第八話 騎士レイモンド、『推し活』の戦場に立つ
俺はレイモンド・ハーフォース。
ここルヴェルディ帝国で
皇帝陛下直属の護衛部隊——ブラックスピネルの副隊長を務めていた。
戦闘においては誰にも負けない自信があるし、
騎士であるからには主に忠誠を誓う覚悟もある。
けれど今の俺は、不慣れな戦いに屈しそうになっているみたいだ——。
戦場とは異なる類ではあるが、それは紛れもなく戦いの場。
この“写真集騒動”は、俺にとって未知との戦だった。
振り返れば、アナスタシア殿下の護衛騎士に任命された時もそうだったな。
離宮へ行けと命じられた時、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
それこそ、新しい戦いの場へと向かう気持ちだった——。
だがそうだ、気づけば……それは戦でもなんでもなかった。
俺が気負っていただけのことで。
トリアージェ殿下の若き護衛騎士セシル、
彼もまた、その時の俺と同じような、困惑の表情を浮かべていたな——。
俺たちは戦闘のプロであって、こういう“推される戦い”には慣れていない。
それでもあのファンレターを手に取るたび、自然と指先が敏感になる。
思わずその紙を撫でてしまったり、誰の目にもつかぬよう、引き出しの奥深くにしまっておきたくなる。
胸の奥に暖かなものが静かに芽生えて、
押し殺していた感情がほんの少しだけ顔を覗かせるのだ。
不思議だ。
それに……まぁ、あれだ。
アナスタシア殿下が誇らしげに俺のことを語る声を耳にするたび、
無意識のうちに肩の力がふっと抜けていく。
その瞬間、自分が思っている以上に俺は——『嬉しい』のだと、
ようやく認めることができた。
だから、殿下が期待するなら、その期待に応えよう。
それが誓いを立てた者の務めだからな。
◇
「レイモンドは、すんごく強くて優しいんだから!!」
アナスタシア殿下の言葉が脳裏に鮮やかに蘇る。
私こと——ニコラは、グッズの相談で離宮に赴いたその日、思わず息を呑む光景に出くわしたのだ。
レイモンド様が、一通のファンレターをまるで宝物のように見つめ、胸に抱き寄せて、穏やかな微笑みを浮かべておられたのだ
端正な顔立ちに長身、屈強な騎士らしい佇まい。
侯爵家のご子息という高貴な身分。
何を取っても非の打ちどころがないのに、気持ちまで繊細だなんて。
人気が出ないはずがない。
そう、実はあの時すでに——
皇族と並行して「推し」として育てることを決めていた。
だって、アナスタシア殿下のお墨付きだもの。
それに、殿下からの情報によれば、
レイモンド様は気を許した相手には冗談も言うし、もっと笑うらしい。
(これって最高に贅沢なキャラクターじゃない?)
そんな特別感のある人を、帝国中に自慢したくなるのは当然のことだ。
「特別な人だけに見せる“素顔”」――誰だって大好物だろう。
あ!そういえば、
離宮の騎士たちの間でも、レイモンド様は特別な存在だって聞いた。
この国の皇后陛下はとても強い方で、「帝冠を食らう銀狼」という二つ名で知られているのだけれど。
そんな皇后陛下から認められる存在なんだって。
あぁ、一度でいいから、私が帝国女子代表として、
皇后陛下にも怯まない、そんな射すくめるような……レイモンド様の視線を浴びてみたい!
そんなことを思っていたら、不意に声をかけられた。
「ニコラ嬢、今日はどんなご用件でしょう?」
青みを帯びた黒髪が風に揺れ、琥珀色の瞳が私を見つめる。
今日の彼は訓練用の鎧ではなく、黒のゆったりしたシャツに革のブーツというラフな服装だった。
普段よりも肩幅の広さや腕の逞しさが際立って見える。
「あっ……」
一歩下がった瞬間、足元がもつれ——気づけば視界がぐらりと傾いた。
次に感じたのは、冷たくて堅いけれど安心感のある腕の感触だった。
そうして視界が白く薄れて意識が遠のく間際、
私は彼に抱き上げられるのを感じた。
やがて薄く目を開けると、
私はまだレイモンド様の腕の中に抱えられていた。
無言で、真っ直ぐ前を見据えたまま歩いている。
訓練場のあちこちから声が飛んでいるが、彼はお構いなし。
「レイモンド!それ誰だ!?」
「おおおーーー姫抱きだぞ!」
「これ絶対写真集入り決定でしょ!」とアナスタシア殿下の声まで聞こえる。
セシル様が半ば呆れたように
「……意外と手慣れてますね」と呟くのも耳に入ったし。
回廊に出れば、庭師やメイドまでもが仕事の手を止めるのも見た。
「レイモンド様、まさかの……抱き上げ移動……」
「それにしてもいい筋肉……あれはいい筋肉だ……」
私の耳は真っ赤、頭は真っ白。
(これ……推しに抱えられるイベント……本当に存在したんだ……!)
レイモンド様は無言のまま、大理石の床に足音を響かせ宮医室へと向かう。
窓から差し込む光に照らされた横顔は、あまりにも絵になっていて、半分意識を失いながらも「この瞬間、誰か記録魔法お願い!」と願わずにいられなかった。
——その日の目的「レイモンド様に写真集の試作第一弾をお見せする」を遂行できたのは、目が覚めた翌日、ほぼ24時間後。
城にアポ無しで一泊するという大失態である。
あぁどうか、ギルドを追放されませんように……。
それでも心のどこかで、小さく喜んでいる自分がいるのも否定できない。
だって推しに抱えられた夜が、私の奥に確かに刻まれた瞬間だったのだから。