第七話 それぞれの初めて
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
三人称と一人称が同居する回です。
読みづらいかもしれませんが、ご容赦ください。
——『皇族ファンクラブ』なるものが結成されてから五日。
その瞬間は、突然やってきた。
ファンレターが、まったく予告なしに届き始めたのだ。
一通目は、なんと皇太子マリシスの元に。
執務室で侍従のレオナルドと書類を読み合わせている最中、
ふわりと淡いピンク色の手紙が舞い降りてきた。
マリシスは驚きのあまり一瞬手が止まり、それからゆっくりと手紙を開封した。
その瞬間、顔が一気に真っ赤に染まり、視線は宙を泳ぐ。
「こ、これって本当に俺宛て……?」
普段は冷静沈着な皇太子の、その純粋さが垣間見えた瞬間だった。
隣で書類を読み進めていたレオナルドが、にこりと微笑む。
「坊ちゃん、間違いありませんよ。ニコラさんからの手紙のようです。
さあ、労いの言葉を一言どうぞ」
しかしマリシスは、たった一言の返事すらうまく言葉にできず、
震える声で呟いた。
「あ……ありがとう」
彼にとって推しからの言葉は、何よりも特別で、
まさに“尊さ”そのものだったのだ。
同じ頃、隣の執務室では第二皇子ウィルフレッドもまた、淡い水色の手紙を受け取っていた。
書庫で書類を整理中、机の上にそっと届いた手紙に気づく。
「そうか、机の上に届けるって設定にしたんだった」
彼は手紙を手に取り、開ける前から何か特別な力を感じ取った。
「文字に魔力が宿っている……いや、これは想いの力かもしれない」
自然と口をついて詠唱が漏れ、彼の白いローブがわずかに揺れる。
そこに一筋の風が吹き抜け、魔法使いとしての誇りとともに、
推しへの思いが胸に満ちていく。
「初体験だけど……無難にこなせたな」
ウィルフレッドは、自分の感受性と柔軟性に密かに満足していた。
そして騎士の宿舎。
訓練で汗をかいたレイモンドは、入浴後にふとした気配に気づき浴室を出る。
柔らかな光を放つ品の良い紺色の手紙が、ふわりと彼の手元に舞い降りた。
無表情のまま手紙を受け取り、静かに返事を伝える。
「ありがたく拝読しました」
だがその夜、彼は誰にも気づかれぬようそっと手紙を読み返し、
ふと柔らかな微笑みを浮かべていた。
内に秘めた思いが、少しだけ溢れ出た瞬間だった。
一方、双子皇女たちはというと——
アナスタシアはニコラから依頼された「推しの心理分析」に真剣に取り組み、観察とメモに余念がない。
「マリシス兄様の照れ具合、なかなか興味深いわね」
トリアージェは、推しグッズの製作、特にうちわ作りの監督に忙殺されている。机いっぱいに広げられた色紙やリボンは、とっ散らかり系の彼女らしさそのものだ。
「ねぇ、アージェ! これからの起爆剤的なアイデア、いくつか思いついたの!」
「起爆剤……ファンクラブを一気に盛り上げる作戦ね?」
トリアージェのキラキラした瞳に、アナスタシアはつい口元を緩める。
「そう! 一番人気の人を真ん中に描いた小さい絵を作って、転写魔法で何枚かコピーして、抽選でプレゼントするの!絶対盛り上がるよ!」
「それはいいね。まさにお姉さまが言ってた『推し総選挙』だ!!」
姉妹の間に熱のこもった空気が流れる。
その時、トリアージェがふと思い出したように首をかしげた。
「ところで、お姉さま……そろそろセシルも入れてあげて?」
セシル――トリアージェ付きの護衛騎士だ。
見た目は華やかでも、実は純粋で照れ屋な彼は、姫の願いに絶対服従な忠犬タイプ。
こうして、『推される男』は一人増え、四人となった。
——そしてこの頃。
帝国女子の間でひそかに人気を集め、熱狂的な支持を受ける“逆転の貴公子”が誕生しつつあった。
それは、アナスタシアの護衛騎士・レイモンド派の台頭。
無口で誠実な騎士に沼る女子が急増し、その噂はギルド内にも広まっていた。
やがて、異例の写真集企画が持ち上がるのは、あと数日のこと——。
◇
ギルドの一角。
この日はいつにも増して、女子たちの熱気が溢れていた。
「やっぱり、レイモンド様って最高だよね! あのギャップに完全にやられる!」
「でも、皇太子様の光剣もやっぱり捨てがたいわ……!」
「いやいや、レイモンド様のあの真剣な眼差しが心を撃ち抜くの!」
議論は白熱し、声のボリュームもどんどん上がっていく。
私は少し離れた場所で拳を固く握った。
「……みんな本気すぎて、このままだと収拾つかなくなるかも。
でも、それこそ望むところだわ!!」
鼻息荒く、企画書の表紙に力強く書き込む。
『騎士レイモンド様・写真集企画案』
筆圧が強すぎて、羊皮紙が悲鳴をあげている気がした。
そんな時、背後から落ち着いた声が聞こえる。
「ニコラさん、こんにちは! 今日も忙しい?」
振り返ると、そこにはアナスタシア様が立っていた。
皇女らしいフリルたっぷりの薄桃色ドレスに包まれ、小さな頭を可憐なボンネットで覆って。
まるで動く人形のような愛らしさに、思わず息を呑んだ。
(……なに、この可愛さ!?)
「まぁ、殿下! ちょうど良いところに来てくださいました。実は少しご相談したいことがありまして」
アナスタシア様は小さな身体をぐいっと伸ばして、椅子にぴょこんと腰かけた。
(こんなに可愛いんだから、生で拝めば帝国中が震撼するに違いない!
これは絶対、何か企てねば……)
「実は、レイモンド様の人気がすごくて……写真集のご提案をしたいんです」
「あ……なんか、うれしい……!
レイモンドの素敵さ、わかってくれる人がいーーーっぱい!ってことでしょ?」
彼女は目を輝かせて笑い、ほんのり涙が滲んでいた。
ポシェットからハンカチを取り出す様子に、私はついぼやいた。
「このままだと推し自慢が激化して、小競り合いが起きそうで……
ギルド内で内戦勃発の予感がします。
だから、まずはその中でも急成長中の一派をまとめちゃおうかと」
「うん! いいね!! 写真集は絶対に爆発するよ!」
しかしアナスタシア様はハッと我に返り、咳払いをひとつ。
「騎士の威厳も損なわないようにね。
熱狂とイメージのバランスって、とても大切だから。」
彼女の真剣な言葉に、私の胸がぎゅっと締め付けられるような感覚が走った。
(……やばい……泣けるくらいいじらしい……)
「お任せください!計画は完璧に仕上げます!」
胸を張って、そう宣言した。
◇
そうして撮影会の舞台は、訓練場に決まった。
ニコラは準備に余念がなく、あらゆる細部まで気を配る。
レイモンド様はいつもどおり、無言で剣を振るっている。
その背中を見つめながら、私は忙しく動き回りつつも、
彼の体調や動きを見逃さないよう努めた。
「レイモンド様、撮影は明日です!準備よろしくお願いします!」
その傍で、手合わせ希望で彼を待つセシル様が、苦笑いを浮かべた。
「レイモンドさんと俺の、護衛騎士ツーショットも追加されたとか……」
トリアージェ殿下が、嬉々として声を張り上げる。
「セシルも頑張ってよ!負けてられないんだから!!」
「無理です……」
セシル様の小さな声は、誰にも届かなかった。
◇
快晴の撮影当日。
この日の訓練場は、まるで小さな祭典のようにギャラリーで溢れていた。
噂を聞きつけた騎士たちや、手の空いたメイド、庭師までもが足を運んでいたのだ。
澄み渡る青空の下、草の香りや土の感触が足元に伝わり、
爽やかな風が旗を揺らす。
そんな熱気の中でも、レイモンド様はまったく動じず、静かに剣を握り直した。
戦闘用の重厚な剣がわずかに冷たい光を放ち、
鍛え抜かれた筋肉がゆっくりと動く。
彼の顔は無表情だが、鋭い眼光が場の空気を引き締めていた。
撮影は、魔道具で作られた特殊な撮影機械——結晶式カメラを用いて行われる。
カメラの前では、私は撮影スタッフと最終確認をしながら、慎重に指示を出していた。
「まずは、剣を構えてみてください!!」
カメラマンの一言が幕開けの合図となる。
魔法陣が床に淡く光り、空間に微かな振動が走ると、
結晶の表面が光を帯びて輝き始めた。
周囲の観客たちは息を呑み、期待と興奮が入り混じったざわめきを漏らした。
私は静かに声をかける。
「レイモンド様、そのまま動かずに!光の結晶があなたの姿を閉じ込めます!」
レイモンド様はわずかに目を伏せたけれど、剣をしっかり握り締めて。
淡い光に包まれた。
彼から見る「カメラの向こう」には、私や二人の皇女殿下、
ギルドの女子たちが緊張と期待の入り混じった表情で見守っている。
「レイモンド、次は少し笑顔も見せてあげて……」
アナスタシア殿下が優しく声をかけると
無口な騎士は主人を見つめてから、わずかに頷いた。
シャッターが押されると、次々と結晶の中に彼の静かな姿が写し取られていく。
無駄な動きを排したその姿は、まるで絵画のように美しかった。
撮影が淡々と進む中、周囲の女子たちは興奮を抑えきれず、
ひそひそと期待の声を漏らす。
「こんな写真集ができるなんて……夢みたい」
「無表情だけど、本当に格好いい……!」
撮影が終わる頃——
訓練場の空気は、熱狂の前兆へと静かに上り詰めていた。
◇
かくして撮影会は無事に幕を下ろしたのだけれど——
その後のギルドでは――予想もしなかった展開が待ち受けていたのだった。
内部の人気争いが、ますます激しさを増していたのだ。
「写真集の発売まで、もうすぐなのに……こんなに内戦が激化するなんて……」
この写真集が、私の目論見どおりにみんなをまとめてくれるのか?
それは、神のみぞ知る――なのである。