10. ジャミルの涙
サラフの絹絨毯の工房では、大きな仕事に向けての練習が繰り返されていた。小さな部分の、たとえば花の芯とか、葉脈とか、動物の場合だと眼。
でもまだ本番ではないので、時々はおしゃべりをしながら、リラックスした雰囲気である。
新入りの地震が、みんなのやり方を見て、熱心に学んでいた。なかなか上達が早い。
サラフが瓦礫の中にいた地震を見つけた時、すでに7歳になっていたので、絹の織子としては遅すぎると思ったけれど、拾ってきてよかった、もうけものかもしれないと思っていた。
その日の昼食には、一皿多くおかずがついた。
それはサラフとアーニャの娘ラティハの11歳の誕生日だからなのだった。
ラティハのところには、学校の女友達が5人やってきて、部屋からは笑い声が聞こえていた。
そこに少し遅れて、17歳のヘリマが肩を張って現れると、とたんに空気が凍り、ラティハと友達は肩を丸めて一ヵ所に群がった。
ヘリマは学校の番長的な先輩で、みんなから尊敬されているというか、怖れられている。
ラティハは先輩のヘリマを招待したいわけではなかったが、ヘリマから「私は招かれないのかい」と言われたから、断ることができなかったのだった。
織子たちが昼食を終えて工房へ戻りかけた頃、正面の戸が開かれて、木の道具箱を背負った男の子がはいってきた。
この工房には客と仕事関係の者以外、男性が姿を見せることはない。こんな若い男子、それもきりりっとした子がやってくるのは初めてなので、空気がざわめいた。
「ジャミル!」
玄関が驚いた。
「どうして、ここに来たんじゃ」
と散歩。
「ラティハの誕生日だから、呼ばれたのではないでしょうか」
地震は回転が速い。
「そう言えば、あの飴を全部買い上げたのはお嬢さまだって聞いたけど、そんなに好きなのか」
と散歩が訊いた。
「だ、だれが、だれを?」
玄関は心が見えてしまったのかと思って、ぎくりとした。
「ラティハが飴をさ」
と散歩が言った。
「ああ」
「ジャミルさんがみなさんの前で、余興に、飴細工を作ってみせるのではないですか」
と地震が言った。
「余興って、なんだ」
「みなさんを楽しませることです」
「ああ。それがよきょうということか」
織子達は工房に戻って仕事を始めても、耳はラティハの誕生会のほうに傾けていた。
笑い声が聞こえていたはずなのに、突然、大きな叫び声が聞こえ、何かを投げつけた音がした。
玄関が立ち上がって外を覗いたら、
ジャミルが衣服をはだけさせて、庭に飛び出してきた。
「ジャミル」
玄関がその後を追いかけた。
「ジャミル、待って」
門の外で、玄関の声に気がついてジャミルが振り向いた時、その頬に一筋の涙が流れているのが見えた。
「どうした?」
「なんでもないよ」
とジャミルが唇を噛んだ。
「ゲンカン、ここで待っていてほしいんだ。ちゃんと説明をして、なるべく早く帰るから」
「何をだれに説明するんじゃ。どこへ行くんじゃ」
あっちだと彼が西のほうを指さした。
「すぐに帰ってね」
「うん、帰るから。元気でいるんだよ」
「これ、わたすのを忘れてた」
玄関がツルを織ったワッペンを差し出した。
「これ、わたしが作った」
「ありがとう」
ジャミルの顔は青白くて、唇が震えていた。
「来年は、必ず会えるからね」
ジャミルはそういうと、駆けて行った。
玄関は何があったのかとラティハの部屋に行こうとした時、アーニャが抱きとめた。
「行かせてくれ。ラティハに言ってやりたいことがあるんじゃ」
と玄関があばれて泣いた。
「今日はラティハの誕生日なので、友達も来ている。ここはわしのために、許してくれ」
「いやだ。ジャミルが泣いていた」
「わしがあとでたくさん叱っておく。ジャミルの仕事箱が壊れたけど、ちゃんと修理させて、わしが市場に届けるから」
「絶対いやだ。許しておけん」
「あの子たちも、ジャミルをいじめるつもりはなかったはずだ」
「それなら、どうしてジャミルを困らせることをするんじゃ」
「みんな、ジャミルが好きなんだよ。気持ちの伝え方がわからなくて、意地悪をしてしまったんじゃろ」
それを聞いて玄関は驚いた。
みんなジャミルが好きなの?
玄関はしばらく考えて、「わかった」と言った。
「何がわかったんだ」
「もしジャミルがわしにぽんぽんをしてくれなくて、他の女の子にしたら、悲しくなると思。わたしも、意地悪したくなるかもしれん」
「そうじゃな。ありがとう、玄関」
「はい」
「さあ、機嫌を直してちょうだい。明日は大好きな風呂だろ。その後は、大きな仕事が待っているのだから、気持ちを落ち着けてな」
「はい」
でも、女子の前で辛い思いをさせられたジャミルのことを思うと、あの一筋の涙を思い出すと、かわいそうすぎて胸がじりじりと縮んでいくようだった。




