11. お風呂の日
サラフの絨毯工房に休日はない。
しかし風呂の日だけは特別で、仕事は半日で終わる。
母屋の裏に一戸建ての風呂小屋があり、それはサラフが数年前に建てた。
ここらへんの風呂というのは蒸し風呂で、小屋の内部は蒸し部屋と洗い部屋のふたつに分かれている。
朝から年配の女中たちが、アーニャの指示に従ってお湯をかわしたり、浴衣を用意したり、タオルを用意したり、その準備に忙しい。
アーニャは朝早くに市場に行ってジャミルに会い、娘と友達の無作法を謝り、仕事箱を返してきたと玄関に告げた。
ジャミルはすっかり元気で「来年、ゲンカンに会うのを楽しみにしている」と言っていたそうだ。
それを聞いて、玄関に笑顔が戻った。
お風呂の時間が始まった。少女たちは薄い浴衣を着て、蒸し風呂の中に設けられた長椅子に座る。
30分ほどはいっていると、汗がぽたぽたと出てくる。
「気持ちいいだろ」
と頬をピンクにした玄関が地震に言った。
「はい。こういうお風呂ははじめてです」
「風呂は初めてなのか」
「いいえ。お風呂はよくはいりましたが、こういうのではなかったです」
「セレザールの家の風呂はどんなの」
「お湯をためて、その中に裸ではいります。弟やお母さん、時にはお父さんとはいったりしました」
「へー、お父さんとはいるんかい」
玄関も散歩も、そんな姿は想像ができない。
「いやでないのかい」
「いいえ。だって、お父さんだもの。背中とか洗ってもらって、気持ちがよかったです」
地震は家族のことを思い出して、タオルで顔を抑えた。
「セレザール、家族の話をしてくれ」
地震は父親が中学の歴史の先生で、母親が小学校の先生だったと言った。
「すごいなぁ。みんな頭がいいんだな」
「そんなことないですよ」
「うちには本がたくさんあったのか」
「はい。壁一面が本棚で、たくさんありました」
「どんな本」
「歴史とか、神話とか」
「この間も言ってたけど、そのしんわって、なんだ」
「神様の話です」
「世界に神様は何人くらいいるんだい」
「たくさんいますけど、オリュンポスの12人の神が有名です」
「そのオリュンポスの神様というのは、12人ともみんな男なのかい」
「いいえ。12神の半分は女神ですよ」
「へー、どんな女神?」
「アテナ、アプロディテ、アルテミス・・。みんな美しくて、強くて、中でも処女神アテナが最強です」
「処女神って、なんだ」
「男の人が嫌いなんです。だから、結婚しません」
「へぇー」
その時、「地震」の名前が呼ばれた。
「セレザーレ、行きな」
と玄関がドアを指さした。
年齢の小さなほうから呼ばれて、横の洗い部屋に行く。そこでは女中たちが身体にお湯をかけ、頭を洗ってくれるのだ。
「アテナ、アテナ、女神アテナ」
玄関がぶつぶつと繰り返した。
「どうした」
と散歩が訊いた。
玄関の顔から汗が吹きだしてきたのは、暑さのせいばかりでないような気がする。
「女神アテナって、どっかで聞いたことがあるような気がする。でも、そんなはずはなか」
「わしら、神のことは、何も知らん」
「わからん。セレザールのうちはすごいなぁ。壁に本がたくさん並んでいるんじゃ」
「父さんが先生で、母さんも先生で、だから何でも知っちょるわけだ」
散歩の名前が呼ばれて、間もなく、玄関も呼ばれた。
身体を洗ってもらうと、新しい浴衣を着て、頭に布を巻き、広間に行って、壁によりかかって待つ。
全員がそろうと、アーニャが生姜と蜂蜜のはいった飲み物をもってくる。
少女たちはピンク色の頬を染め、幸せな顔をして、あつい生姜湯をふーふーと言いながら飲みながら、「てんごく、てんごく」と言うのだ。
「気持ちがいいだろ」
と玄関が地震に言った。
「はい。でも、どうして、てんごくと言うんですか」
「風呂の後、よそでは、これも言わんのかい。神のことは知らんくても、天国がいい所だとは知ってるけん。天国は、今みたいにいい気分の場所なんじゃろ」
「お風呂の後、どうして熱い飲み物を飲むんですか」
と地震がまた訊いた。
「よそでは、飲まんのかい。こんなにうまいのに」
「冷たいものを飲みます」
「冷たいものは、腹に悪いだろ」
「暑い時は熱いものだべさ」
と散歩が加わった。ここでは、お腹をこわすことを心配して、夏はあたたかいものということになっている。
「セレザールんとこの冷たい飲み物は、どのくらい冷たいんだい」
「あたまがキーンとするくらい」
「へぇ、キーンという音が聞こえるのかい。わしら、そんな冷たいものを飲んだことがないなぁ。その音、聞いてみたいもんだなぁ」




