということで、この前の大会には出れなかった。他にいる陸上部員たちもみんな長距離選手だが、彼と同じく、まだ力不足ということで、大会にはでていない。
「でもよ。そんな簡単に部活なんて途中入部できるのかよ。ましてや新年度早々によ」
「そこんとこは大丈夫だ。入部届の紙はしっかり俺がもらってきたし、顧問の許可がいるけど俺たちでかってに許可はもらってきた。ていうより杉田におまえを入部させるように言われたんだからそりゃそうだよな。あとはここにおまえとおまえの親のの名前をかいてはんこを押してくれれば大丈夫だ」
そう言って陸斗は翼に入部届の紙を翼に渡した。入部届には顧問の名前のところに杉田秀典と名前がかかれていた。
「ちょっと考えさせてくれ。いつまでに返事出せばいい?」
「わるいな。今度のオーダーださないといけないから明日までに返事はくれだとよ」
「わかった。じゃあ今日は帰っていいのか?」
「おまえさぁ、そんなこというなよ。一応放課後の部活には参加してくれ。おれが兄貴に許可もらってくるからよ」
そういえば陸斗の兄の甲斐斗は陸上部のキャプテンだった。
「わかった。今日の放課後練習に参加すればいいんだな?」
「おう。じゃあ今はこれだけにしておくか。また放課後な」
「じゃあな」
*
放課後約束通り、翼は体操服に着替えて陸上部室前にやってきた。そこには陸斗を含め、何人かの陸上部員は集まっていた。翼も準備を手伝うよう頼まれ、準備を手伝った。やがて他の部員も集まってきて、杉田も職員室から顔をだした。一通り話をすませると、杉田はまた職員室に戻ってしまった。
今日の練習は、大会2週間前とのことで、各種目のタイムトライアルなどをやるらしい。1500メートル走は全学年一斉一斉スタートで行うようだ。200メートルトラックでおこなうので、7周半だ。本当は杉田がやるのだが今は杉田が不在なので、かわりにキャプテンの甲斐斗がスタートをすることになった。
スタートのホイッスルとともに総勢15名の1500メートル走者がスタートした。スタートダッシュからスピードの違う2,3年生とは最初から差が広がり、後ろで1年生の集団がかたまって走る形が自然的にできた。その中でも陸斗はやはり速く、この後走り終わるまで、先頭をキープした。翼も負けじと他の陸上部員の集団に食らいついた。そしてそのまま陸上部員に引っ張ってもらう形でゴールした。
その後は部室前で皆とたわいもない会話をして部活は終わった。
「あんがいつまんなくもないな」
それが今日練習に参加して翼が思ったことだった。
*
その夜翼は考えた。陸上部に入部するかしないかを。真剣に悩んだ。こんなに真剣に悩んだのはいつ以来だろうか。そうとう前のことのような気がする。あまり物事を深く考える人間ではない翼はなかなか答えを出せなかった。帰宅部で中学校生活を過ごすより部活をした方がよっぽどいいかもしれない。だけど今更新しく陸上部に入ってなにをする?2枠しかない選手のオーダーを自分よりも経験のある陸上部員につかったほうがいいはずだ。明日何食わぬ顔で学校へ行き、入部しませんと言えば、またいつも通りの生活を過ごすだけだ。
「あ~あ。やめやめ」
答えを出せぬまま、TVの電源をいれた。TVではちょうどオリンピックの10000メートル走の選手の選考大会が行われていた。そう言えばそろそろオリンピックだったか。そう思い翼はそのレースを観ることにした。
レースの内容に翼は驚いた。スタートからほぼ全力疾走とも思えるスタートダッシュ、中盤までのきれいにかたまったレース。このままゴールするのではとまで思った。しかし一人の選手が集団から外れ、先頭にたったあたりから集団は崩れ、ばらばらになった。そして最後のちからを振り絞ったラストスパート。残りわずかとなったところから、再度息を吹き返したようにスピードが上がり、ゴールに飛び込んでいった。とても10000メートル走ったとは思えないラストだった。
結局レース全部30分近くを翼は観ていた。
そうだ、別に理由などは要らない。入るか入らないかだけの話だ。深く考える必要なんかない。
なぜか翼はそんな気持ちになれた。
*
次の日、翼はいつもより数十分家を早く出た。自分と親の名前と判子の押された入部届けを持って。