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8. 市場は楽しい

          

玄関がアーニャに頼んで、市場というところに連れていってもらったのは3年前の9月だった。


市場では 何もかもがはじめてで、見たことのないきれいなものがたくさんあって興奮し、くしとさいふを買ってしまったから、飴屋あめやを見つけた時には、もうお金が残っていなかった。


 飴屋の屋台の前に行くと、そこで飴細工を作っていた少年がはっと驚いて、大きな目で玄関を食いつくように見つめた。


 その後で、彼は見たことがないようなとびきりの笑顔をくれたから、玄関は息をするのを忘れてしまった。

  

 彼は玄関が来るのをずうっと待っていてようやく会えたというような表情をしていた。


「エヴァ、エヴァンネリだね」

 少年がうれしくて仕方がないという声で言った。


 でも、玄関はそれがなんのことなのか、わからなかった。何か言おうとしても、今まで塀の外の他人と話したことがないので、どう言えばよいのかわからないのだった。


 少年は動物の形をした飴をくれた。


 玄関がきょとんとしていると、

「羊だよ」と言った。


「ヒツジ?」


「おぼえていないのかい」

 玄関が知らないと首を横に振った。


「あんたは、わしを知っているのかい」


 そう訊きたかったのだけれど言葉が出てこないので、玄関は自分を指で自分の胸を叩いた。


「話せないのかい」

 少年の瞳が涙でみるみる涙でいっぱいになった。


 瞳からあふれて顔に落ちた涙が、頬骨を避けて、曲線を描いて口の横まで流れた。


 玄関は少年の涙に驚いてしまって、違うよ違うよと首を振った。


 その時、そばにいた散歩が手をにぎってくれたので、

「わし、話せるよ」

 とようやく言えた。


「話せるのかい」

「はい」

「元気なのかい」

「はい」


「いじめられてないかい」

「ない」

「困ったことは、ないかい」

「あんまりない」


「来年もおいで。必ずおいで」

「はい」


「ここで待っているからね。ぜったい来て」

 彼は玄関をじっと見て、手を伸ばして、頭をやさしくぽんぽんしてくれた。


 玄関の胸がどきんどきんと音をたてた。市場に行く日もどきどきするが、この音とは違う。こんな音は初めてだ。


 次の年、玄関は市場の日のために、お金をためておいた。

 彼が作る鳥の飴がほしかったからだ。


 その時も、少年はこちらがすぐに笑顔になってしまうくらいの笑顔で迎えてくれた。


 この少年はなんてすてきなのだろうと玄関はうっとりとした。

 

 少年には海と空の景色が似合う。玄関は海など一度も見たことがないのに、なぜかそう思った。


「あんたたちは、顔が似ている」

 と散歩が言った。

 そう言われてみると、なんだか、遠い昔、どこで会った気がしてきた。


 でも、そんなはずはない。玄関は工房と市場以外には、どこにも行ったことがないのだから。

 

「この鳥」

 玄関が指をさした。


「ツルだよ」

 と彼が教えてくれた。


「おまえが、……」

「そうだよ。親方に習って、ぼくが作ったんだよ」

 

「元気なのかい」

「はい」

「困ったことは、ないかい」

「ない、あんまりは」

 玄関はもっと何か言いたいのだけれど、言葉が胸で固まってしまって、出てこないのだった。


「来年もおいで。必ず必ず来てね」

「はい」

 彼はまた頭をぽんぽんしてくれた。


 また胸が音をたてた。






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