6. アーニャは母さん
玄関が母さんのように慕っているアーニャは6歳からこの家で育った。
サラフがつけた名前は「ラクダ」だった。それはアーニャがラクダ小屋の近くで拾われたからったが、親方と結婚してからはもとの「アー二ャ」に戻った。
アーニャは16歳の頃には指が太くなり絹織りの仕事がうまくできなくなった。それで木綿糸の織物工房へ行くことになっていたところ、サラフがアーニャの色彩感覚が特にすぐれていると言って色付けの仕事をくれたので、アーニャは工房に残った。
それまでは工房のデザイン画はサラフが作成も色付けも自分でしていたのだが、それ以来、色をつける仕事はアーニャが担当することになった。
その後、ふたりは結婚することになったから、その頃からサラフにアーニャに対する気持ちがあったのかもしれないが、そういう気配は見えなかった。
サラフがようやく申し込んだ時、彼はすでに38歳、アーニャは18歳だった。
1枚の絨毯ができるまでには、多くの過程を経る。糸を染色したり、染めたり、干したりは専門業者に頼んでいる。サラフの工房ではデザインを考え、彩色して、板に張り付ける。
織子は板の図面を見ながら、糸が取り付けられた織機で、たいていはふたりで、時にはひとりで織り上げる。
サラフが専門としているのは1.5X1メートルの小さいサイズだが、それでも数ヵ月から、時には1年もかけて織り上げる。
絨毯ができあがると、それを洗ったり、乾かしたり、刈ったりする作業が行われるのだが、それは川のそばにある専門の工房に頼む。サラフは現場に出向いて、つきっきりで見守る。
サラフは繊細さとかざつさをもち合わせた男だ。
彼は少女たちに暴力をふるうことはなかった。
自分が小僧時代に思い出すのもいやなほど殴られたので、それはしないと誓っている。しかし子供たちの頭を撫でたり、抱き上げたりすることもなかった。
サラフは子供の頃、木綿の絨毯を織工場にいて、木枠を作ったり、できあがった絨毯を洗う仕事などをさせられていた。しかし彼には商売の才覚があり、絹絨毯というものに目をつけて必死にがんばったから、ここまでになった。だから、結婚が遅れた。
サラフとアーニャが結婚して3年目に、娘が生まれた。サラフは、40歳になって生まれた娘には「ラティハ」という人間らしい名前をつけて、チュチュッをして、「愛してるよ」と言って甘やかしている。
サラフがラティハを可愛がる姿を見て、これが本当の親は子供にこういうことをするのかと思うと胸が焼けたように感じたから、と玄関は胸をどんどんと叩いて、目をしばしばさせた。
玄関は生まれた時から、工房の中だけで暮らしてきたから、限られた言葉しか知らないのだ。そのせいなのか、この苦しい気持ちをどう言えばよいのかわからないのだった。
玄関は思う。
「苦しい気持ちはどこからくるのか」
「うれしい気持ちはどこからくるのか」
最近になってよく思うのは、
「あの子を思う時、どきどきするのはなぜなのか」ということ。
玄関の心の中には、きりりとした顔の少年がいる。
彼は市場で飴細工をしているのだが、まだ名前も知らない。
日焼けした肌に、ウェーブのかかったブラウンの髪、茶色の瞳をしていて、会うと笑ってくれる。
その顔を見ると、うれしさが雲みたいに広がってくる。胸がお湯のように熱くなり、顔が赤くなる。
ラティハが学校に行き出した頃、玄関がその部屋にこっそりとはいったことが見つかってしまったことがある。玄関はただ教科書というものが見たかったのだ。字が習いたいと思ったのだ。
ラティハは誰かが部屋にはいったことに気がついて、工房中に響きわたるほどの大騒ぎをした。
玄関が名乗り出て、部屋に謝りに行った。
「土下座してあやまれ。おまえなんか、字も読めないくせに」
ラティハが両手を腰に当てて怒った。
「土下座って、なんだべ」
と玄関が訊いた。
「頭を床につけて、あやまれ。この無学のバカが」
その時、母親のアーニャが真っ赤な顔をしてはいってきて、はじめてラティハの頬をばしっと叩いた。
「ラティハ、あんたは学校に行ってるからって、人よりえらくなったと思っているんじゃないよ」
いつもは温厚なアーニャがすごい剣幕だった。
玄関の腕をつかんで部屋の外に連れ出して、アーニャのほうがわんわんと泣いた。
「玄関、なんてかわいそうな子だい。あんたが別のちゃんとしたうちに生まれたら、勉強好きな子供とほめられるのに、捨てられたばかりに、本にさわっただけで叱られるなんて。できの悪い娘をうんでしまって、すまなかった。悪かったなぁ」
「大丈夫だ。ここで育ててもらって、わしはうれしいけん」
と玄関は言ったが、涙がにじんだ。
「これからは、字はわしが教えるから」
とアーニャが宣言した。
以後、空き時間に、アーニャが少女たちに字と算数を教えてくれることになった。
でも、アー二ャ自身が小学校1年生までしか行っていなかったから、どんなに教えたくても、あまり難しいことは教えることができいのだった。