14. 学校に行けるの?
あんなに楽しみにしていた市場なのに、玄関は今年は市場へ行くことができなかった。
朝が来ても、身体がつらくてどうしても起きられなくなってしまったのだ。
一日寝たら治ると思ったけれど、次の朝も同じだった。その次の朝も。
アーニャが心配して医者に来てもらったら、身体に悪いところはないけれど、「気」をなくしていると診断された。
「気とはなんですか?」
「生きる力のことだ。生きようとする気持ちが見えない」
と白いひげの医者が言った。
玄関は何を見ても虚しくて、時々、もうどうでもいいやと思いたくなっていた。
人って、何のために生きているのだろうかとよく思うようになった。生きているって楽しいと思っていたのに、今は悲しくてならない。
サラフの工房には大量注文がはいり、糸の箱が次々と運びこまれている。職人がそれを機織機に取り付けていっている。
サラフは大手の糸問屋とは手を切り、ハーディと組んで仕事をすることにしたのだった。ハーディこと蜂おじさんは働き者で親切、少女たちのもとにもまたプレゼントが届けられた。みんな、蜂おじさんが大好きだ。
玄関のもとには、紫色の生地に花模様の服が届いた。
「こんなきれいな服ははじめてだ」
と玄関は言ったけれど、服の袖に手を通すことはなかった。
そんな日が続いたある夕方、サラフとアーニャがそろって玄関が寝ている部屋にやって来た。
「玄関、嫁に行く気はないか」
とサラフが真剣な顔で言った。
親方は、前にも、そんなことを言っていたっけ。
「話があるというだけだ。いやなら、断りなさい」
とアーニャが暗い顔をしていた。
「相手は40を越えていて、妻がすでに2人もいるが、金はある」
とサラフが説明した。
「かなしい話だなぁ。気がなくなって、もう働けないから、嫁に行くしかないのかなぁ」
玄関が無表情のまま、白い顔で言った。
「違うよ。それは違うよ。いやなら、断わりなさい」
アーニャが涙を流しながら叫んだ。
「だけどな、そこに嫁に行けば、働くこともない。その人は新しい家を建ててくれて、棚を本でいっぱいにしてくれるそうだ」
とサラフが言った。
「親方、本と言ったのかい。字の書いてある本かい」
「そうだ」
突然、玄関が起き上がった。
「おまえは勉強がしたいのだろう。学校へも行かせてくれるそうだ」
「学校と言ったかい。その人と結婚したら、学校に行っていいのかい」
「ラティハと同じ学校に行かせてくれるそうだ。学年は下から始めんとならんが」
とサラフが続けた。
「下からでも、どこからでもいい。学校に行けるのかい」
玄関は一瞬きょとんとした後、呼吸が乱れた。うれしすぎたのだ。
大丈夫かとアーニャが背中を叩いた。
「ラティハと同じ学校に行けるのかい」
玄関が大声で泣き出した。
「玄関はそんなに学校に行きたかったんだな。かわいそうに」
アーニャが袖をひっぱって涙をぬぐった。
「この工房も、おまえがいないと困るからな、ゆっくり考えろ。ただハーディがお前のことを随分と心配してな」
「相手というは、あの蜂おじさんなのかい」
玄関はようやく縁談の相手が誰なのかがわかった。
玄関は散歩に結婚の話があったことを告げた。相手はあのハーディだということも。
「そんなの、やだやだ」
と散歩が泣いた。
「泣くほどのことかい」
「あんな歳の離れた人と結婚なんて、いやじゃないのか」
「だけど、ラティハと同じ学校へ行けるんじゃ」
「やだやだ。貧乏でも、好きな人がいい」
「それはそうなんだけど」
玄関が大きくため息をついた。
あの飴細工のジャミルがお婿さんなら、何も買ってくれなくてもいい。学校に行けなくてもいい。でも、ジャミルはいなくなった。もう帰ってこないのだろう。
「仕方がないじゃないか。気がなくなる病気になって、仕事ができなくなったから、ここにいるわけにはいかないだろう。それが学校に行って、本も買ってもらえるというのだからいい話だと思っているんだ」
玄関は嫁に行くことに決めた。
学校に行くのなら、早いほうがよい。
ラティハが学校に行く時に手提げ袋をもって行くのを見ていたので、さっそくその袋を作り始めた。
蜂おじさんがちょこちょこと荷物を運んで工房に来た時、その姿を窓から覗いたてみたら、玄関が吐いた。
その時は食べ物がよくなかったのかと思った。
しかし、次の時も吐いて、蕁麻疹が出た。
それでも縁談を断りはしなかったので、話は進んで、結納のための品々が大広間に運びこまれた。見たこともない美しい品物ばかりで、仲間の少女たちが羨ましがった。
結納の日になった時、玄関は着替えの時に失神して、部屋に運ばれ、結納が翌日に延期された。
「玄関、おまえはハーディがいやなんじゃないのか」
とアーニャが訊いた。
「いいや。蜂おじさんはよい人だし、結婚すれば学校にも行ける。だけど、身体が動かない。どうしてなんだろうか」
相手が歳をとっているとか、背が低いとか、それはどうでもよい。ただあの丸い顔の真ん中にある鼻と口が濡れている感じを見ると、気持ちが悪くなるのだ。でも、慣れると思う。
その夜、散歩と地震がお見舞いに来た。
「セレザール、通学用の袋はできたから見てくれ。鉛筆はどこで買えばいい?市場か」
「せんぱいは、何を言っているのですか」
地震が顔を真っ赤にして、怒ったように言った。




