☆1や☆2を貰える作者は、凄いと思う
カクヨムの上位エッセイを何気なく見ていると、たまに、☆1や☆2を貰って、がっかりするという話がある。分からないでもない。
しかし、筆者は、いい意味で凄いと思う。
ネットの世界は闇だとも言われるが、顔の見えない相手と繋がろうとするのは、確かに、慎重に動かなければならない。
しかし、自分から動こうとしなければ、怖くも何もない。
要は、無関心でいれば良いだけの話だ。
良いも悪いも何もない、関わるほどの事でもないと、判断するから動かない。
それで良いと思う。
ただ、だからこそ、☆1や☆2を貰える作者は凄い。
顔も見えない読者が、☆1または☆2を押したくなる程に、その心を動かしたという事だ。相当凄い。
現実なんて、ネットより格段に厳しい。
他人は、いちいち評価してくれない。☆1や☆2は、評価の対象になるレベルの作品だったという証だ。
ポイントを入れるイコール、「あなたの作品に心を惹かれた」という事である。
良い意味でも悪い意味でも、心が動かなければ、人は手を動かさない。
それどころか、見向きもしない。
人の心を一瞬でも動かす作品、動かせる作品を書いた作者は、努力が報われたといっても過言ではない筈だ。
読者は、ポイントを入れる一瞬、特に、その小説を強く意識している。
「あなたの作品に心を奪われた」と伝えているも同じ事だ。
面白かった、つまらなかった、腹が立った等々、読者が読んだ後に何を思ったか、それが、偶然☆1だった、☆2だった。ただ、それだけの話である。
筆者は、昔、職場で先輩に無視をされた事があるが、文句を言われるよりも遥かに辛かった。
目の前にいて話が出来る人間に、全く相手にされないというのは、一番きつい。
だから、一番怖いのは、無関心だと思う。
☆1や☆2の評価は、顔を見た事も、ましてや口をきいた事もない人間の心を、一または、二も動かしたのだから、本当に凄い。
永遠に顔を見る事も、喋る事もない人間に、関心を持たせた。それは、自信を持っていい事だと思う。
触れる事の出来る世界には、視界にも入れて貰えないという現実だってある。
それなのに、ネットのように隠れた世界で、誰かの視界に入って、評価されたとあれば、それは、よほど心を動かした証拠である。
現実の人間と関わる中で、「気が合わなければ、喋らなくていい」という選択が可能ならば、そうできる。
しかし、仕事で関わるしかない時は、嫌々でも喋る事になる、それを☆で例えるなら1か2か、どちらかになるだろう。
上司が部下を育てるにあたっても、間違いを指摘しない上司もいるのだ。
評価対象になるまでに、相当の努力がいる。
目に見える結果が出ても、誰もかれもが、評価をしてくれるわけじゃない。
むしろ、評価などしなくても良い。現実で生きているなら、猶更だ。
忙しくて、構っていられない。
人は、一分一秒、その時その時、一番大事なものだけを拾って生きているのだから、不要なものに、わざわざポイントは付けない。それが、人の心理だと思う。
だから、ポイントを入れるなんて、よっぽど興味を持ったのだ。
高いポイント☆5でも、低いポイント☆1でも、ポイントを入れると、「作品に心を惹かれた」という証拠を皆が見る。
ポイントの数を見て、「これ、そんなに面白くないんだ」と思う人がいても、評価の対象になる作品だと、自分の作品を誇っていいと思う。
自分の作品に関心を持った人が、これだけいたのだと、心を占めた証が、☆1と☆2だと思う。
作品の評価を、作者が一生知る事はない。それが、ポイント0だ。
☆1と☆2は、読者が、作者の努力を認めた何よりの証拠だと思う。
それと、思うのだが、良い評価よりも悪い評価の方を、作者も読者も意識するのだから、「目立ちたがり屋タイプの人」が入れるポイント数なのかなとも思う。